第118話 グロテスク
男が動揺した表情を見せたのは少しの間だけだった。体勢を立て直した頃には、顔面から感情の全てが抜け落ち、失った筈の両腕はいつの間にか再生している。
ただ、頭を殴った時とは異なり、飛び散った腕の残骸はその場に残されたままだった。
無表情となった男は、口を開く様子もなく、ただひたすらに直立してこちらを見ていた。重たい沈黙が横たわって、体を動かすことも出来ずに、ただただ見つめ返す。
最初に動いたのは男だった。凝視していたその視線の先、そこから男の姿が急に消滅し────嫌な予感がして、体勢を低くする。
自分の頭部があった所を、男の手が突き刺していた。手を真っ直ぐと伸ばし、頭蓋ごと貫かんばかりの、殴るという単語を知らないような攻撃の仕方だった。
腰を落としたまま、男の腹部を殴り付けようとする。それを右足を引いて避けた男は、そのまま手刀を落としてくる。
左手で弾こうと、男が伸ばした手に拳を叩き付けた。生物としてあり得ない程の硬さが、感触として伝わってくる。辛うじて方向が変わった手刀は、そのまま地面へと突き刺さった。
後方へと飛び、一度体勢を整える。そこに追撃とばかりに迫って来た男が、同じように手を突き出してくる。今度は腹部へと。
右足に力を入れる。地面に罅が入り、しかしその小さな破裂音が届くよりも前に、体を翻して攻撃を避けながら男を殴り付ける。男はそれを右手で受け止めていた。逃げようにも、あまりにも力強く掴まれているせいで逃げ出せない。
握り潰された拳から、骨が折れる音が響いて来る。
弾みを付けて、左手を捩じり上げながら引いた。筋の切れるような鈍い音、そして骨が外れる重たい音の後に、手首が千切れる。
急いで距離を取れば、その反動のように切断面から赤い血液が大量に噴き出してきた。右手で傷口を握り締め、気合で止血をする。
そのまま意識を集中して、魔力を固体化させて腕を再構築した。血液が急に失われ過ぎたせいか、頭から血の気が引くような気配がする。
此方の酩酊状態に気が付いたのか、男は急速に距離を詰めて来た。その直線的な動きを避けつつ、自由だった右足で蹴り付ける。彼は避け損ねたのか、伸ばした足が彼の足首を捉えた。
目の前で、男の体が宙に浮いて行くのが見える。その中でも彼は体勢を整えて、足を延ばしてくる。それを避けて、また距離を取る。
魔力を固めて空中に足場を作った男が、その足場を利用して再度こちらに突っ込んで来た。それを潜り抜けて避ける。男はそのまま体を翻して地面に着地し、追尾するようにまた跳ぶ。
男が此方へと跳び込んで来る光景を見ながら、両腕を前に掲げる。そして、周囲の魔力を集めて五つの剣を具現化させた。
空中に浮かせたその内の一つを掴み取り、もう目前に迫った男へと振り下ろす。
────衝撃。
彼はいつの間にか盾を手にしていた。そして反対の手には、剣が確りと握られている。
剣一つを、男へと投げつける。そして空中から別のものを掴み、そのまま男へと切り掛かった。空を切って行った剣は、男へと辿り着く前に消滅する。次の剣も盾を用いて容易に防がれた。
流石に、既に男の体を物質体に拘束している状態で、自らの手を離れた魔力の塊を制御し続けるのは至難の業だった。距離的な問題もあって、男の付近では、無理やり魔力体へと戻されてしまったらどうしようもない。
男が盾を振りかぶり、頭上から振り下ろした。それを剣で弾けば、流れるように斬撃が跳んでくる。体を捩ってそれを避け────跳ね上がった剣がそのまま腹部を切り裂く。
鋭い痛みが全身を走り抜けた。此方が回復する隙すら与えずに、男は剣を叩き付けて来る。彼はもう既に盾を手放していた。
必死に猛攻を避けながら、段々と後ろへと下がって行く。
ふと、何かに足が取られた。瞳だけで下を見れば、植物の
その合間にも、男は攻撃を止めない。
段々と腹の傷から血が溢れ始めた。慌てて腹部を魔力で回復する。
男の剣の軌道が、段々と理解のできないものに変わって行く。進行方向が瞬く間に変化していき、剣が翻って、予想だにしないところから切っ先が跳んでくる。
彼は人間の体に拘りなどないのか、気が付けば腕の数は増え、頭の数も増え、意味の分からない部分から足が生え、
伸ばされた腕の一つを切り飛ばす。最早その腕には、血液は流れて居ないようだった。宙を舞う腕は、血抜きの為された食肉のようで、ただただ筋組織が見て取れるのみ。
…………ここまで来てしまうと何をすれば死ぬのかが分からない。本当に嫌気が差すが、物質の肉体の中に閉じ込められているだけまだマシだと思おうか。
魔力体へと脱出しようとする男の抵抗は感じるが、まだその部分の支配を覆されるような気配はない。
まだ戦える。
まだ抗える。
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