第76話 都会編 四
武器貰った。やったぁ。
「流石に勝手にいなくなるのはどうかと思うんですが」
…………別にお怒りの大曾根さんを前にして現実逃避してる訳でないんですよ。ほんとに。武器貰ったのは事実ですし。
「前も言いましたよね。どこか行くときは一声かけてほしいって」
頷く。
独りで
「貴方は本当に勝手に消えそうで怖いんです。ちゃんと言ってください」
おっしゃる通りです、はい…………。いやね、勝手に消えたりしませんけどね。私人間ですし。そんな幽霊みたいに消えたりなんて。
あ、そういうことじゃない…………。ごめんなさい………。
ちなみに現在いる場所は場所は研究所の食堂。時刻は既に十三時を回っており、この場所には誰もいない。
最初に橘さんに連れて来られてここを訪れた時が懐かしい。あの時も、大曾根さんが一番常識人らしい振る舞いをしていた訳で。いや別に、今の大曾根さんが常識人らしくてどうのこうのって言いたい訳じゃないんですが。
心配かけて、というのも自意識過剰みたいな感じして嫌だが。言われて了解したことを守らなかったってのは申し訳ないと思っている。
「ごめん」
「…………」
…………いや、流石に口を噤まれると久しぶりに喋った身にしても対応に困るんですが。
確かにね、人と話すの凄い久しぶりですよ。でも、申し訳ないと思ってる時ぐらい声に出さなきゃと思うじゃないですか。
ちょっとコミュ障過ぎて人間と言葉を発そうとすると鳥肌が立つとは
…………ん、え、泣いてる?
ちょっと待ってくださいな。流石にそれは想定外なんですが?
何をすればいいのかも分からず、取り敢えず背中を摩る。号泣という程でもないけど、思ったより大粒の涙を流しているせいで、動揺が凄い。心臓の鼓動が速くなって止まらない。
どうしようにも整理がつかずに、ともかくもう一度謝ろうとすれば、大曾根さんは、左手で涙を拭い続けながら、右手でこちらを制した。
――――――――――――
子供が大人になる瞬間というものは、何にもまして混乱を伴うものだろう。見る世界が変わり、触れる感触が変わり、聞く音が変わり、感じる味が変わり、嗅ぐ香りですらも変わる。世界の全てが覆されて行く瞬間が、必ずしも心地良いものとは限らない。
しかし人というものは、大抵が段階的に大人に移り変わって行く。他人と関わり、世界を眺めてからこそ、人は変わって行ける。戸惑いつつも、新しい自分自身を知って、子供のような希望を抱く、それが人としての「成長」と呼ばれるものだった。
だからこそ、
彼女は幼少期の頃から人間に対して興味を抱いたことが殆どなかった。それこそ、特定の人間に視線を向けるようなことは全くと言っていいほどになかった。人体に興味を持った時期もあるにはあったが、その際に抱いた疑問程度であれば、自らの身体で確かめれば良かった。
それ故に、その二十数年にも渡る人生において初めて得た、人間としての興味の対象の存在は、彼女にとっては劇薬に近かった。
最初こそ、彼の行動を眺めて居れば大抵の好奇心は収まった。それは、彼の行動が他人とは異なることだけが理由ではなく、純粋に今まで「人間の行動」を注視したことがなかったことが主な原因だった。
日常として行われる行為の全てが、彼女にとっては新鮮で、ともすれば甘美ですらあった。見知らぬ世界に足を踏み入れる瞬間────変化が始まる、その瞬間だけは、誰しも心が躍るものだ。
本格的な変動は、一つの気付きが原因だった。それは、「自分以外の人間にも、自らと似た感情がある」というもの。
一般人にとってみれば当然であるそれも、彼女にとっては革新的な発見だった。何しろ、人間の行動の裏に、「原因と結界の因果関係」以外の物事を求めたことがなかったのだ。
「何かがあれば、人間はこう反応する」。それだけが、彼女の中での人間の行動理論だった。親という存在は、子を成熟させようと行動するから、学業を修了させ、子が成人した頃にその役目を終える。子供は、自らの感情の制御を学ぶために、人との関りを通じて自己反省を繰り返す。大人は、自らの生活を保つために、報酬を得ようと行動する。自分は────…………。
彼女にとって、そこに感情はなかった。
ただそれも、覆されてしまった。他人の行動を事細かに観察することによって、その可能性に気が付いてしまった。
今まではエラーとして放って置いた他人の行動も、段々と合点が行くようになって来た。全ての役割が確定されていて、大まかな流れに従って動いているだけだと思っていた人間が、急にそれぞれの生命を感じさせるようになった。
端的に言ってしまえば、彼女にとってその世界はキャパオーバーだった。
幸いだったのは、彼女の過ごしていた場所が人里から離れた地点だったことだろう。関わらなければいけない人間は、ただ一人だけ。
しかしそう、だからこそ、彼女が初めて得た衝撃は、全て彼へと注がれることになる。
様々な疑念が繋がり、解け、また繋がり、全てが色づいて行く。
自らが感じている生命への愛情にしても、彼は似たようなものを魔物達へと抱いている。何かしら行動を起こそうとしても、それを妨げる彼自身の感情に足止めを食らう。そうした姿を見ては、今までに知り得なかったことが何となく分かって来て、それだけで心が躍るような高揚を感じた。
そして、気が付く。自らが抱いている執着に。例え言葉には出さずとも、例え明確な自覚として脳裏に浮かばずとも、心臓の奥では。
その子供らしい執着は、徐々に姿を変え、身体の深いところに根付いて行く。
彼女は、まだその名前を知らなかった。焦がれて締め付けられるような、胸の痛みの名前を。
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