第97話 静けさ
侵攻作戦は不気味な程に順調だった。肇を初めとして、遅れを取るようなリゲイナーズの面々はいない。それだけの覚悟、それだけの準備だった。首相の言葉を跳ね除けてでも進められた、人々の希望を宿した作戦だった。
信じられない程の緊張感が空気を凍り付かせたまま、表面上は和やかに作戦が進んで行く。人類として、人間として初めての反撃を、緊張などという下らない生理現象で台無しにする訳には行かない。誰もがそう思っていた。リゲイナーズだけでではない。
何か一つの大きな流れが、人々の間を流れて行く。これから先の時代を決めるような、迸るような奔流が。
日は暮れて行く。時は刻一刻と過ぎて行く。次第に、人々の瞳に光が宿って行く。誰もが確信していた。この一歩が、人間の躍進の先駆けになるものだと。
誰もが確信していた。これが希望の光だと。
────かくして、侵攻作戦は終わった。
────
時は無情にも過ぎて行った。目深にフードを被ったまま、森の中を一人で静かに歩いて行く。早朝でまだ日は昇っておらず、昨日の内に撤退しなかったテントはあるものの、こんな時間帯では人影は全くもって見えなかった。
既に侵攻作戦は昨日の内に恙なく終えられている。何事も問題なく、無事に。だからこそ、余計に不安が掻き立てられるような、そんな気配がする。
日和はまだ橘家で眠っていた。他の研究員にしてもそうだ。各々が家に帰って、それぞれ休んでいる。
どうしようもないのだと、そう分かってしまえば、意外にもしなければならないことは少ない。昨夜には、あれほどまで忙しかった研究所内も、瀬戸際になって一周回った静けさを見せていた。泊まり込んでするようなこともなければ、無理に徹夜して終えなければならない仕事などは言うまでもない。だからこその休息だった。
誰かに見られているような気がして、息を浅くする。気が張っているのか、どうか。背筋がひりつくような感触があまりに耐え難くて、思わず肩を縮こまらせた。
睡眠をあまり必要としないのを良いことに、誰もがまだ眠っている時間帯に抜け出してきたが、やはり失敗だったかもしれない。
本当は、本格的な問題が起こるまでは何も行動を起こさないつもりでいた。何せ、機を得る前にしゃしゃり出て余計な混乱を引き起こすことは避けたい。
ただ、それでも堪えられなかったからこそ、自分は此処にいる。頭の中では色々な思考が渦巻いて、混濁して、答えが出ないままに澱のようになって沈んでいた。
森の中は、静かだった。
魔物も、人も、何もない。木々の間を朝の冷えた風が抜けて行って、するすると乾いた音を立てる。ただその異様な静けさが、嫌に居心地が悪いほどで、肌が突っ張るような感触がする。何かが張り詰めていて、見えない何かに布越しに触られているような気配に襲われ続けていた。
数分間、軽く走る。顔に吹き付ける風がフードを捲って、首筋の辺りが急に寒くなった。周囲に魔物の姿はなく、所々に弾丸が落下していて、それ以上に大量の魔物の死体が残されている。
自分が過去にしていたこととなんら変わりはない。
ただそれでも、いや、だからこそか、質の悪い出来レースを見せられているような居心地の悪さがあった。何かが仕組まれていて、誰かの掌の内で踊っていて、これから先に人類に襲い掛かる災厄も、全てが丁寧に順番を待っているかのような。
何も確証はない。ただただ、気分の悪さだけが募って行く。触れそうで触れない。掴めそうで掴めない。どうにも、もどかしくてたまらない。
十数分もしない内に、排斥的な空気感に堪えられなくなって、
まだ日は昇っていない。月光は弱く、星の光も、森の疎らな木々に遮られてそこまでは差し込んでは来なかった。
ふと意識が引かれて、立ち止まる。
――――――視界の端で、何かが揺らめいた。
目を細めて、辺りを眺める。数秒して、段々と、何が視界に入ってきているのかが分かって来た。闇に慣れた瞳孔のように、一度見え始めてしまえば、世界は一気に変貌して見えた。
目を凝らさなければ見えない程の、青白い光。それが森全体を支配している。ある所では薄く、ある所では濃く。風が吹いても動かないそれは、何かに押されるようにしてゆったりと動きながら、所々で空間を揺らめかせていた。
その青白色の光は、コアが放っていたものと良く似ている。
それが何を意味するかは、深く思慮しなくとも明白だった。
災厄は、既に始まっている。
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