(4)

 私の知る出雲は、柔和だけれども、どこか陰のあるイケメン御曹司キャラ。


 なんでもできる天才肌に見えるけれど、それだけじゃない努力家な一面も持っている。


 ……でも、その大半は前世で読んだ漫画で知っている出雲だ。


 この世界の出雲と、私の知る出雲に相違があるのはおかしいことじゃない。


 なぜなら前世の私が大好きだった漫画――『あやかsickしっくレコード』は妖怪が登場するいわゆる「あやかしモノ」の現代ファンタジー作品。


 主人公の「あやか」くん――女みたいな名前だが男だ――とあやかしたちの日常とバトルを描いた少年漫画である。


 そして戸隠出雲はまだ若い巻数から登場する、準レギュラーくらいのキャラクターだった。


 私の前世では――少なくとも私の知る限りでは――妖怪なんてものは実在しない。


 転生してからも見たことはない。


 けれどもそれを私はいぶかしく思ったことはなかった。


 『あやかsickレコード』においては妖怪たちは数を減らし、人間からは隠れて暮らしているという設定があったからだ。


 だが引っかかることはあった。


 なにを隠そう、『あやかsickレコード』において、出雲は妖怪の血を引いているのである。


 『あやかsickレコード』ではそのことでまあ当然のごとくひと悶着あり、主人公のあやかくんと縁ができるというエピソードが存在する。


 出雲の妖怪の血は母方のもので、遥か昔に家督繁栄のために迎え入れた妖狐が起源なのだ――と、漫画内では説明されていた。


 そして出雲のどこか陰のある様子は、母親が若くして亡くなったことも要因のひとつ。


 出雲の母親は先祖返りを起こしてひとの身には余る、妖狐としての本性――魂に翻弄され、その末に事故死に近い形で亡くなる。


 それを間近で見ていた出雲は、穏やかで大人びているが、どこか陰鬱な空気を隠せていない少年へと育つ――。


 しかし、私の知る出雲のお母様はバリバリご存命だ。


 ご存命だし普通に元気だし、普通の上流階級のお母様って感じの品格のある人間だ。


 前世の記憶を取り戻した当初の私は、元気な出雲のお母様を見て、いずれお亡くなりになるのか……と危機感を持ったし、かなり憂鬱にもなった。


 けれども前世からしてモブの中のモブ、みたいな私にできることなんてなにもなくて。


 もどかしく思いながらもただ見守るしかできなかったのだが――私と出雲が中学生になった今でも、出雲のお母様はバリバリご存命だし、普通に心身ともに健康体の様子である。


 漫画の中では妖狐の先祖返りを起こした自らの母親について、出雲は「いい母親ではなかった」と言うシーンがあるのだが、私の今いる世界において、戸隠母子おやこに確執があるようにはまったく見えない。


 いや、私なんてものごとを表面で捉えるので精いっぱいだから、もしかしたら知らないだけでなんらかの軋轢が存在している可能性はある。


 でも出雲からお母様について特別なにかを聞かされたことはないし、お母様も普通にいいひとに見える。


 母子の仲だって、ごく普通の関係に見える。


 だから私は思ったのだ。


 ――ははーん、なるほど? 私が今いる世界は……二次創作で言うところの「平和軸」とか「平和時空」とかいうやつだな?


 と。


 妖怪の「よ」の字も出てこないのは、「平和時空」だから。


 出雲のお母様が品格のあるごく普通の人間なのは、「平和時空」だから。


 だから出雲が屈折するような隙も、出来事も起こらず、「平和」な日々が紡がれている――。


 私はそう、いいように解釈した。


 あるいは、妖怪が実在したとしても、漫画での設定から考えて、モブである私には認知できないのだろうとか、都合よく考えた。


 だから妖怪たちの抗争に巻き込まれたりする心配はないのだと思った。


 だって、ここは「平和時空」だから。


 そう判断した私は、出雲と恋人になれるべくあらゆる努力をし、邁進し、そして目的を達成した。


 そうしてから気づいたのだ。


 この世界の「愛情表現」はおかしい――と。


 恋人同士伴侶同士であれば、GPSで居場所を常時把握するのは当たり前。


 相手が望むのならば異性同性かかわらず連絡を絶つことだって、愛しているのであれば当たり前。


 殺人は犯罪だけれど、みんな「愛しているのなら仕方がないよね」という反応。


 ……たしかに恋愛ドラマなんかでそういう言動を何度も見たけれども、私はそれをフィションにありがちな誇張表現だと思っていた。


 「それにしてはなんだかこういう展開、頻出するな~」とは思ったけれども、私は流してしまっていた。


 私はそういった「愛情表現」を素晴らしいとは思わなかったが、世間的にはウケがいいから何度も出てくるのだろうと考えた。


 ……私は自分が思っている以上に鈍感で、察しの悪い人間なのだろう。


 だから、気がついたときには出雲は立派なヤンデレになっていた。


 今もなお、きっかけはよくわからない。


 あの「クリスマスプレゼント高価すぎ事件」がきっかけかなとは思っているが、それにしたって斜め上に進化しすぎである。


 それがきっかけであれば、どうか私にBボタンで進化キャンセルできる時間を与えてくれよと思わなくもないが、現実にはそんなシステムは存在しないため、私が口先だけで出雲を翻意させられるかどうかは、わからない。


 いずれにせよ、私がおろおろとしているあいだにも、出雲は順調にヤンデレとして進化していったことだけは、たしかである。


 そして今日の出雲はついに自らの体液――血液――を食品に混入させるに至った。


 指ザックリ切って血いれたの? 痛いじゃん? やめよ?


 そう思いながらも私は「『せ』から始まるほうの体液じゃないぶんまだマシかな~」などと現実逃避的に考える。


 どちらも食品に混入されてはめちゃくちゃイヤだが、どちらがマシかと問われれば、圧倒的に前者のほうだろう。


 そして私は心の中にある出雲に対する好感度ゲージがもりもりと減って行くのを感じた。


「出雲……二度とこんなことしないで」

「え? ……イヤだった?」


 ――あったりめーだるぉ!?


 巻き舌でそう言いたくなるのを私はぐっとこらえる。


「出雲が私のことを愛してくれてるのは伝わってきたよ。でも、私も出雲のこと大好きだから、出雲が傷つくところは見たくないな……」


 私よりも高い位置にある出雲の顔へ向けて、渾身の上目遣いを披露する。


 私は必死だった。


 今ここで出雲の暴挙を許せば、今後どんなものを食わされるかわかったものではないからだ。


「! 紬……」

「ね、お願い。私の言うことは聞けないかな……?」

「そんなことないよ! 紬の『お願い』なら仕方ないかな……」


 私は心の中でガッツポーズをした。


 同時に、疲労感がどっと背中に押し寄せてくるような錯覚があった。


 私の脳裏に「なんか違う」という言葉がくるくると回っている。


 ――おかしいな。せっかく推しの出雲と恋人になれたのに……なんで私は神経をすり減らしてるんだ?


 しかしその疑問を空に投げかけたとて、答えてくれる神はあらわれそうになかった。

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