第8話
これは夢だ、あるいは走馬燈だと気付いたのは、ほぼ直感だった。シェアトは朦朧とする意識の中、ただ夢に身を委ねていた。
――ああ、これは、五年前の光景だ。
――この時も、真夜中に客が訪ねてきたんだった。
力を授けてきた〈幻獣〉に由来するのか、シェアトは眠れないことが多かった。その日の夜もいつも通り眠れず、無為に家中を掃除して回っていた。何者かに扉を叩かれたのは、ベッドに寝転んで目を閉じてみるかと考え始めた頃だった。
こんな時間に誰だろう。朝早くから旧知の友人と鹿を狩りに行く約束はしているが、まさか今から行こうという誘いではあるまいな。不審者の可能性も大いにある。シェアトは扉を開けることなく、「どちらさま?」と問いかけた。
「夜分に申し訳ありません」返ってきたのは、凛とした女性の声だった。「あなたに頼みごとがあって訪ねさせていただきました」
聞き覚えのない声だ。知り合いではないだろう。とりあえず敵意はなさそうだと判断し、ゆっくりと扉を開けると、そこには朱い髪の女性が立っていた。布にくるんだ何かを背負っており、姿勢は前屈みになっている。
ここで話していては周囲の家の迷惑にもなる。シェアトは彼女を招き入れ、椅子に座らせた。よほど重かったのか、女性は背負っていたものを足元に置くと真っ先に「疲れた」とため息をついた。
幸い暖炉の鍋には温かい羊乳が入っている。自分と彼女の分の器にそれを入れてシェアトが座ると、女性は「お気遣いありがとうございます」と背筋を正した。
「ヘデラと申します。〈幻操師〉でもあります」
彼女は自分に力を授けた〈幻獣〉の名称も続ける。ずいぶん大層な〈幻獣〉から力を授かったのだなと素直に驚いてしまった。顔以外の肌はほぼ露出しておらず、刻印がどこにあるかは窺えない。
「それで、ヘデラさんでしたっけ。どういったご用件でしょう」
「あなたの力を見込んで、お願いがあるんです」
この国の〈幻操師〉の八割ほどは戦闘向きの力を持つ。それらに比べて、シェアトの力はとある条件下でのみ獰猛さを増すが、通常時はかなり地味な分類だ。刻印も、自分の場合は瞳に浮かび上がっており、それも前髪で隠してある。
一見しただけでは〈幻操師〉とは気付かれにくく、しかも能力も目立たない。そのため「役立たず」だと他の〈幻操師〉たちからは馬鹿にされ、頼られたことは皆無だった。
「ぼくの能力をご存知なんですか」
「『魂の監視』」
誤りですか、と尋ねてきた彼女の目には、一片の疑いも含まれていない。
「いえ、間違ってない。正しいです」
そう答えると、彼女は足元の荷物を指差した。
「この中に――――」
「――――はい?」
彼女の話は、一度で理解できるほど単純なものではなかった。繰り返し詳細を聞いた後、彼女は「私の計画のため、あなたを利用させていただきたいんです」と締めくくる。
「ずいぶん明け透けですね」
「お嫌ですか?」
「回りくどいよりは好ましいですよ」
それからも色々と説明を受けたが、全てを理解し、納得し、引き受けたのは、すっかり夜が明けた頃だった。計画の実行は次の春が来た頃だと言われていたのだが、待つまでも無かった。彼女が訪問してきたわずか一カ月後、国は未曽有の大災厄に見舞われた。奇しくもそれは、彼女の計画を実行する絶好の機会となった。
シェアトには魂が視える。それを利用して言われた通りのことを問題なく実行し、成功した後には頼られたことの喜びをじわじわと噛みしめていた。こんな自分でも役に立てるんだと、〈幻操師〉としては初めて実感した。
まさか直後に国から正式な依頼が来ることになり、しかも国に被害をもたらした〈幻獣〉の魂を封じ込めろと言われた時には狼狽した。無意味だ何だと罵られ続けていたのに、急に〈幻操師〉の力を発揮することになるなんて。
不安が無かったと言えば嘘になる。
体に近づいて魂が反応するといけないだろうと、体が埋まる聖都市に近づくのは避けた。他にも何かをきっかけに封じた〈幻獣〉が暴れ出してしまうのではないか、そうなった場合に力の制御は出来るのか。考えるだけで憂鬱だった。しかし、そのようなことは一切なく、むしろ平穏無事すぎる日々を送れていた。
あまりにも何もなさ過ぎて、ひょっとして槍の雨でも降ったり、前触れもなく死ぬんじゃないかと勘繰ったりもした。
それから五年。槍の雨が降ることは無かった。だが、
――まさか後者の方だとは思いもしなかった。
夜中に誰かが窓を叩いた。酔っ払いか、はたまた不審者かと顔を上げた途端、窓が枠ごと砕け散る。押し入ってきた男には見覚えがあった。五年ぶりの再会だが、彼はなぜかこちらを殺そうとしてくる。必死で抵抗しているうちに、同居人のアイビーがやってくる気配がした。
来ちゃいけない、どこかに隠れているんだ。叫ぼうとした直後、胸に強い衝撃を感じた。
なんだこれ、なんだこれ? 痛いぞ、苦しい。そんな、どうして。倒れる間に、どれだけのことを考えただろう。気が付けばシェアトは血の海に沈み、意識を失い、現在に至る。
最早痛みも寒さも感じない。声を発する事さえできない。
――アイビー、祭り、楽しみにしていたのになあ。
――……約束、果たせなかったなあ。
徐々に掠れ、遠のいていく意識の奥底で、自分の中に封じ込めた〈幻獣〉の唸りが、声なき声が聞こえたような気がした。
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