五感
俺は見習いとして、今は教会の後ろにあるボロボロな家に住んでいる。
服はマリアさんとユイカみたいに白の修道服を着ているが、スリッドから生足は見えない。男は男専用のズボンがあった。
性別、役割、場所、年齢によっても、修道服の形や色が変わるらしい。
じゃあ長寿の妖怪ババアのエルフが、若い女性の修道服を着ているのはどうなんだと思うが、見た目で違和感がなければいいと、そのエルフが言っていた。
そして教会に住むなら、教会の仕事もしないといけない。
そんな俺は教会の床を掃くのをサボり、祭壇の前にある長椅子に仰向けで寝っ転がっている。
寝っ転がっていると、どこからか視線を感じた。目を開け、視線を横に持っていくと、月の女神エルトリーデ様と目が合う。
祭壇の後ろには壁に埋め込まれる形で立派な女神様の像が八体あった。
半円型にキッチリと並べなれた女神様たち。左から三番目がエルドリーデ様だ。
寝ているだけなのに、何故か悪いことをしている気分になる。
俺は起き上がり、姿勢を正した。
「ふふ、アイクも女神様の前でだけは良い子になっちゃう」
ユイカがクスクスと笑いながら、俺の横に座ってきた。
この教会に来た日から結構経つが、今だにユイカの目を覆う包帯は取れていない。
俺は左手を上げ、胸の位置まで持ってくる。
ゆっくりと手を広げながら、手のひらを上にすると、ボッ! と手のひらの上に拳大の青白い炎が出現した。
「手の上に炎! 熱い! 青白い?」
ユイカは出現した炎の特徴を口にする。
色を言う時に不思議がっていたが、感じ取れてはいる。
あとは……。
「触ってみろ」
「でも」
「いいから」
俺の言葉にいいなりのユイカは、恐る恐るというように手を炎に近づけていく。
あと少しで炎と手が触れるかというタイミングで。
ボンッ! と、いっきに炎が大きくなる。
「きゃっ!」
ユイカは炎に近付けていた手を引っ込め、可愛らしい悲鳴を上げた。
ユイカの可愛らしい悲鳴で気を良くした俺は、口角を上げながら「どうだ?」と、意地の悪い聞き方をした。
「……冷たかった、です」
ユイカな俺を非難するように、むー、と眉を上げて、返答した。
手のひらにあった炎は、俺が手を握ると同時に消えた。
「急に出て来た物まで捉えれたら上出来だろ。あとは触覚だな」
俺が視界のないユイカにやってもらっているのが、自分の魔力を周囲に散らして、自分のテリトリーを作ることだ。
これは魔法使いの戦闘においては、超が付くほどに重要な技術だ。
まぁ俺が重要な技術だと思っているだけで、魔力のテリトリーを張っている魔法使いはあんまりいない。
戦争に参加した時だって、敵国にもテリトリーを使う奴はそんなにいなかった。
ユイカにはこのテリトリーの技術を常時展開してもらうことになる。
普通、自分から離れた魔力は、空気中の魔素に取り込まれる。
だが自分の魔力同士を、磁石のS極とN極みたいに引き合っている状態にしていたら、空気中に魔力を散らしても魔素には取り込まれない。
魔力の待機状態を沢山作るのが俺が言うテリトリーだ。
遠隔で魔法を使うために待機状態にするんだが、これを視界の代わりにする。
俺も戦場で敵の探知には使っていた。
自分の魔力同士の引き合っている『
そして、
『視覚』『聴覚』『嗅覚』『味覚』『触覚』
五感で感じ取れる物は、魔力でも感じ取れる。
魔力で感じ取れると言っても、五感で感じ取れる殆どの感覚が鈍い。ほとんど何も感じないと言ったほうがいいのかもしれない。
魔力に備わっている五感を感じるようにするには、魔力の五感の感度を上げることが求められる。
魔力の五感の感度を極限まで高めると、テリトリーを張っている所の全てが、まさに手のひらの上で起きているかのように分かるようになる。
デメリットとしては、感度の調整が出来ないかもしれないことだ。俺も魔力で五感の感度を高めることはやったことがない。
どのような不具合が起こるか分からないんだ。
感覚が鋭すぎると、常人には耐えられない苦痛に生涯さいなまれることになる。
デメリットを伝えても、ユイカの意思は変わることがなかった。
ユイカは目を失って、視覚を望んでいた。そのおかげか、視界の感覚を掴むのは早かった。
テリトリーの維持の方が時間が掛かったぐらいだ。
最初は視覚のみの一つの感覚の感度を上げようと思ったが、魔力の五感を平均的に上げた方が視覚の精度が上がった。
豊富な色、激しい動きと音、ゆっくりな動きと音、静止している物、微かな振動、光、距離感、硬さ、柔らかさ、暖かさ、冷たさ、空間の味と匂い。
視覚の精度が上がったのは、視覚の情報が多くなったからだと結論付けた。
情報が多くなってくると、おのずと平均的に五感の精度も上がってくる。
俺は正直、魔力で視覚の代わりをやっても、目の代わりにはならないだろうと思っていた。それが今や、目よりも沢山の情報が入ることに驚いていた。
視覚の感度も上げたところで、周囲に何かが有ると感じることで精一杯と思っていたからな。
目をつぶって周囲の色も形も分かるようになってきた辺りで、やばい技術を開発してしまった感がおおいにあった。
が、気にせずに突き進んだ。ユイカとマリアさんには口外しないようにキツく口を封じた。
聖王国の奴らに新技術の情報は絶対に渡さん。
マリアさんに『ユイカが普通の日常をおくれるように』と言われたが、これなら目をつぶったまま対人戦闘も出来そうだ。
「アイク、冷たい炎なんて反則だよ」
「だから分かりやすくしたじゃないか」
「色のこと言ってる? 炎は温度が高くなると青くもなるんだよ」
温度で炎が青くなる? 炎魔法の炎の色は赤と黄色ぐらいしか見た事は無い。
属性は魔法の付与効果だと思っていた。魔法の熟練度が上がるほど、付与効果も大きくなる。
普通は魔力を魔法の威力に回す。温度を上げる? 考えたこともなかった。
「どのぐらいの温度で青くなるんだ?」
「ん? 私の記憶では、赤、黄色、白、青の順に温度が高くなったはずだよ。でもどのぐらいの温度かは覚えてないな」
「使えねぇな」
「アイク酷い〜」
ユイカは手を口に添えてクスクスと笑っている。
ユイカと出会った頃は、全然笑わないで、全然喋らなかった。
最近では軽口でよく喋り、笑顔も見せるようになった。それだけ視覚を手に入れたことが絶望から抜け出す希望になったんだろう。
でも、このテリトリーという技術は生半可なことでは習得できない。ましてや、ユイカがやろうとしていることは、テリトリーの上位互換だ。
ユイカは一日中、魔力を制御し、魔力と精神をすり減らしながらテリトリーを構築しているのも知っている。
魔力の五感と身体の五感のズレで、ノイズが走った時、身体側に雷に貫かれたようや強烈な痛みが来ることも知っている。
しかもノイズの痛みは感覚がズレている限り、止まることは無い。
このテリトリーの技術は、ユイカが涙で包帯を濡らしながら、血の滲むような努力で獲得した技術に他ならない。
「お前の頑張ってる姿、俺は好きだよ」
「えッ!?」
大きな声を出したユイカは、頬と耳までパッと真っ赤になった。
「大丈夫か?」
「う、うん。平気」
「いきなり大声出すなよ」
「ごめん、でもアイクが悪いんだよ。私のこと好きだなんて言うから」
「そうか。じゃもう言わない」
「だめ、言って」
ユイカは俺の手を両手で握って、顔を近づけ、至近距離で訴えてくる。
「え?」
俺に女心は分かりそうにないと思った今日この頃だった。
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