第109話 炎

(佐藤淳介視点)



 何の躊躇いもなく駆け寄って来た龍が、そのままの勢いで頭部をこちらへと伸ばしてくる。大口を開いて、その牙を晒しながら。それを避けつつ、岩場を走る。


 結局、切り落とした足の指は殆ど効果がなかったようで、龍は傷をまるで気にしないように行動している。翼を広げて、半ば飛ぶようにしながら駆け寄ってくる彼は、その太い足を持ち上げて付近の岩を蹴り飛ばした。弾けるようにして砕け、その破片が周囲へと軽く鋭い音を立てながら飛んで行く。

 足元に一つ飛んで来たのを反射で避け、焦燥感に身を任せて肩越しに後方の光景を確認した。龍は既に追いかけるのを辞めている。彼はそのまま空中へと飛び立っていった。


 …………流石に、このまま遠くへと飛んで行かれるということはないと思うのだが。ただ、あまり自信は無い。

 まぁ、良く考えずとも、何かしら大きなダメージを与えられる手段が無ければ、結局決着はつかないことになる。空中へと行動範囲が広がっているというのはそれだけ大きな優位性アドバンテージだった。少しずつ体力を削って行ったとして、距離を取られて回復でもされたら目も当てられない。今更どこかに飛び去られたところで、こちらが不利なことには変わりなかった。


 ただ、今回こうして龍と闘っているのは、勝利だけが目的ではない。一応は人間の一員として、既に多数の命を奪っている龍の存在を看過することはできないものの、急き込んだからと言って勝率が上がるわけではない。

 目下気にしているのは、魔力関連で何かしら自分が知らない事項がないかどうか。結局、何故に魔力が怪我の治癒に影響するのかも分からなければ、睡眠時間が大幅に減ったのも、膂力が増加したのも理由は分からない。無知の知とは良く言ったものだが、知らぬ効用があるものに対して対策も何もあったものではないだろう。取り敢えずは知ることから始めなければ、一寸先どころか、光が何も見当たらないなんて事態に陥りかねない。


 と、急に背筋に戦慄が走るような感触がして、必死にその場を離れる。急な動作に吊りかけた足が悲鳴を上げるも、速度は落とさずに走り続けた。


 ────轟音と共に、灼熱が辺りを襲う。


 何が起きたのかが、一瞬判らなかった。肌を襲うような高温が消えて、辺りを見渡せば、未だ残る炎が岩を焼き続けていた。岩場であって尚火が消えていないのは、それだけ高温だったということなのだろう。


 龍が炎を吐くとは、創作物の中では良く見る話だが、実際に相対してみると酷く現実味に欠けていた。常日頃から非現実に接している気ではいたが、ここまで常識を外れられてしまえば、流石に自分の目を疑わざるを得ない。

 生温かい空気が辺りを満たしている。赤熱した岩場は黒いすすのようなものを立ち込めさせていた。


 ……………いや、あの、ズルですね。それ。

 いやね、空飛ぶだけだったらまだ良いっすよ? ただ炎なんてものを吐き出されますとですねえ、流石にこちらもどうしようもないと言いますか………。

 先程は上空に向かって吐き出しただけだったがために、人間に向かって吐かないだとかいう規則ルールでも押し付けられているのかと思ったのだが、実際にはそうでもなかったようで。明らかにはな、、っから創造された生物であれば、行動に謎の縛りが有ってもおかしくはないと思ったんですが。


 取り敢えず、一旦は距離を取らせていただきたい。

 さっきから逃げてしかいないけどね。ちなみにこれは戦略的撤退でも何でもなく。根っからの敵前逃亡ですね。


 ただ実際には、この龍の執拗さがどれだけかが気になっての行動でもあった。この一回で龍の命が奪えるとも思っていなかったからに、今後の撤退の参考にしたい。

 流石にそこまで酷く手を出したわけでもないし、そこまでしつこく追い掛けて来るようなことはないと思うのだが。ゲームか何かのエリアボスさながらに、ある一定の範囲を超えたら諦めて追いかけて来なくなるなんて言う挙動をしてもおかしくない。


 まぁ、何にせよ、結局は様子見でしかないんですけどね。


 ということで、頭の中は割と冷静でいられているものの、現実では案外全力疾走していたりもする。何せ派手に追いかけ回されたら絶望的な訳で。

 一旦は逃げた実績を作っておいて、次からはそれを精神的支えにして戦っていきましょうという魂胆ですね。実際これでメンタルに余裕ができるかと言われたら、そんなこともないと思いはするんですが。まぁ、それはそれということで。


 何度か後ろを振り返りながら、山を下って逃げて行く。直線的だと炎で焼かれて死にかねないので、あんまり直線的な動きにはならないように。加えて、振り返ったときに転んだりしないように。

 足場が悪い中で走る経験は何度もしてきたはずなのだが、後ろから狙われているという状況だけでこうも辛いものだとは思ってもいなかった。


 段々と息が切れて来る。小規模な断崖を飛び降りて、一瞬体を沈めて衝撃を受ける。その反動を利用してさらに前へと跳び、速度を上げながら足を前へと踏み出して行く。

 緊張と、単調な移動のせいで、足の感覚が麻痺してきた。無意識に両脚が動いているかのような奇妙な感覚に包まれつつ、速度は緩めないように気を確かに保つ。


 数分して、やっと上空から龍の姿が消えた。

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