第6話 メイヨール領へ

 旅立ちの朝。昨日パトリックたちに聞いてはいたけど、本当に誰も見送りに来ないし、お父様すら来なかった。玄関先には馬車が一台停車していて、馴染みの御者であるチャーリーが荷物を積んでくれる。チラッと上を見上げると、継母の部屋に人影……恐らくララも一緒にそこからニヤニヤしながら私の様子を見ているのだろう。


 びっくりしたり悲しんだりすることを期待しているだろうから、ここは何食わぬ顔で出勤する時の様に馬車に乗り込んで出発。馬車は加速してあっさり街を離れ、どんどん小さくなっていった。二十年程過ごした街……少し寂しさもあるけれど、居場所がなくなったんだから仕方ない。メイヨールまでは馬車で五日ほどの予定で、直線距離で二百キロぐらいかなあ。途中、時には御者台でチャーリーの隣に座ったりして彼と喋りながら旅を楽しむ。彼ももう若くはないから長旅は大変ではないかと思うんだけど、慣れているから大丈夫らしい。私だって普段から鍛えているから全然大丈夫よ!

 

 エクルストンを発って三日目。到着したのはフレーザーの街で、ここまでは街道もそこそこ整備されていて特に問題なく進むことができた。聖女をやっていた関係で王都以外には行ったことがなかったけれど、のんびりしたなかなか良い旅だわ。でもここから先は街道の整備もイマイチで結構な田舎道と聞く。のんびりできるのもここまでかな? 宿で二人分の部屋を取って食事もチャーリーと一緒に取る。いつもは食事の時も明るく話してくれる彼だけど、今日は黙り込んでちょっと思い詰めた様な表情。


「あ、あの、お嬢様……申し上げにくいのですが……」


 そこまで聞いてピンときた。多分メイドたち同様、何かしら継母に言われているに違いない。つい最近ウィンスレット家に来たと言うのに、どうやったらそんな我が者顔で彼らに命令できるんだか。


「チャーリー、ご苦労様。あなたの役目はここまでよ。私もメイヨールに嫁ぐ身だし、いつまでもウィンスレット家の人たちにお世話になるわけにもいかないでしょう?」

「お嬢様……」


 驚いている彼の手を取って、金貨を数枚握らせる。


「こ、こんなにいけません!」

「これはお礼よ。ここまで、いえ、今まで有り難う。帰りも気を付けて帰ってね。あなたは明日の朝発つといいわ。あまりここに長居しても、あの親子に怪しまれるでしょう?」

「お心遣い、感謝致します」

「さあ、食べましょう! 私だって聖女の端くれ、残りの道のりだって全然大丈夫なんだから!」

「はい……」


 少々無理している感はありながらも、チャーリーはいつもの様に話し相手になってくれて、楽しい夕食の時間を過ごせたのだった。食事後、それぞれの部屋に戻る際にもう一度彼と握手してお互いに別れを告げる。さて、ここからどうやってメイヨール領まで行ったものか……取り敢えず明日考えることにして、朝は少し寝坊してもいいかな。


 翌朝は本当に寝坊してしまって、朝起きるとチャーリーはもういなかった。当然ながら馬車もなくなってしまったわけで、まず考えなければならないのはメイヨールまでの足だ。馬車を探すか、それとも馬を調達するか……宿の受付で聞いてみると、馬車で人や荷物を運んでいる店があることを教えてくれた。どうやらメイヨールにも便が出ているらしい。ラッキー!


 朝食後に早速その店を訪ねてみると、確かに店の横には数台の馬車が停められていて、店員らしき人が忙しそうに荷物の積み下ろしをしている。


「あのー、すみません。こちらの馬車でメイヨールに行く便はありますか?」

「メイヨール? ちょっと待ってな。聞いてきてやるよ」


 作業をしている男性に聞いてみると手を止めて店の中に駆けていって、しばらくすると初老ながらガッチリした体格の男性を連れて戻ってきた。どうやらここの店主らしい。


「あんたかい? メイヨールに行きたいってのは」

「はい。ここからの足がなくなってしまって」

「そりゃ気の毒だな。しかし残念ながらメイヨールに行く便はねーんだよ。最近、あそこの周辺は魔物が多くてなあ」

「そうですか……」


 それは困ったわね。馬車がダメだったら馬を調達して単独で行くしかないけど、流石に馬は売ってくれないか。でもまあ、ダメ元で。


「馬を売って頂くことはできませんか?」

「ウチは馬の売買はやってねえからなあ。馬はここでも貴重だから、売ってくれるところはないと……」


 店主が喋っている横から、先ほどの作業員の男が何やら耳打ち。


「いや、しかし、それは流石にこのねーちゃんに悪いだろう」

「でも、ウチでも持て余してますし」

「馬がいるんですか?」

「いるっちゃいるんだが……まあいい、見るだけ見ていきな。おい! ここへ連れてこい」


 作業員の男性に言いつけると、またどこかへ走っていく男性。そしてしばらくすると、建物の向こう側が何やら騒がしくなってる。


「おい! そっちちゃんと押さえろ! 暴れんじゃねー!」

「後ろに回るな! 蹴り殺されるぞ!」

「ヒィヒィーーーン、ブルルルゥ」


 男たちの怒声にも近い声と、大きな蹄の音。どうやらかなりの暴れ馬の様だ。やがて建物の陰から姿を現したのは、想像以上に大きな黒い馬! しかしたてがみや尾っぽは白く、そして鼻筋と足先も白い。何より、その筋肉! 黒光りするキレイな毛並みが一層その筋肉を強調している。思わず歩み寄ると私が筋肉に引かれて近寄ってきたことに気が付いたのか、さっきまで暴れていた馬は落ち着いてじっと私を見ていた。その目は明らかに『筋肉を褒めろ!』と言っている! 前世のジムで良く男たちがこんな目をしていた。


「強く張った咬筋に上腕頭筋、僧帽筋と上腕三頭筋はまるで鎧の様だわ」


 周りの男たちは『何言ってんだコイツ』みたいな目で見ているけど、私が筋肉を褒めながら触れると馬はまんざらでもなさそうだった。


「お腹は引き締まっているし、何よりこの大腿二頭様筋よ! あなたは重い馬車でも軽々ひけるし、きっと長距離でも難なく走れる力強い馬だわ」


 お尻の辺りを撫でていると馬は耳をピンと立てて明らかに私の言葉を聞いていて、満足そうにブルブルと鼻息を立てた。本当は後ろ足の辺りに立つなんて危険なんだけど、この馬は私を蹴ったりしない……筋肉を褒められて嫌がるマッチョなんていないんだから! 再び筋肉を褒めつつ馬の前に戻ると、鼻先で私の頭を突く様な仕草。どうやら彼の信用を得られたみたい。


「いい子ね……この馬、売って頂けるんですよね?」

「こいつは驚いた! そいつがこんなに人に懐いてるのなんて今まで見たことねえよ! ねーちゃん、気に入ったぜ!」


 店主は馬をくれると言ったけどそれではあまりにも悪いし、馬具など色々と揃えたかったので金貨五枚を支払う。こんな立派な馬、これでも安いぐらいよ。店主や作業員にはいたく感謝されて、馬具はとても上質な物を準備してくれた。馬具を装備された馬はどこか誇らしげで、私の荷物を背中に掛けてもカバンが小さく見えてしまう。重そうにするどころか、早く背中に乗れと言わんばかりの仕草。店主たちはその様子にも驚いていたが、私がその背中に軽々と乗ったことで更に驚いた様子だった。


「しかし、一人で大丈夫か? さっきも言ったがここからメイヨールまでは魔物も増えてる。傭兵でも雇った方が……」

「有り難う。でも、大丈夫です。私、これでも一応聖女なので。さあ、行きましょう」


 手綱を引くと二、三回軽く足踏みをして走り出す。巨体からは考えられないほど安定して静かに、しかし力強く速く駆ける馬……そうだ、名前を付けないとね。あなたは……そう、トリスタンにしましょう! この分なら思ったよりも早く目的地に到着しそう。よろしくね、トリスタン。

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