(2)
前世の私は戸隠出雲に恋をしていた。
出雲が相手の夢小説を読みまくっていたし、毎日のように出雲との妄想を脳内で繰り広げていた。
勢い余って出雲が相手の夢小説を書いたりもした。それはさすがにどこかの投稿サイトやSNSへお出しする勇気はなかったけれども、自分のために書いた夢小説は何度か読み返して悦に浸ったものだ。
けれども夢小説のヒロインに感情移入はできても、自分に置き換えて妄想したことはない。
……というか、妄想できなかった。
前世の私は典型的陰キャオタク。冴えない容姿に洗練されているとは言えない所作、コミュ障一歩手前のどうしようもない性格……。
そんな女が出雲の隣に立ち、あまつさえ恋愛関係になったりすることを、前世の私は許容できなかった。
だからいつだって妄想するときは私が考え得る理想の人間を作り上げて、そんな人間を出雲が愛する……というパターンがお決まりだった。
でも今世はどうだろう。
ぶっちゃけ今世の私の見た目は前世とは比べるべくもなく、見苦しくない。
ぱっちり二重のお目目をしているだけで、今世の私は少なくとも前世の私よりは可愛い。
性格は……引っ込み思案のコミュ障一歩手前の陰キャのままだったが、前世よりは自分に自信が持てていると思う。
その理由はちょっとイイ感じの容姿を生まれ持ったから、というだけではない。
前世の記憶を取り戻してから、私は積極的に勉強に励むようになったのだ。
両親は厳しさとは正反対のおおらかさの持ち主だったので、「そんなに必死になって勉強しなくても」という感じだったが、私は「好きでしていること」と押し通した。
実際には、別に勉強することは特別好きではなかった。
たしかに新しい知識を得られるのは楽しいが、じゃあ勉強に打ち込むのが好きかと問われれば、ちょっと違う、という感じだ。
けれども前世の私はろくなコミュニケーション能力もないくせに勉強も怠った結果、微妙にブラックな会社にしか就職できなかった。
そして恐らく過労死。
出雲のことは置いておいても、そんな未来を繰り返すのはイヤだった。
私は前世のイヤな思い出に駆り立てられたこともあって勉強に打ち込んだ。
その結果、多少なりとも自分に自信が持てるようになったのだ。
少なくとも前世の自分よりはマシ――という、少しネガティヴな思いからくる自信ではあったが、勉強をすることにより、自己評価が上向いたことはたしかだ。
「
幾度目かの出雲とのお出かけ――無論家族ぐるみの付き合いなのでふたりきりではない――で、テストの話になったとき。
出雲も私も裕福な家庭の子供だからなのか、は定かではないが当たり前のように私立の小学校に通っており、公立よりもレベルの高い授業を受けているという自覚は――少なくとも私には――あった。
テストも普通に授業を受けていれば満点が取れるというようなものではなかったが、前世の知識と今世の努力が合わさって、私は良い成績をキープできていた。
出雲のその言葉は、今思い返すとお世辞もあったかもしれない。
出雲だって成績はトップクラスと聞いている。
漫画で見た、今私の目の前にいる出雲よりも成長した出雲も、勉強ができるという設定だった。
そのことを忘れていたわけではないけれど、出雲に尊敬の目で見られて、褒められるという体験は、私にとっては毒にも等しかった。
早い話が舞い上がったのである。
前世の私ならともかく、今世の私ならば出雲の隣に立つにふさわしい人間になれるのではないかと、思ったのである。
「出雲には及ばないけどね」などと本心半分、謙遜半分で答えながら、その頭の中は――どうやったら出雲の恋人になれるのかという邪念でいっぱいになった。
そして思ったのだ。
――今から出雲にアピールしまくれば、ワンチャン恋人になれるんじゃね?
と。
戸隠家と家族ぐるみでの付き合いをしているところからして、彼らの中で私の印象は悪くはないはずだ。
出雲のご両親からすれば、出雲は大事なひとり息子。そんな息子が同じ歳の異性とたびたび遊ぶことを許容しているのだから、きっとそうだと私は思った。
きっと出雲のご両親は、出雲がイヤがればやんわりと私たちとの付き合いに距離を置くだろう。
そうなっていないということは、私に対する好感度はそれなりにあるに違いない。
加えて、今の私は出雲の幼馴染というポジション。
そのアドバンテージを生かし、今から出雲にアピールして行けば、ゆくゆくは恋人になれる可能性はゼロではないだろう。
私の脳内は一瞬にして邪念にまみれ、桃色に染まった。
けれども「急いては事を仕損じる」。
幼馴染というアドバンテージを生かし、ここからじっくりゆっくりと出雲を攻略して行けばいいと、はやる気持ちをおさえつけた。
私はとにかく出雲を褒めるようになった。
「出雲ってすごいよね」という、もちろんそれはおべっかなどではなく、心からの言葉であったことは付記しておく。
私からすれば出雲の素晴らしいところや好きなところを見つけるだなんて、イージーすぎた。
別に考えなくたって、心の底からどんどんと出雲を褒めたいところや、好きなところは湧いて出てくる。
「出雲ってすごいよね」という言葉に、照れ臭そうにする出雲は可愛かった。
きっとご両親からもたっぷりと愛されているだろうし、立場や、純粋にその能力を褒められることなんてきっと多いだろうに、それでも出雲は私の褒め言葉を聞くとはにかんで笑ってくれた。
出雲は勉強もできるし、スポーツもできるし、立派なご両親がいて、容姿も優れていて、それでいて驕ったところのないできた人間だった。
そんな出雲の隣に立つにふさわしい人間であれるよう、私も努力した。
授業の予習復習は当たり前。身だしなみにも気を遣って、早くからスキンケアなどにも手をつけた。
そしてアプローチは「純粋素直」を掲げて行った。
それは私に恋愛スキルが皆無だったせいでもあるのだが、やはり大好きな出雲の前で嘘偽りはよくないと思ったのだ。
それに気持ちを伝えるならば、無駄に着飾ったり迂遠であったりするよりも、ストレートなほうがいいだろうと思ったこともある。
やはりまずは素直に、まっすぐに思いを伝えて、技巧を施すのはそこから先の話でいいと思ったのだ。
だから私は出雲を好きだという気持ちをあまり隠さなかった。
とは言えども、気持ちを押しつけるのもよくないだろう。
言葉には気を遣って、好意を伝えはしても、友情の範疇に収まるものを選んだ。
まだ互いに小学生だったから、というのもある。
幼馴染というアドバンテージを生かし、歳を重ねて、友愛をいずれ恋愛へと変える――。
私はそういう長期計画を立てていた。
けれどもその計画は唐突に破綻する。
「ねえ、紬の『好き』ってさ……どういう意味の『好き』なの?」
忘れもしない戸隠家のプライベートビーチ。
毎年恒例の海水浴の場で、出雲が私の耳に唇を寄せてきた。
耳朶に出雲の吐息が当たり、そして投げかけられた言葉に、私は硬直してしまう。
「教えてよ」
あわてて横を向いて見れば、出雲の頬は真夏の直射日光のせいではない朱が差していて――。
……小学五年生の夏、私と出雲は恋人になった。
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