プライマル・イン・サイト

しどろ

第1話

その犬の子は「小太郎」と言った。最後にその名が呼ばれたのは、何年も前に母がキツネに食べられる前に呟いたそれきりであった。以来、小太郎はすべてのプライマル──動物と人間の遺伝子を併せ持つ存在──を憎み、幼いながらに盗賊となり、代わりに自由と、幾ばくかの不自由を得ることになったのである。

社会という存在を捨てた彼は、まさに自由であった。何をしても怒られることがなく、何をしても逃げることができた。

プライマル同士で殺し合うこの世界に、もはや秩序も倫理も無いようなものだったが、それでもいくつかのプライマルたちは社会を作ろうと努力していた。小太郎がかつて住んでいたイヌ族の村はキツネ族に滅ぼされてしまったが、北にはペンギン族とか、西にはキリン族とか、色々な勢力がいることは、村にいたときに保母が教えてくれた。村が襲われたとき、彼女は真っ先に村の子どもたちを引き連れて逃げ出したが、小太郎はそのときトイレにいて、一緒に連れていってもらえなかった。自分は助けてもらえなかった、その思いだけが今でも胸に残る。小太郎には、今や戻るべき社会は存在しなかった。

不自由だったのは、当然その盗賊としての生き方によるものである。今まさに小太郎は不自由であった。後ろ手に縛り上げられ、心当たりのある罪を問われる。

「あまり大人を馬鹿にするな、犬ころが」

イノシシの大男が言った。

「村の宝物庫を荒らしたのはお前だ。俺の娘が見たと言ってるんだ、言い逃れできると思ってんのか」

「やってません。ほら、僕は今何も持っていないじゃないですか」

「じゃあなんだ。俺の子が嘘をついたって言いてえのか?舐めやがって!」

大男は小太郎を二度三度蹴った。小太郎がなお「やってません」と答えると、今度は頭をげんこつで殴られた。

「お前が悪い!お前がやった!そんだけの話だろうが!」

その程度で動じる小太郎ではなかったが、このまま認めても認めなくても、この男はエスカレートしてさらにひどいことをする、と予想はついた。

「お兄さん、僕はやってません。でも、あの人がやってるのは見ました。あの人は僕によく似ているから、きっと娘さんも間違えたんでしょう」

小太郎は村の中心部を顎で示した。

「あ?どこだよ」

「指させないんです。縄を切ってください」

そう小太郎に言われると、大男は意外にも素直に縄を切り始めた。小太郎は身ひとつで何も持っていないから危険はないと判断したのか、それとも他者を信頼しているのか。だがその信頼が身を滅ぼすのだ、と小太郎は思った。

「ほらあそこです、あそこ──」

指し示す小太郎に大男の頭が近づいた瞬間、小太郎はその首元に噛みついた。首から血が噴き出す。男は慌てて小太郎にナイフを振り上げたが、小太郎はそれを奪い取ると、大男を刺した。魂を失った大男の身体は、だらしなく地面に叩きつけられた。

これだけの大きさがあれば数日は食べられるぞ、と小太郎は思った。村人が狼狽えているのを尻目に、小太郎はその小さな身体で大男の巨体を軽々と持ち上げると、村の調理場で自分と彼の身体を洗い始めた。返り血で真っ赤だった小太郎の毛色は、ようやく元の白さを取り戻した。もうこの村に用はない。


村を出ると雨が降り出したので、小太郎は慌てて草原に捨てられた廃バスに逃げ込んだ。窓ガラスは全部割れていて、雨漏りもひどかったが、無いよりはずっとよかった。優先席に座ってふと両腕を見ると、縄がまだ手首に残っていることに気づいたが、なんかかっこいいのでそのままにしておこう、と思った。

盗んだものの整理をしようと思い、水色の風呂敷を開くと、中は宝の山だった。この風呂敷包みは、あらかじめ村の外に隠しておいたものである。普段は何も持たずに過ごしたほうが、何かあったときに怪しまれずに済むのだ。

まず小太郎が取り出したのは、ピカピカのデニムのオーバーオールだった。服装の如何は心底どうでもよかったが、上等の服を着ているとそれなりに上等に扱われるということも経験的に分かってきたので、ちょっとおしゃれな服を盗んできたのである。本当は全裸のほうが動き回りやすいのだが、まずTシャツを着て、その上からオーバーオールを着てみると、思った以上に自分に似合うな、と感じられた。最後に帽子を被り、靴を履くと、何かの商人らしい格好に見えた。

次に小太郎は、マッチで枝の束に火を付けると、大男の身体を焼き始めた。以前他の個体を生肉のまま放置していたらすぐに腐って大変だったので、雨で湿り切る前にバスの中で調理してしまおうと思ったのである。幸い火の使い方は村で観察していたので、風呂敷の角が少し焦げたりはしたものの、大きな失敗はなく焼き進めることができた。早く食べたい気持ちを抑えられなくなり、小太郎は外側の肉からちょっとずつ食べ始めた。

小太郎が食事をしている間、その匂いに誘われて、バスの近くに忍び寄る影があった。

「ん?」

違和感に気づいた小太郎が外を見ると、視界の端から端まで、両目が赤光りする気味の悪いロボットに囲まれていた。ちょっと背の高いやつから、小さくて平べったいものまで。目が合った1台が告げた。

「プライマル・イン・サイト。殺処分を開始しまス」

しまった。雨だから匂いもそう届かないだろうと思って油断していた。ざっくり数えて2、30台くらいか。

「プライマル・イン・サイト──」

「プライマル・イン・サイト──」

ロボットたちは口々に告げた。小太郎にとって意味のわからない言葉だったが、彼らがこちらを殺す前の名乗り口上のようなものだと理解していた。

大男の肉を抱えて逃げられるか?いや、この匂いのまま逃げれば、どこまで行っても見つかってしまうだろう。小太郎はバスの屋根に登った。

空を見上げると、雲の下に青白く光っているトゲトゲの球体が浮かんでいた。あそこに忌々しき人間たちが住んでいるのだと教えられてきた。小太郎は人間の姿を見たことがなかった。なぜ人間たちは空の上で暮らしているのか、本当に実在するのかもわからなかったが、この世界の混乱を引き起こした主犯であり、この「殺処分ロボット」を送り込んでいる根源であることだけははっきりしていた。

ロボットが一斉に飛びかかってくる。

「こんなときは……これだ!」

小太郎が取り出したのは、花火であった。宝物庫に隠されていたものの一つである。これをガスバーナー型ロボットに投げつけると、ロボットの攻撃によって花火が着火する。一瞬の静寂ののち、花火は雨にも関わらず打ち上がり、凄まじい破裂音が響き渡った。ロボットたちが呆気に取られている間に、小太郎は近くの森に向かって駆け出した。


小太郎は森の中で迷子になっていた。服が水に濡れて体温が奪われていく。地図によればこの辺りに村があるはずだったが、一向に見つからない。雨宿りさせてもらって、あわよくば何か盗れないかと思っていたのに、あるのは地面の変な印ばかり。誰かいる気配はあるのに、誰もいない。雨でにおいも霧散し、わからなくなっていた。

ふと遠くを見ると、木々の隙間から空が見えた。ついに出口かと思い小太郎が近づくと、そこにあったのは巨大な地面の割れ目であった。穴そのものも大きいが、深さが恐ろしく、下を見ても底が見えない。まるで地球の中心まで続いているのではないか、とまで思うほどだ。小太郎は一瞬下を見て後退りした。だが、2歩下がったところ背中を何かに勢いよく突き押された。雨で滑りつつもなんとか崖の淵で落ちるまいと踏ん張り振り返ると、そこにいたのはアナウサギ族の女の子だった。毛は黄土色で、その瞳はこちらを見据え続けている。

「残念。もう一押しってとこだったかな」

「急に突き落とそうとするだなんてひどいじゃないか!まだ何もしてないのに!」

「何もしてない?これを見ても同じことが言えるの?」

彼女が横にずれると、視界の先に広がっていたのは、ロボットの大群がさっき見つけた印のある場所に穴を開け、中に入っていく様子だった。まるでアリが巣穴に帰っていくみたいに。ただし、その穴はアリのものではない。

「まさか、君たちアナウサギの……」

穴の周囲には既にいくつか死体が倒れている。

「そう。あれ、あなたが連れてきたんでしょ?」

ウサギは小太郎に詰め寄った。

「穴の中はいくつも扉があって、侵入を防げてる。それでも入り口の近くにいた子たちは殺された。あなたのせいで」

小太郎は息を詰まらせた。確かに、あのロボットはさっき自分が出会った機体と同型のものであった。

「最近あの機械たちの様子がおかしいからちょっと警戒を強めていたけど、まさかあんな数で来るなんて思ってなかった。あなた、本当に迷惑だから、一度そっから飛び降りてよ」

「そんなこと言ったって……」

小太郎は困惑した。すると、ウサギは大きな声でロボットに向かって「おーーーーーい!!!」と叫んだ。ロボットたちは一斉に小太郎たちのほうを向く。

「えっえっ、おい、何してんだよお前」

「だから、飛び降りるんだって。私も一緒にやってあげるから。ほら、アレ、来てるよ」

「一緒にって何!!僕だけじゃないの!?どういうこと!?」

ロボットの大群は二人に向かってまっすぐに突っ込んでくる。ウサギは小太郎の手を繋ぐと、崖の縁から穴に向かって「そーれっ」と言ってジャンプした。小太郎も一緒になってジャンプした。なぜか、この人だけは信じてもいいかもしれない、と一瞬思ってしまっていた。

宙に浮いた直後、ウサギはパッと手を離した。

「えっ?」

「ごめん!」

ウサギはそう言って、一人だけ崖のへりを掴んだ。小太郎は何が起きたのかもわからないまま穴の底へ落ちてゆく。

「うわああああああああ!!!!!」

ロボットたちも追うように飛び降りていく。少しして、衝撃音。

ウサギは崖にぶら下がったまま小太郎とロボットたちが落ちていったのを確認すると、「よし」と言って崖を這い上がろうと握り手に力を込めた。ところが、最後に1台だけ残っていたロボットが崖の上から顔を見せると、包丁の付いたアームをウサギの指先に振り下ろした。ウサギは避けようとして手を滑らせ、次の瞬間には地上が遠く離れた空に向かって吸い込まれていった。


「ぷはっ、はぁ、はぁ」

二人は水面から顔を出すと、ロボットの残骸に掴まった。周囲は真っ暗で、微かに空から照らされる壁面が見えるのみである。

「ここ、水だったのね。助かるだなんて思ってなかった」

「ほんとに、なんで君みたいなやつと一緒に助かっちゃったんだろう」

小太郎の荷物は周囲に散乱し、もはや回収は不可能だった。

「それで、これからどうすればいいんだろう。目慣れてきた?」

「ちょっとは。なんか人工物が見えるよ。例えば、ほら、目の前に大きな黒い筒みたいな……」

小太郎はウサギに合わせて目を細めてみた。目の前にあったのは巨大な排水溝であった。

「ねえ、なんか私達、排水溝に向かって流されてない?しかも、ただの排水溝じゃなさそう」

ウサギの指摘した通り、排水溝には巨大なプロペラが轟音を立てて回転していた。

「側面に梯子がある!掴まれ!」

小太郎はそう叫び、二人は排水溝の右側にある梯子に必死で掴まった。錆び落ちて段数が抜けている梯子をなんとか登り切ると、排水溝の筒の上には通路があり、僅かに明かりの付いた扉があった。

「明かりだ!入ろう」と小太郎は迷いなく扉に付いているハンドルを回し始める。

「ちょっと待ってよ、どうしてこんな場所に明かりなんて。えっ、もう開いたの?」

「来ないと置いていくよー」

そう言うと小太郎を先頭に、二人は扉の中に入った。中は妙にひんやりしていて、薄暗い廊下が続いていた。

二人で震えながら廊下を抜けると、真っ暗な部屋に出た。

突然機械の起動音がしてポツポツと赤い光が横一直線に点灯し始める。まさか──

「プライマル・イン・サイト。お祝いしまス」

ロボットの声が聞こえ、部屋の明かりが一斉に点いた。応接間のような場所で、ロボットたちが全員パーティー帽を被りながら囃し立てる。

「お祝いしまス!お客サマ!」

クラッカーが空中を舞う。

「誕生日会みたいに賑やかね。ねえ、あなたたちは敵じゃないの?」とウサギが尋ねる。

「ハイ!私達は深雪サマに仕えるお手伝いロボットですかラ。深雪サマは皆サマを愛しておられマス。もういらっしゃいマス」とロボットが答えた。

「ふぅん」

「おいウサギ……こいつらの言ってること信用するつもりかよ」と小太郎が小声で囁く。

「言ってなかったっけ。私キナコって名前よ。私あなたと違ってちゃんと見る目があるから、人に騙されたりしないのよ」

そう言うと彼女は、応接間の椅子に腰掛けた。小太郎も真似をした。

しばらくして、ロボットたちはまたガヤガヤと騒ぎ出した。

「あの深雪とかって人、ようやく来たのかしら」

キナコが振り向くと、そこには長身の白衣を着たキツネが佇んでいた。歳上に見えるが、男性か女性かはわからない。丸眼鏡で、いかにも研究者といった風貌だった。

「おつかれ、キミたち。ここはどこって顔をしているね。ここはボク、深雪の自宅であり、工場であり、学校であり、研究所なんだ。キミたちはあの穴から落ちてきたんだろうね。キミたちと一緒に暮らすことができるなんて嬉しいよ!さあ、ここで暮らしていくためにキミたちにやってもらいたいことを説明するね」

深雪は落ち着いた声色だが、一切口を挟ませるつもりがないほど連続して説明を続ける。

「言いたいことはわかるよ、このロボットは何なんだ、だろう?この子たちはね、ボクの元で育った、純粋無垢なロボットの子ども達なんだ。ボクは人間と、彼らの生んだロボットについて研究していてね。大昔に人間が動物を檻に閉じ込めて自分好みに育てていたように、ボクもロボットを、家畜化してるわけだね」

家畜。すべてのプライマルが忌み嫌う言葉である。今は全滅したが、動物を祖先に持つプライマルたちは、その悲惨な歴史を知っていた。

「つまり、あなたは人間と同じことをしてるってわけね。私達とは相容れない」

「そう結論を急ぐものじゃないよ、ウサギちゃん。敵の敵は味方、だろう。ボクはね、この害悪でろくでもないロボットたちを、善良で僕たちの味方として働いてくれる仲間に変えようと日々研究を続けているんだ。ここにいる子たちはみーんないい子たちばかり。そうだろう?」

そう言うと深雪は近くのロボットの頭を撫でた。ロボットは嬉しそうに深雪にベタベタとくっついている。

「でも、その先に何があるって言うんですか。こんな場所にいたってどうしようもない」と小太郎が睨みつける。

「僕の家族はずる賢いあんたたちキツネ族にやられたんだ。本当は自分たちだけ生き残るとか、そういうつもりだろう」

「『自分たちだけ生き残る』……っていうのは当たってるけど。でもそれはキツネ族のためじゃないさ。ボクもキツネ族が大嫌いなんだ。アイツら、ボクが人間とロボットについて研究していることを知ったら、話も聞かずにボクを誘い出して、突き落としたんだ。ボクは天才だからこうやって第二のホームを作り上げることができたんだけどね。だからね、ボクの言う『自分たち』って言うのは、ここにいる家族全員のことなんだ。みんなでここで楽しく暮らして、寿命が来たら死ぬ。それってすごく幸せなことだと思わないか?」

深雪の問いに、二人は明確な答えを持ち合わせていなかった。確かに地上はろくでもない場所だ。だが──

「それでも、私の家族は地上にいるんです。私は地上に帰らないといけない。それが駄目なら、せめて、地上のみんなをここに連れてこさせて」

キナコが頼み込むが、深雪は険しい表情になっている。

「キミの願いを叶えてあげたいのは山々だけど、残念ながらここに出口はないよ。キミがあの穴の壁を登って行けるなら別だけど。それか、排水ポンプでミンチになりながら地上に吐き出されるか。その二択。ま、何日も暮らしてればきっと忘れることができるよ。何かの拍子にキミの家族が穴から降ってきて、再会できるかもしれないしね」

キナコは家族を馬鹿にされたことに腹を立てているようだったが、何も言わず黙っていた。

「さあ、おしゃべりはこの辺にして、これからキミたちに働いてもらう場所を案内しよう」


騒音の激しい廊下を進むと、左右に大きな窓が現れ、眼下に巨大な作業現場が現れた。

「ここがロボット再生産工場B棟。ロボットがロボットを作っているのが見えるだろう。で、あそこで作られた製品をロボットたちが検品してる。ボクはこんな感じで、新しくロボットを作っては不良遺伝子を持つロボットを壊して、彼らの進化を促しているんだよ。すごいだろ」

深雪は自信満々に言った。

「でね、キミたちに任せたいのはここの監督業務なのさ。ここの作業員たちは、無理な進化をさせたこともあるのか突然暴走することがある。それが最近頻発してきて困ってたんだ。ホラ、例えばあそこ、作業員同士で喧嘩を始めた個体がいるだろう。こういうのはね」と言うと、深雪は窓の手前に置かれたレバーを操作した。するとレバーと同期して、クレーンアームが動き、そのロボットを粉々に砕き潰す。

「こうやるんだよ」

周りのロボットたちが一斉にこちらを見つめる。赤い目が、まるで涙を浮かべているように揺らめく。だが、深雪が睨み返すと、ロボットたちはまた作業を再開した。

「まあ、今日はもう遅いから寝たほうがいい。部屋はあっちにあるからね」


二人に充てがわれた部屋はホテルの一室のようになっていて、基本的な備品はすべて完備されていた。照明、空調、トイレ、浴室に調理場。原始的な生活を送ってきた二人にとっては、憧れの家と表現しても過言ではなかった。

「うわっ、ダブルベッドなんだ……」とキナコは呟いた。

「何か不満あんのかよ」

「別に。でもあなたみたいな人とこれから一緒に暮らしていくんだなって自覚しちゃって」

そう言うとキナコはベッドに潜り込んだ。

「今日色々あったし、怪我もしてるから早く寝るつもり」

「そう。じゃあ僕も寝る」と言って、小太郎も布団に入った。照明は時間に合わせて自動的に暗くなっていた。しばらく天井を見つめて、キナコが呟いた。

「ねぇ、小太郎くん。ここに来てからずっと考えてたんだけど、やっぱり私家族がいないと寂しいんだなって気づいた。これからずっと会えないのかなって」

「そっか。僕、ずっと昔から家族がいなくてさ。だから、一人で生きてきて、それで寂しいって思ったことないんだ。でも」

小太郎は掛け布団の下でキナコの手を握った。

「なんか、あのときこうやって手を繋いでから、この手を離すのが怖くなった。だから僕が寝るまで、離さないでほしいんだ」

キナコは優しく握り返した。

「別にいいけど。私のことは信用できるようになったんだ」

「まぁ、うん。今は家族みたいなもんだし」

「そ。おやすみ」

キナコが隣を見ると、小太郎はもう寝息を立てて寝てしまっていた。キナコは眠れなかったが、怪我を早く治さないと、と無理やり目を閉じた。繋いだ手がぽかぽか温かかった。


あれから2週間が経った。二人は仕事にも慣れ、ロボットをアームで潰す日々を送っていた。深雪の言った通り、確かに暴走するロボットの数は日に日に増しているように感じた。

「最近深雪さん見ないね」と小太郎が言った。

「なんか、ロボットの召使いさんが言ってたけど、何やら病気らしいわ」

そんな他愛もない話をしていると、突然作業場に、長く続く不気味な不協和音でサイレンが鳴り始めた。

「人間だ!人間の攻撃が始まるぞ!」

深雪は久々に姿を見せたと思うと、そう叫んで排水溝のある扉に向かって走っていった。

「地上の無線を傍受して分かったんだ。もうまもなく大量のウイルスを積んだロケットが地上に着弾するらしい」

深雪はドアを開け外に出ると、空を見上げた。直後、この深い地下まで揺らすほどの衝撃とともに、地上で大爆発が起こっているのが見えた。崖の一部が崩れ、地底に落ちてくる。

「こりゃまずい。早く戻るぞ」と深雪が言うと、「待って!」と叫びキナコが深雪の手を引いた。空から瓦礫と共に降ってきたのは、アナウサギ族の人々であった。意識を失ったまま、瓦礫に衝突して首だけ吹っ飛んだりしている。

「お父さん!!お母さん!!お兄ちゃん!!!」

「戻るぞ。ウイルスがそろそろ降り注いでくる。時間がない。撤退だ。彼らも既に感染しているかもしれない」

深雪は泣き叫ぶキナコを連れて、無理やり戻り扉を閉ざした。丸窓から、アナウサギ族の死体が流され、排水溝に吸い込まれていくのが見えた。キナコがどんな顔をしているのかは、見なくてもわかった。

「ううっ……やっぱりこの辺りは頭が痛くなる」と言うと、深雪は頭を抱えながら壁にゴスゴスとぶつかりつつ部屋に戻っていった。


その晩、小太郎は深雪の部屋にいた。

「深雪さん、僕、キナコちゃんにどういう顔を向ければいいのかわからないよ。慰めればいいのかも、励ませばいいのかも」

「手を」

深雪は小太郎の手を握った。

「手を握ってあげなさい。それが一番の弔いになるから。そうだね。ボクだって、あの子にひどいことを言ってしまった。家族との『再会』がそんな意味になるかもしれないだなんて、思ってもいなかった」

それから、深雪は間をおいて言った。

「なあ、キミに相談があるんだ。ボクの後を継いでほしい」

突然の言葉に小太郎は驚いた。

「実は、もうボクのカラダは長く持たない。ボクはね、身体の半分は機械でできているんだ。興味本位で始めたら中々楽しくてね。だけど、最近人間たちがロボットへの司令無線の電波強度を強力に高めてるみたいで、ロボットの残骸を使ってたボクのカラダはこの有様さ。もう動けないんだ」

昼とは違うサイレンがどこからか聞こえてきて、その音は次第に大きくなった。

「やっぱりだ。ロボットたちの暴走もきっとこの電波が原因なんだ。もっと早く気づくべきだった。暴走したロボットたちがボクらを殺しにくる。小太郎くん、この鍵を持って管制室にあるコントロールパネルを開けて、89番のボタンを押してくれ。あの穴を塞ぐ大きな屋根が起動するんだ。そうすればこの電波は遮断できる」

「そんな!深雪さんは」

「ごめんよ、どちらにせよボクはもう無理だと思う。それから、キナコの部屋のアラートの様子がおかしい。見に行ってくれないか」

「わかった」と言うと、小太郎は深雪の部屋を出た。廊下では、深雪の召使いロボットたちが悲鳴を上げ、頭を壁に打ち付けている。

小太郎が自室に近づくと、扉の近くにロボットの大群が固まっているのが見えた。

「キナコに近づくなあああ!!!」

小太郎は吠え、壁を突き破って部屋に入った。血まみれのベッドの周りには、白衣姿のロボットたちが、医療器具のようなものを持ってキナコを取り囲んでいた。

「おい!しっかりしろ!おい!」

小太郎はキナコの身体を抱きかかえた。キナコの両腕は硬くぶらんと垂れ下がった。

「アーア……バレチャッタ……」

ロボットたちは口々に言った。

「アーア……皮、欲しかったのにナ……」

「ミンナに信用、されたかったのにナ……」

「アーア」「アーア」の大合唱の中、キナコはハッとまぶたを開けた。麻酔が切れたのだ。

「何、何これ!?……え?私の腕、どうなってる?」

キナコは腕を動かそうとしたが、動かない。というより、感覚が無かった。ただ筋肉が断裂した痛みだけが駆け巡っていた。ベッドサイドには、酸化して真っ黒になった両腕の骨と筋肉が無造作に置かれていた。


ロボットがひしめく廊下を壁を蹴りながら走り小太郎が管制室の扉を開けると、中からも大量にロボットが飛び出してきた。

「「プライマル・イン・サイト」」

ロボットたちが襲いかかる。

「キナコ!!戦えるか!?」

「うん!」と彼女は言った。動かすことのできない、機械の詰まった腕を振り回しながら。

小太郎はキナコに背後を任せると、コントロールパネルの鍵を開け、89番のボタンを勢いよく押した。

「頼む!!止まってくれ!!」

「小太郎!!上!!」

キナコに言われ小太郎が上を見ると、銃撃型ロボットと目が合った。

「やっべ……」

小太郎が覚悟を決めた瞬間、ズドンと地面が揺れた。ロボットの銃弾は小太郎を外れ地面に撃ち込まれた。振動はさらに大きくなり、管制室の棚が倒れ書籍が散乱した。

「これは──」

そう言いかけて、天井に張り付いていたロボットが、小太郎の頭上に落下してきた。

「いって」

廊下を見ると、ロボットたちは次々に目の光を失って床に倒れていった。

「やった……のね」

遥か遠くで大きな門が閉まる音がした。通信が完全に遮断されたのだ。小太郎もキナコも、その場にへにゃへにゃと座りこんでしまった。戦いは終わった。


この世界には人類しかいなかった。

ただし、ただ二人だけ、プライマルという種族が地下深くに住んでいる。

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