第12話

「やあやあ、遅かったじゃないか!」歓喜に満ちた声に出迎えられ、アイビーは硬直した。「まさか自分から戻ってくるとは思わなかったけど、ぼくから行く手間が省けてよかった!」

 聖都市を発ったのは一、二時間ほど前だ。その時は数台の馬車が広場に残っていたはずなのだが、それらの影はどこにもない。

 消えたわけではない、破壊されているのだ。

 いくつもの破片に分断された木材は、かつて馬車を構成していたものだろう。同じように散らばっている肉片は、まさか馬車を引いていた馬たちか。付近に色濃く漂う血臭と相まって、聖都市の玄関口ともいうべき場所はひどくおぞましい地へと変貌していた。

「おや、気分が悪いのかい。それはいけないね心配だ」

 そんな中でただ一人、悠然とこちらを直視してくる不気味な男。言うまでも無く、仮面の男だ。彼は瓦礫と肉片の中、紅色の瞳に冷笑を浮かべていた。

 やはり、あの男を前にすると体が動かなくなる。広場についた途端、アイビーも馬も一歩も動けなくなったのだ。これも能力のせいなのか。だとしたら彼は一体いくつの能力を保有しているのだろう。アイビーは馬に乗ったまま、降りる事も出来ずに男と相対していた。

「どうしてあんたがここに……!」

 精いっぱいの怒りを込めて睨みつけてみるが、男に動じた様子はない。

「うんうん。普通の子女ならこんな状況に陥れば泣きわめくと思うんだよ。それに比べて君の心の頑強さ! いや実に素晴らしいね褒め称えてしまいそうだよ!」

「何も嬉しくないわ、あなたのせいでシェアトは……! 町を壊したのもあなたなの?」

「そうだと言ったらどうする?」

「許さないに決まってるでしょう!」

 おお怖い、と男は両手を上げて肩をすくめる。

「だけど残念だね、町を壊しまくったのはぼくじゃない。これは本当だよ」

「ふざけたことを言わないで!」

「ふざけてなんかいないさ。参ったな、どうすれば信じてくれるんだい?」

 甘く囁くような言葉には怖気しか感じない。男は隙だらけで、動けていたなら馬ごと突撃することも出来ただろうが、相変わらず体は指先さえ微動だにしなかった。

 不意に、アイビーはやけに付近が静かすぎる事に気が付いた。

 聖堂から聖女の体が盗み出されるという異常事態が起きたのだ。だというのに、不気味なほど静かすぎる。聖都市はそれなりに混乱の最中にあるはずなのに、誰の姿も見かけない。男の背後には身体検査を行う時に通った門があるが、そこにいたはずの軍人の姿すらもない。

 まさか――殺したのか?

「さて、話を続けよう。まずはそうだ、会ってもらおう」

 アイビーが問うより先に、男は何かを思い出したように門の奥へと向かった。

 会ってもらおう、と男は言った。心当たりは、

「シェアト……トクス?」

 男に襲われたシェアトと、男が聖堂に乱入してきた際にアイビーと共にいたトクス。二人の顔が同時に脳裏に浮かんだ。

 まさか、彼らのどちらか、あるいは両方が門の後ろに捕えられているとでもいうのか。だとすれば何のために。男の考えている事が全く読めず、アイビーはますます混乱した。

 嫌な汗が頬を伝う。奴の目的が全く図れないのだ。

「待たせたね! ほら、ご対面だ、じっくりご覧」

 男は陽気な口ぶりで再びアイビーの前に現れた。その手は誰かの腕を掴んでいる。男のものとは違う、華奢で細い、女性の腕だ。

 やがて姿を現した人影に、アイビーは絶句した。

 男に手を引かれて現れたのは、間違いなく、

「……あたし?」

 まとっている衣服など違いはあるものの、朱い髪や緋色の瞳、背丈や相貌は、見慣れた自分のそれだ。

「紹介しよう!」男は女の体を抱き寄せ、愛おしそうに目を細める。「彼女は君の、前世だ」

「は?」

 男が何と言ったのか、理解できなかった。

 不意に全身の緊張が解ける。もしかして、と手綱を握ったままの指に意識を向けると、ぴくりと動いてくれた。どうやら男の能力には持続時間があるらしい。アイビーが動けるようになったことに気が付いていないのか、男は女を抱き寄せたまま、飽きることなく喋りつづけていた。

「君とそっくりだろう? 理由は明確だ、君が彼女の生まれ変わりだからさ! ああ、彼女が誰なのか気になるかい? そうだよね気になるよね、じゃあ教えてあげよう! 彼女は、」

 ぶつりと男の声が途切れる。アイビーが勢いよく馬の腹を蹴り、真っ直ぐに男に向かって突っ込んだのだ。男は一瞬驚いたように目を丸めたが、しかしすぐに笑みを浮かべた。

 まるで「かかってこい」と言わんばかりに一歩も動こうとしない。このまま行けば蹴り飛ばせる、とアイビーは確信した。しかし、

「っ!」

 男と女に到達する直前に、馬が急停止した。その弾みに地面へと転がり落ち、激しく背中を打つ。どうやら男が再び動きを封じ込めたらしい。痛みを堪えながら素早く立ち上がろうとしたが、アイビーも動けなくなっていた。

「ぼくは急いでるんだ、これ以上は付きあっていられない」

 地面に寝ころびながら男を見上げる。その瞳には、凶悪な光が宿っているように思えた。

 ぞっとして息を飲むアイビーのかたわらにしゃがみ込み、男はどこからか縄を取り出す。縛るつもりなのか。

「さてと、それじゃあ……おや」

 男が縄をアイビーの体に巻き付けようとした時、地面が小さく振動し、人馬のざわめきと共に軍隊が姿を現した。

 エウス町、そしてファザ町と、聖都市に近い町が壊滅状態にあるのだ。その上聖都市では騒動も起きたばかりで、国はそれを収めるためにも軍を派遣したのだろう。軍隊は近くで揃って停まったのか、振動が止んだ。状況を掴みかねているようで、指揮官と思しき者の鋭い声が響く。

「そこのお前、一体何をしている!」

「平和的な話し合いをしているだけだけど、何か問題でも?」

 余裕綽々といった風に男は平然と答える。しかし、広場には馬車の破片もろもろが散乱したままで、そんな中無抵抗の女性を縛り上げようとする男が一人。どう見ても「平和的」とは言い難い状況だ。

 ――助けてください! この人、人殺しかも知れないんです!

 この機会を逃してはならない、とアイビーは助けを求めるべく声を張り上げようとした。だが、今度は声すら出せない。足や腕の動きが制限されるだけの力ではなかったのか。どれだけ声を出そうとしても、体がいう事を聞いてくれない。

「ああ気にしないで、確かに暇つぶしがてら馬車はぶっ壊したし馬も殺した。確かにこれはぼくの仕業だ。だけど話し合いは平和なものだよ!」

 男は明るく説明しながら、手際よくアイビーを縛り上げていく。男の異様さを感じ取ったのか、軍隊がどよめいた。

「むしろぼくはこの女に殺されかけたんだよ? 馬ごと突っ込んでくるなんて乱暴だよね。だからぼくは抵抗して、こうして縛り上げているって訳だよ」

「……あ、あっ!」

 男の講釈を黙って聞いていた軍隊の中から動揺が上がる。それは徐々に伝播し、ざわめきを増していった。しかし男は気にした様子も無く、「よし!」とアイビーの体を担ぎ上げた。

「人も待たせてるし、行かないとね。ああ、その前に、邪魔をされちゃあ困るから!」

 男が力強く地面を踏む。その途端、地面が分厚い氷に覆われていった。危険を感じとった軍人たちの一部は逃げようとしていたが、それよりも早く、身動きが出来ないよう氷漬けにされていく。

「大丈夫だよ、呼吸は出来るように人も馬も頭は出しておいてやったから! え? 凍死するかもしれない? それもあり得るけどぼくの知ったことじゃないからね! それじゃあ改めて、行こうか!」

 男は女の手を握り、アイビーを担いだまま門をくぐっていく。

 氷漬けにされていく最中、軍人の一人が漏らした「なぜ、王太子がここに」という呻きを、アイビーは聞き逃していなかった。



 聖都市の様子は一変していた。

 ファザ町に戻る直前から人通りはほぼ無かったが、それでも人気はわずかながらも感じられた。しかし現在、通りや民家、宿には明かり一つ灯っておらず辺り一帯は寂然としている。通りには何やら上機嫌の男と、それに付き従う女の足音がかつりかつりと静かに響くだけだ。

 ここに訪れている、あるいは暮らしている人たちは一体どうなったのかと問おうとしたが、喉は引きつったように声を発してくれない。しかしアイビーの警戒を感じ取ったのか、男が「大丈夫さ!」と断言した。

「この前の町みたいに騒がれたら困るからね、少し眠ってもらっているんだ。死んでない! 罪なき国民を殺すわけにはいかないだろ?」

 どの口が言うのかと絶句したが、男が意に介した様子はない。

 彼らは一体どこへ向かっているのか。背中に頭が来るようにして担がれているために正面の様子は分からないが、その答えは聞かなくとも感づいていた。

 この道は、昼間も通ったからに他ならない。

 男が不意に立ち止まり、ぎい、と重々しい音が耳を打つ。再び歩き始めると、二人の足音は広い空間に吸い込まれるように響いた。

 ――ここは、聖堂だ。

 なぜここに来たのか。男たちは真っ直ぐに聖堂の最奥まで歩んでいく。ぱりぱりと音を立てるのは、床に散らばったままのガラスの破片だろう。

「さて、行くとするか」

 かん、と大きな音が聖堂内に反響した。男が何かに飛び乗ったらしい。様子を見ようにも体が動かず、もどかしい。

 男が飛び乗ったここは、どうやら聖女の棺が置かれていた祭壇のようだ。しかしその棺が見当たらない。辺りを見回すと、それは祭壇の脇に放り投げられていた。中に敷き詰められていたであろう白い花は無残に散らばり、床にはびしりとひびが入っている。

「中はさすがに暗いな。ちょうどいい。あれを持って行こう」

 祭壇のそばには松明が設置されていた。男はそれに目を付けたらしい。

 行くって、一体どこに。疑問は膨らむばかりだ。

 男が動き出す。進んだ先は、下だった。

 ――下?

 一定の間隔で体が揺れる。階段を下っているのか。しかし聖堂に階段なんてあっただろうか。徐々に遠ざかっていく聖堂を目に、この階段は棺の下に隠されていたのだと察した。

 螺旋状のそこを進みながら、男は鼻歌を口ずさむ。女は一言も発することなく横に並び、アイビーを見ることも無く正面を見据えていた。

 ふと先ほどの軍人の呻きを思い出す。彼は確かに、「王太子」と言っていた。

 王太子と言えば、国王の長子だ。

 ということは。

 ――この男が?

 そんな馬鹿な、と頭に浮かんだ考えを一蹴する。

 男の素性を考えあぐねているうちに、彼らは足を止めていた。

 むわっと土のにおいが立ち込める、静かな空間だ。

「さて、着いたぞー」

 重かった、と言わんばかりに男はアイビーを下ろす。うつ伏せの状態で寝かされたのは、土がむき出しの地面だった。その途端、すっと全身が軽くなる。体の硬直が解けたらしい。顔だけを正面に向けてみるが、体勢としてはかなりキツい。立ち上がることも出来ず、アイビーはもたもたと芋虫のように動きながら無理やり体勢を整えるしかなかった。

 喉の違和感も消えている。ここぞとばかりに大きく息を吸い、アイビーは文句を吐こうとした。

「アイビー……!」

 聞き覚えのある声が耳を打つ。声が聞こえた方向に顔を向けると、

「トクス!」

 暗くて分かりにくいが、そこには確かにトクスの姿があった。なぜあなたもここに、と訊ねるより先に、彼もアイビーと同じように縛られている事に気が付いた。

「ああ、そいつかい? 何をするにも邪魔をしてくるからね、反省するまで縛っておくことにしたんだよ」

 面倒くさそうに言い放ち、男は松明を掲げたまま奥へ奥へと歩いて行く。

 その背中を目で追いつつ、アイビーは鋭く睨みつけた。トクスも同様に男を追っていたようで、「彼女は無関係だ!」と声を荒げた。

「どういう訳かヘデラは生きているんだ。だったらアイビーはなおさら……!」

「彼女はまだ完全じゃない。何度も言ったよな? だって魂はそこの女に入ったままなんだ、きっと。だからここにいるヘデラは、ヘデラであってヘデラじゃない」

「ヘデ……?」

 知らない名に首を傾げると、ちり、と頭が痛んだ。

 言い争う二人の近くで、アイビーによく似た容姿の女は無言を貫いている。

 この三人は、一体どういう関係なのだろう。

「全く。本当に聞き訳がないな、お前は。いつからだ? 昔は素直な良い子だったのに」

 至極残念そうに肩を落とし、男が松明で何かを照らす。煌々と照らし出されたものに、アイビーはぽかんと口を開けていた。

 そこには、男の背丈よりも大きな柱が立っていた。いや、柱ではない。それは地面から生えているのではなく、鉛色の鱗に乗っていた。上に行くにつれて先端は細く尖り、松明の灯りを仄かに反射させている。

 角だ、と気付くのに時間はかからなかった。さらによく見れば、鱗に覆われた長細い口と思しきものも見受けられる。

 ――ひょっとして、ここは。

「ヒュドラを埋めた場所……?」

「ご名答!」男はくるりと振り返り、ご覧あれと言わんばかりに両腕を広げた。ぼんやりと照らされた巨大な顔は、トカゲや鰐によく似ている。「そう、君の言う通り、ここはかつて国を苦しめた大災厄が眠る場所さ!」

 顔の後ろにぞろりと伸びる太いものは首だろう。そこから奥には光が届いておらず、全景ははっきりとしない。

 ここに辿り着くまで時間がかかったよ、と男は感慨深げに息をつき、女を呼び寄せた。女は素直に従い、男の隣に並ぶ。

「本当はヒュドラを復活させてから君を元に戻したかったんだ。だけどごめん、しくじっちゃってね。だからまずは君から、ね」

 男の言葉に、女が特に反応した様子は見受けられない。ただ、男がやけに恍惚とした笑みを浮かべている事だけは分かる。

「元に戻す……?」

 寝転がされたまま疑問を訴えたアイビーに、男は無言のまま答えない。

 儀式とは、一体何のことだろう。訳が分からない。男は女をその場に置いてトクスに歩み寄っていった。

「さてトクス。お前の出番だ。ぼくは炎が嫌いだからね、こればかりはお前の手を借りるしかないんだ」

「誰が、協力なんかっ……うっ」

 反抗しようとしていた彼が苦しげに呻いた。トクスの眉間には深いしわが刻まれているように見える。しかしそれでも彼は力を振り絞るように言葉を続けた。

「ヘデラはそうして生きている、それで十分だろう! 兄さんは何が不満なんだ?」

 ――兄さん?

 兄と呼ばれた男は、面倒くさそうに「不満なんてないさ」としゃがみ込み、トクスの前髪を掴んで無理やり上を向かせた。

「ただ納得がいかないだけだよ。彼女は確かにぼくの腕の中で死んだんだ。あの瞬間に魂はその体から抜けたし、ぼくはそれを視た。だから彼女の魂は別の人間として生まれ変わったはずだって、前に言ったよな?」

「だから……それにこだわるのはおかしいんじゃないかって、俺は……!」

「聞き飽きたよ、時間の無駄だ」

 トクスから手を放し、男は彼の肩を踏みつける。ぐあ、と苦しげな声が地下内に響いた。

「生まれ変わったのがその女なんだよ」だってそっくりじゃないか、と続けた男の声には苛立ちが混じっている。「元のヘデラは動いている。だけどその魂は本当に彼女のものか? 違うだろ。だって魂はその女の中で、ヘデラに入っている魂こそ赤の他人かもしれない。だからそれを正すのさ」

 男に肩を踏みつけられながらも、トクスは懸命に反論を繰り返している。そのたびに呻きが聞こえてくるが、助けに行けないことがもどかしかった。

 ――生まれ変わったのがその女って、あたしのこと、よね?

 状況がいまいち掴めないまま、アイビーは何とか縄が解けないかと手首を動かした。しかし、どれだけやっても縄は緩まない。ずいぶんきつく締めあげてくれたらしい。

 不意に顔に影が落ちる。誰かと目だけで見上げると、そこには自分と同じ顔の女がいた。

 いつの間にそばまで来ていたのか。気配のなさに驚きつつ、アイビーは声を潜めて問いかけた。

「……あなた、ヘデラって呼ばれてる人?」

 女――ヘデラはこくりと無言でうなずいた。

 間近で見るとますます似ている。長い睫毛も、細い眉も。艶のある唇は色気さえ感じられる。しかし、アイビーとは確実に違う点があった。

 容姿は似ているのだが、年齢が異なる気がするのだ。アイビーの年齢がはっきりしないため断言は出来ないものの、ヘデラの方が自分よりいくらか年上に見える。あと数年経てば自分もこんな見た目になるのだろうな、と思うほどだ。

 ――彼女は君の前世だ。

 男は確かに、そう言っていた。

「……あたしはあなたの生まれ変わりなの?」

 時おり蘇る記憶は、前世であるあなたのものなの?

 その問いに、

「いいえ」

 ヘデラは小さく首を横に振った。

 ――どういうこと?

 男はアイビーをヘデラの生まれ変わりだと断言していた。だが、当の本人はそれを否定している。どちらが正しいのか分からない。

 さらに答えを求めようと、アイビーが再びヘデラを見た時だった。

「っ――――――――!」

 突然、割れるような頭痛に襲われた。

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