第77話 志

「あの、モトジさんですよね………?」


 鈴木基次郎もとじろうは、そう声を掛けられて後ろを振り向いた。時刻は早朝七時で、この時間帯に街を出歩く者は、仕事以外ではそうはいない。それ故に、私服で信号が変わるのを待っていた彼は確かに目立っていたのだが。

 声を掛けて来たスーツ姿の女性に対して、基次郎は軽く眦を下げて申し訳なさそうな表情をする。


「そうですよ。すいません、こんなだらしない私服で」

「いや、あの、急に声を掛けてすみません。その、いつも私たちを守っていただいているって聞いて、その、ありがとうございます………!」


 女性は、早口で話したそのままの勢いで頭を下げ、そして小走りで去って行ってしまった。


 彼らの戦闘訓練の映像が世に出回ってから早くも一月近くが経とうとしている。最初の頃こ注目度はそこまで高いものではなく、人々のメディア離れもあって、リゲイナーズという名は世に浸透してはいなかった。

 ただそれも、ここ二週間で大きく変わってきたような気がする。


 今まで、「魔物」という明確な危険を目の当たりにしたことのない市民────特に都会の中心部で育ってきた人々にとって、自らの身に危険が降りかかっていることを自覚することは難しかった。何せ彼らは、狭い地域の中に詰め込まれて暮らす以外の人生を知らない。彼らにとって人生とは、この狭い箱庭の中で一生その命をすり減らして行くもので、それ以外の選択肢はなかった。例え、ニュースなどで窮状が報道されていたとしても、それが自らの身に降りかかるとは思えない。「魔物達はかつてない勢いでその生存範囲を広げており───…………」そう話すニュースキャスターの言葉は、どこか遠い国の出来事のようであり、危機感を想起させるようなものでは到底なかった。

 だからこそ、彼らが魔物と闘っている映像は、魔物という危険を周知させる意味でも、そしてそれを討伐する彼らの頼もしさを広める上でも、想定以上に成功していた。


 街を歩けば人々の視線を感じるようになり、声を掛けられることも、遠巻きに噂をされることも増えた。しかしその殆どは好意的なもので、若さ故の自己顕示欲も相まって、基次郎は大して気にしていなかったが。


 この二月の活動を通して、やはり基次郎らの成長は、著しかった。若さ故のエネルギー、そして溢れんばかりの才能。集められた四人は足を止める間でもなく前進して行く。


 今、窮状を覆さんとするその奔流が、確かに始まろうとしていた。







 時刻は十六時。四人はスーツに身を包んで、木造りの机を前にして並び立っていた。


「君たちの活躍は、人伝にも、私自身の目を通しても、よく実感している」


 彼らの前には、白髪交じりの老人が立ち上がっていた。その年に見合わず糸に吊られたような整った姿勢で、口元には優し気な微笑みを浮かべながら。

 四人が立ったまま話を聞くことになったと分かるや否や自分も立ち上がった彼に、四人は未だに実感が追い付いていない。賢君―――――日本を未だに率いるこの人物に相対することは何度もあったが、親しみやすさは有れど、何度会っても彼が雲居の人でなくなることはなかった。


「今、大口を開けて言いたいことではないが、やはり人類の敵の歩みはその速度を増している。その中で、君たちの活躍というのは、国民だけではなく、私をも元気づけてくれる。…………これからも、酷く頼らせて貰うことになると思う。申し訳ない。ただ、いかに申し訳なくとも、私たちは進まねばならん。どうか私たちのために尽くして欲しい」


 表情を引き締めて言った彼が、少し間を開けた後にまた柔らかい笑顔を作る。やはり彼らは未だに居心地が良くならなかった。


 常にテレビの向こうにいたはずの人物が、「凄い人だよ」と伝えられ続けて生きて来た人物が、目の前にいる。特に若い者達にとっては、物心ついた頃から常に曽根林太郎という人物がこの国を率いて来たのだ。偉人、ともすれば祖国の父であるかのような、そんな感覚を彼らは抱いていた。


「なに、怖がらせるようなことを言ってすまないな。どうも年寄りは心配性になりがちなようでね、年を取ってから心配事が増えてしまってなあ」


 かかか、と快活な様子で笑って、彼は椅子へと腰を下ろした。

 彼が「時間をとってくれてありがとう」と言い右手を扉に向けたのを確認して、四人は少し深い会釈をしてから部屋を出る。


 家族を亡くした者。心に傷を負った者。高い志を抱いた者。孤独な過去を持つ者。

 各々が様々ではあるが、彼らが一様に己の役割について誇りに思っていることは間違いがなかった。憧れの者に頼られ、自らの国の未来を背負い、その責任は重大ではあれど、そこに喜びがないわけではなかった。


 互いに顔を見合わせて、薄く微笑み合う。部屋に入る前には、普段の戦闘服とは違いスーツに身を包んで不格好な様子を笑いあったものだが、今ではそう軽口を叩く気にすらなれなかった。

 何かをしなければ。強迫観念に駆られている訳ではなく、心の底から、そう思っていた。


 歩く。前に。

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