第117話 戦闘開始
目の前に立つ、細長い生命体は、何一つ言葉を発することなく
一旦立ち上がって、両腕を組んで上へと伸ばし、背中を軽く逸らせる。ここに辿り着くまでに結構時間が掛かったせいで、実体に戻ってくるのが凄い久しぶりのような気がする。足元が覚束ないような、微妙に気持ちの悪い感覚がした。
長い沈黙の後、男が口を開く。
「…………如何にしてこの場所まで辿り着いた?」
抉じ開けられた眼球の奥には、ガラス細工のような翡翠色の瞳が覗いていて、一度も瞬きをしないままにこちらを凝視している。白い唇が動いて、その隙間から言葉が発せられているのが何故か不思議だった。何か別の生物が人間を象っているような違和感があった。
空間全体に響くような彼の声が、部屋全体に広がる。
「めっちゃ頑張りました」
馬鹿正直に答えたところで、別に不具合がある訳ではないが、かと言って得がある訳でもないので、適当な返答を投げて返す。
男の周囲に飛んでいる、丁度彼の瞳の色と同じような色合いをした光は、ただただ彼の手の周囲を飛び回っていた。それが、この白い空間の中では唯一の光。ただ、どういう訳か、空間の中は光で満ちていて、逆に浮遊する光の球の方が白い光の中に呑み込まれて行きそうに見える。
男はまた黙った後、興味を失ったように視線を他へと移す。彼が顔を向けた先には、何かモニターのようなものが浮遊していて、そこに下界の景色が映し出されていた。
その画面の中には、瓦解した建物の多くが見える。見覚えのある、都心の光景だった。それが過去の映像か現在の映像かは分からないが、細かい瓦礫が取り除かれている所を見ると恐らく後者で、大きな修復は進んでいないのだろう。
「…………
此方の問いかけに、男は一拍置いてから答える。
「さあ。時間は掛かった。ただ、難しいとは呼べないだろう。この世界自体を作った者の方が遥かに階位が高い。私はその中に少しのモジュールを足しただけだ」
「じゃあ、龍は?」
矢継ぎ早の質問に、男は少し不機嫌そうにする。ただ、こちらに視線を向けて引く気がないことが分かったのか、若干の諦めの表情を作ってから答えた。
「あれも先程の物と同じ程度の時間は掛かった。ただ、それだけだ。空間自体を創造することと比べたら児戯に等しい。見ろ、この世界を。あそこまで完成した物理法則を想像することが如何に難しいか」
まぁ、そんなものか。
此方が興味を無くしたのが分かったのか、男はまた沈黙へと戻った。そのまま、熱心に下界を見つめ始めた。
この男がどんな意図を持って
まぁ、そうなのだろう。この男からしたら、それらは適当に付け足したパッチでしかない。彼がそう称した通り、児戯に等しいものなのだろう。
男へと近寄る。
彼は気にした様子もなく、やはり画面を眺めていた。今度は別の光景が流れていた。そして直ぐに画面が切り替わり、その後は次々と様々な人間の生活の様子が映し出されて行く。街の中を歩く女子高生二人、幸せそうな家族、デスクに突っ伏す男─────。
一瞬だけ、見覚えのある顔が映ったような気がした。少し前には毎日目にしていたはずの、彼女の顔を。
思わず、拳が出る。
男は反応しなかった。その白い顔面が弾け飛んで────しかし逆再生のように再集結して、頭蓋を形作る。
一瞬で元に戻った男は、怪訝な顔をしてこちらを見ていた。
「そんなことをして何になる? 例えお前が────」
まぁ、何となく分かっていた。どうせ、こんな存在に物理的な攻撃が効く訳がない。ただ、物質として一旦破壊されたのは想定外だったが。最悪では触れる前に殺されるか、それか此方が手も足も出せない状況に押し込まれると思った。
それこそ、
目の前の存在に対して、魔力の扱いで勝負しようとしても勝てる未来が見えない。そもそも魔力という概念を作ったのがこの男であるだろう以上、敵の土俵へと上がるような行動になりかねない。
だからこそ、他の方法を。
魔力を強制的に操ることにはそれ相応の力がいる。ただ、物質と魔力の変換であれば、自分は嫌と言うほどこの数日で繰り返して来た。
今のこの場の、魔力と物質の境界があやふやな状況の方が馴染のない自分にとって、それを物質へと────自分が生まれてこの方馴染んできたものへと、強制的に還元させることは、そこまで難しいことではない。
「────何を」
もう一度、男の事を殴る。
残像すら残らない速度でそれを避けた男は、そのままの勢いで体勢を下げた。そして地面に着いた両手を、右足で、渾身の力で蹴り付ける。
男は悲鳴を上げた。その腕が、弾ける。血液が空間内に飛び散って、単調な白色の中に赤の差し色が走る。
その腕は、今度は元には戻ってこなかった。
さぁ、始めようじゃないか。
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