第74話 都会編 二

 取り敢えずホテルの部屋に辿り着いたので、一旦姉からの連絡を受けるまで待機します。見知らぬ都会の中を歩き回ってたら迷うだろうとの姉様あねさまの判断ですね。流石は弟の習性を良くご存知でいらっしゃるようで。こんな場所に放り出されたら完全に方向感覚を失う自信がある。


 ということで大曾根さんと二人部屋のベッドに寝転がってるわけだが。


「これは二度と起き上がれませんね…………」


 そうなのである。久方ぶりの人類の衆知の結晶────ベッド。普段野蛮人生活をしている身としては、流石にこの柔らかさから逃れられる気はしなかった。しかも自宅にあるようなものとは、包容力が格段に違う。

 更に言えば、秋ともなると気温が徐々に下がってきており、最近では肌寒さをも感じるようになって来ている。となれば、一旦このベッドの中で布団にくるまってしまえば二度と出てこれなくなるということでありまして。これは完全に寝落ちする予感。別に寝不足ってわけでもないし、何なら電車で休んでたから体力が有り余ってるはずなんですけどね。


「おやすみなさい…………」


 ここで大曾根さん離脱。…………いや駄目ですけどね? もし私が寝たら誰も起こす人間が居なくなって、姉の連絡に気が付ける人がいなくなるわけですし。


 そこにあった枕で襲撃。遥か太古には宿泊施設を訪れた際には恒例行事だったという、枕投げである。顔面に枕が飛んで来た大曾根さんは、へぶ、という情けない声を上げた後、ベッドの横に落ちた枕を拾って起き上がった。

 まぁ、一人が戦争を始めたら、もう一人も対抗し始めるというもの。それでこそ人間。


 ただ私は大曾根さんに身体能力で負ける気がしないのでね。飛んで来た枕をキャッチし、そのまま投げ返す。大曾根さんは飛来したものを避けるでもなく、枕は掴もうとした両手の間をすり抜けて、彼女の顔面に襲いかかった。

 最近でこそ外出するようになって体力の付いて来た彼女であるとはいえ、彼女の研究所時代の様子を考えれば明らかだが、運動はてんで出来ない。特に道具を使って何かをすることが苦手で、唯一手先の器用さ関係で得意であることと言えば、最近になって才能を見せ始めた魔物の解剖ぐらいだった。


 結局、大曾根さんは彼女自身の枕をも戦争に投入して、一通り枕を投げ合ったあたりで、やっとのことでベッドから立ち上がって悪魔の誘いを振り払った。置かれていた一人用のソファに座り、アメニティと小さく書かれた棚に入っていた茶のペットボトルを開ける。もう一本を大曾根さんに渡せば、彼女は向かいにあるソファへと腰を下ろした。


 余計な体力を消費して疲れているらしい大曾根さんと、少しの間だらだらと時間を潰した。いやだから寝ないでね? お願いだから。俺も滅茶苦茶眠いのに頑張って耐えてるから。





 まぁ、寝落ちたよね。二人とも。知ってたけど。


 保険でかけて置いたアラームが鳴って目を覚ませば、姉から大量のメッセージが届いていた。ホテルの前に着いたとの連絡が二十分前に届いている。

 メッセージアプリ上で平謝りをして、大曾根さんを起こす。ご存知の通りこの人の寝起きは最悪なので、面倒になって荷物と一緒に背負って部屋を出た。


 ロビーのソファに偉そうに座っていたのは、ご立腹の姉様。それに相対する、大曾根さんを背負った俺。無表情で眺める受付のイケオジ。


「………署まで来てもらおうか」


 低い声で言う姉。後ろで橘さんが笑いを堪えている。


 取り敢えず大曾根さんで姉の怒りはブロックするとして、まずは研究所に向かわなければ。今回の主目的は彼女の集めたデータの受け渡しだからね。



―――――――――――



 橘兵吾は、明らかに距離感のおかしい二人に笑いを堪えられずにいた。確かに、彼が妻から聞いていた彼女の弟の話では、恋愛に向いている性格をしているようには思えなかったが、流石にここまでだとは思ってもいなかったためだ。

 なるほどこうなるのか、と納得する思いもないではないのだが。


 助手席からちらりと後ろを除けば、仲良く肩を寄せ合って眠っている二人の姿があった。


 彼に少し意外だったのは、大曾根日和という人間がここまで人に心を許していることだった。研究所で共に時間を過ごしていたからこそ、彼女の性格の概要は何となく分かっている。特に、兵吾の趣味は人間観察であるために、彼女が深い部分で人間の事を気に掛けていないことは気が付いていた。

 ただ、少し前まで取り繕っていたはず常識人の皮はどこに行ってしまったのだろうか。淳介の奔放な様子に引っ張られたのか、それとも自ら投げ捨てて野生に飛び込んだのか。…………何となく後者のような気がしないでもないが、答えは出さずにおくことにしようと思う。


「…………流石に日和ちゃんを抱えて出て来るとは思ってもなかったね」


 眠っている二人を起こさないように、抑えた声で彩羽いろはが言う。


「馴染みすぎてて違和感なかったけど」

「そりゃね。慣れてるんだろうね。多分」

「俺の知ってる大曾根はもうちょっとちゃんとしてたんだけどな」

「まぁ、良い意味で自由に振る舞えてるんじゃない? さっきのロビーのときも、淳介の背中で目覚ましてたけど面倒そうな顔してまた寝始めたし」


 兵吾が声を上げて笑う。


 彩羽は、口調は呆れていても、その表情はどこか嬉しそうだった。

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