第90話 台風の目

「俺は、どんな理由があっても止めるべきではないと思う」


 各々が御座なりな変装をして入ったカフェ、その一席で遼河が声を抑えつつ言った。


 結局あの後、彼らはもう一度曽根に連絡を取った。重大な事情があるとはいえ電話上で伝えられない訳でもないだろうと遼河が言い張った結果だった。

 共同生活施設の訪問の間不気味にも沈黙を保っていたこの男は、誰よりも現状の酷さを実感していた。それは何も家族を喪った過去を持つというだけではなく、それを受けて自らの手で様々な情報を調べようとしたためだ。


『一度に大量の迷宮ダンジョンを攻略することに対する危険性があるかもしれないとのことだ。………まぁ、具体的に言ってしまえば、反動で魔物が大量に生み出されるかもしれない、と。今回の計画を受けて、そうした旨の研究結果が届いた。資料は写真データとして送信しておく。あまり機種上に残したい情報でもないが、良いだろう』


 電話越しでそう言った、やけに強張った曽根の声が思い出された。


「…………ただ、ちゃんとした研究所が出してる情報ではあるんでしょう?」


 想定外の凄惨な光景に充てられたのか、常日頃からエネルギッシュであったはずの沙良は、珍しく弱気だ。自分たちの行動にどれだけの責任が伴っているか、それを実感していなかったわけではなかったが、自らの力を必要としている――――――自分たちが何かしら行動を起こさなければ命を落としかねない者達がいるとこうも思い知らされたのは、彼女にとっては晴天の霹靂だった。

 無鉄砲と、勇敢は違う。彼女の行動に責任感が伴っていたかどうか、それを知る者は彼女以外にいない。


ちゃん、、、とした、、、ってのがどこまで信用できる言葉かは分からないだろう? 俺は所属してる企業の都合上研究所関連の話を聞くことも少なくはないが、少なくともこの橘研究所っていうのは聞いたことがない」


 基次郎は、そう言って肇の方へと視線を向けた。彼は曽根から送信されてきた報告書を見つめているだけで、何かを口にする様子はなかった。携帯の画面から顔を上げる気配すらない。


 この四人の内誰もが、心のどこかで『計画は実行すべきだ』という意識を持っている。今日という日だからこそ、その思いはより一層強くなっていると言っても良かった。

 彼らがあそこを訪れたのは、誰かに依頼されてのことではない。肇の提案で、自分たちが干渉する場所の下見をしておくべきだという結論に至ったためであり、移動手段の用意から食料の準備まで全て彼らの独断だった。

 曽根林太郎にとっては、最悪のタイミングだったというべきなのかもしれない。知らされるのが今の今でなければ、彼らの対応は更に違っていたのかもしれないのだから。


「…………ねぇ、肇。その報告書の内容を知らない限りは厳密な話もできないし、折角読んでるんだから私たちにも少しは共有してよ」

「ん? あぁ………」


 集中していて彼らの存在を失念していたらしい肇は、平坦な口調で報告書の内容を掻い摘んで説明した。


 三人が内容を吟味している間に、肇は話を終える。


「もしこれが本当ならば、自分たちが手を出すことは更に南部の地域を危機に陥れかねないっていうことだろう?」

「…………もしこれが本当なら、な。まだ実際そうだと分かった訳じゃないからな?」

「こうやって口論になるっていうか、結論が出ないってのが分かってたから、私たちだけで話し合うんじゃなくて曽根さんの許で会議でもしようっていう話になったんじゃない?」

「曽根さん、ねぇ…………」


 遼河の訝し気な言葉に、沙良はぎょっとした表情を作った。何かを言い掛けて、しかし口を噤んで下を向く。


 やはり肇の口数は少なかった。普段の賑やかさはどこへやら、彼らの口は重い。


 一旦沈黙が場を支配してしまえば、次に誰かが口を開くのは不可能に等しかった。段々と飲み物だけが減って行き、誰も視線を合わせないようにカップや机を眺めている。

 ただ一人、厳しい瞳で資料を眺め続けている肇を除いては。


「…………まだ言ってなかったが、実際にこの魔物の大量発生っていう事例が確認されてるらしい」


 再度話を始めた肇に、三人の視線が集まる。それをちらりと確認した彼は、一息置いた後話を続けた。


「都心部ではなく、離れた土地の更に離れた場所で。一度行ったことがあるが、通常では考えられない異常事態が起こることもある地域だ。それほどまでに人の手が離れている場所で、更に言えば強力な魔物が蔓延っている。…………そんな場所で、この事態は確認されたと」


 何となく話の方向性が見えて来たのか、三人の表情が変わって来た。


「一体どこの誰が、そんな厳しい環境で大量の迷宮ダンジョンを破壊できる?」


 遼河が瞳を輝かせ、基次郎と沙良の二人は顔を上げて視線を見合わせる。


「…………確かに、今この世の中で最高峰だろう俺等でさえ、一度に大規模な範囲で迷宮ダンジョンに対処することはできないだろうな。だからこそ、今回の計画が立てられた訳だ」

「そして、認めたくはないが、こんな明らかにおかしい数値を曽根さんが見逃すとも思えない。…………意図的に見逃したという線も考えるべきだろうね」

「そんな…………」


 先程とは空気感の違う沈黙が四人の間に流れた。

 何もできない、何も考えられないような沈黙ではない。何かしらの行動を起こさなければならない、思考に忙しいが故の沈黙だった。


「どうすべきだ? 曽根さんに一度電話で話をするべきだとも思うが」

「………今彼に話すのが危険ってのも考えられるだろ。逆にここで何か明確なことを言えば、適当に色々でっち上げられるかもしれない訳だ」

「ならどうするのよ?」


 しかしながら結局、話は進まない。

 それも仕方がないことなのだろう。彼らは、今まで与えられた指示に従って動いて来ただけだった。自主性と評するとあまりに陳腐だが、彼らが自ら行動するような機会がなかったのは間違いない。それも今、変わろうとしているのだが。


「………曽根さんに話を通す前に、先に世間の人に知らせておけばいいんじゃない? まず私たちが計画を止めるつもりはないってことを公表してから、そこから曽根さんに話を振ればいい。そうすれば、もみ消されるようなこともないと思うわ」

「それだ。それが良いだろう」

「場所はどうする? こんなカフェの中で生放送する訳にも行かないだろう?」

「………幸いにも、車は近くにある。とんぼ返りにはなるが、南部の迷宮ダンジョンのあたりで発表するのが一番だと思う。俺たちの戦場になる場所だからな」


 人々を守るための戦いを途絶えさせないために、戦場に立って高らかと宣言する。そんなセレモニーが、この救世主たちに似合わないわけがないだろう。

 四人の顔は、先程よりも僅かに輝いているように見えた。何か明確な目的を持った人間というのは、それが何かしらの巨悪に立ち向かう者であれば尚更、高揚感に包まれるというものだ。


 やはり、リゲイナーズは騒動の中心にいる。そして、彼らの周囲は明るい日の光で満ちていた。

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