第4話 前世について

 これは私自身の話で、私には前世の記憶がある。それを思い出したのは十歳の時……そう、聖女の資格試験を受けて合格し、最後に教皇様に謁見した時のことだ。その年の合格者は私一人で、緊張しながら教皇様の部屋へ。そこはとても広いホールの様な場所で大理石なのか全体的に白く、見たこともない様な太い柱が何本も両側に並んでいた。高そうな真紅の絨毯が入り口から真っ直ぐ伸びており、そのまま正面の階段にも絨毯が。その先にはベールがあり、逆光によって玉座とそこに座っている人影が浮かび上がっていた。


「教皇様、合格者を連れて参りました」

「うむ、下がって良いぞ」

「はっ!」


 神官の男性が頭を下げたまま教皇に伝えるとすぐに人払い。私だけを残して彼はいなくなる。もう私の緊張はマックスで、膝を付いて黙って下を向いているだけだった。やがて人が階段を降りてくる気配があり俯いている私の目にすらっと美しい足と、何でできているのかキラキラした靴が映る。そしてふんわりと漂ってくる花の様な香り。一瞬、夢の中にいるのでは? と錯覚したほどだった。


「面を上げよ、ナオミ・ウィンスレット」

「はい……」


 恐る恐る顔を上げるとそこにはニコニコした美しい女性。耳が……長い!? 話には聞いたことがあったエルフと言う種族だ。教皇様はしばらく私をじーっと見つめられ、私の手を取って立たせてくださった。そして突然に彼女は私を抱きしめる。


「直実ちゃん、久しぶり! 思っていたよりも早かったけど、ずっと待ってたんだからね!」

「えっ!? あの、ちょっと……教皇様!?」


 先ほどまで高貴な近寄りがたい雰囲気すらあったのに、今の彼女はまるで友達の様。わけが分からずただただポカンとしていると、その様子に気が付いて理由を説明してくださる。


「ああ、そうだったわ。いきなりこんなこと言われても分からないわよね? ちゃんと手順を踏まないと」


 そう言いながらスラッと美しい指を私の方に差し出す教皇様。その指先は薄っすらと光っていてゆっくりと私の額へ……その瞬間、私の頭の中に今までに見たこともない映像が洪水の如く押し寄せる。いや……知ってる! これは私自身の記憶……そう、前世の記憶だ! 前の世界で生まれてから死んでしまうまでの記憶を一気に取り戻したんだ。そしてその最後のシーンでは、今目の前にいる教皇様とそっくりの女性と話している場面も。いや、これは教皇様ではない。死後、私の魂を導いてくださったラケシス神だ。


「……」

「思い出したかしら? 私は教皇であり、ラケシスでもあるの。この体は私がこの世界に存在するための依代ね。もちろん天界にも私はいるんだけど」


 いきなり難しい話だけど、神は偏在する、と言うことかしら? とにかく、目の前の彼女は神でもあり教皇でもある……そう理解した。そして彼女が『久しぶり』と言った理由もこれで理解できた。私はそう、日本人の片霧直実。前世ではOLだった。


 片霧家は古武道の伝承家で、私も小さい頃から兄たちと一緒に稽古していた。そのお陰で子供の頃から体を動かすことが大好きで、大学の時には片霧流の師範代にもなれた。実家の道場は兄が継ぐことになっていたので私はその道には進まず、何の関係もないIT企業で企画の仕事をしていたのよ。ただ知識や経験は活かしたいとは思っていたので、副業としてジムのインストラクターや護身術の講師をしていた。本当はこちらを本職にしたかったんだけど、自分でジムを持ったり道場を持ったりしないと稼ぎが厳しいのよね。


 私自身はそこまでムキムキではなかったけれど、ジムには信じられないぐらい凄い筋肉をした人たちが集まってくる。そういう人たちを見るのが好きで、良くジム仲間とボディービルの大会を観に行ったりしたっけ。古武道をやっていた関係で筋肉にも詳しくなっていたから、インストラクターとして彼らを指導することも多かったかな。


 そんな時、たまたまジムの近所の空き店舗でテナント募集の貼り紙が! それを見た瞬間閃いてしまったの……筋肉カフェを! ジムには様々な客がいて、一汗掻いた後にビールを飲みたがる人やプロテインを飲みたがる人。食事も良質のプロテインを欲している人もいれば、運動した分油っぽいものを食べたがる人もいる。ビールや油っぽいものを食べたければ居酒屋にでも行けばいいけど、プロテインや良質なタンパク質を多く含む食事となると簡単ではない。


 マッチョが対応してくれるカフェは日本中にあるみたいだったけど、こういう『ジム上がりのマッチョ向けカフェ』は聞いたことがなかったし、企業の企画としてやってきた自分の勘が『これはイケる!』と言ってた。会社で同じ部署の後輩女子に何気なく話すと彼女もすごく乗り気で、共同出資で店を始めることに。しかしもう少しで開店! と言う時、私は残念ながら死んでしまったの。


 共同経営者になる予定だった彼女がストーカー被害に遭っていると聞き、一緒に彼女のマンションまで帰っている最中でそのストーカーに襲われたんだ。そのストーカーはナイフを持っていて彼女に斬りかかろうとしたんだけど、それを庇った私が刺されてしまったのよ。


「センパイ! センパイ! しっかりしてください!」

「……」


 片霧流の師範代として刺されたことは悔やまれるけど、彼女は大丈夫だったみたい……ストーカーは!? ……ああ、そうだ、咄嗟に利き腕を折って裏拳で顎に一撃を入れたんだ。地面に這いつくばってピクピクしてるし……これで彼女は大丈夫そうね。そんなことを考えていると意識は薄れ……次に気が付いたときには目の前にラケシス様が立っていた。


「???」

「気が付いた? あなたは若くして死んでしまったのよ」

「死んだ!? えっ!? でも、じゃあここは!?」

「まあ混乱するのも無理はないわね。ここはあなたたちの世界で言う所の死後の世界。そして私は運命の女神ラケシスよ、直実ちゃん」


 神様に『直実ちゃん』と呼ばれて少しこそばゆい思いをしつつ、彼女の様子から考えてどうも嘘ではないらしい。私と神様の周りはキラキラとした空間で刺されたはずの傷もないし、それ以前に私、裸だし。でも不思議と恥ずかしいと言う気持ちは起きなかった。


「あ、そうだ! 彼女は!?」

「ああ、後輩ちゃんね。彼女なら大丈夫よ。っていうかあのストーカーは彼女の彼氏だし」

「はぁ!?」

「どうやらあなたを脅して店を独り占めしようとしたみたいね。そんなことできるハズないのにねえ。あのストーカー彼氏も本当は刺す気はなかったみたいよ。でもあなたが彼女を庇って割って入ったから」


 えっ!? ここでそんなことを聞かされるとは……じゃあ私ってひょっとして……


「そう、無駄死に! あ、でも完全に無駄ってわけでもないわね。あのストーカー君、腕は折られるし顎は砕かれるしで、下手すると一生流動食かも」


 複雑な気分。あのストーカー野郎がそういう状態なのは自業自得だと思うけど、まさか後輩にそんな裏切られ方をするなんて。


「はぁ……私の筋肉カフェが……こんなことなら一人で頑張れば良かったなあ」

「まあまあ、今回のことは残念だったけれど、あなたの行いは正しいものだったわ。あなたが望むなら、すぐにでも新しい人生を用意できるけど」

「本当ですか!?」

「ええ。でも条件があるの。元いた場所……地球の日本は無理。順番を待てば可能だけど、何十年、何百年後になるかは分からないわ。私が用意して上げられるのは私が管理する世界……あなたからすると異世界ね。私としては直実ちゃんの様な強い女性に是非来て欲しいんだけど」


 そこは女神様の管轄で、彼女の意向が比較的通りやすいらしい。そういうものなのだろうか。


「記憶は? 今の記憶は残りますか?」

「最初は無理ね。でもある程度その世界に馴染んで、そして再び私と会うことがあれば記憶を取り戻させてあげる。十歳で取り戻すか、それとももっと高齢で取り戻すかは分からないけどね」


 そこは運次第と言うわけか……よし、決めた! 順番待ちをして地球に生まれ変わっても良い人生とは限らないし、折角女神様が勧めてくださってるんだったら異世界転生でもいいや! そして必ず記憶を取り戻して筋肉カフェをその世界で実現してみせるんだから! こうして私は転生し、そして十歳と言う比較的早い段階で前世の記憶を取り戻せた。

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