第68話 羊羹

 一月が経った。既に秋が近づいてきており、森の中は紅葉の気配を見せ始めている。時折吹き付ける風は僅かな冷たさを帯びていて、ただでさえ閑散とした森の中を更に荒涼として感じさせているような気がした。


 例の魔物の大量発生について色々と調べてみた上で、色々と分かったことはあるのだが、取り敢えずその前に新しい住民の紹介をしましょうか。

 そう、実は件の柚餅子の番らしき狼、遂に我が家に住み着きました。まぁ、来る者拒まず状態ではあるから別に良いんだけどね。大曾根さんも喜んでるし。


 そんなこんなで名前を付けようと思った訳だが、良く考えたら大曾根さんに柚餅子たちの名前を教えたことがなくてですね…………。丁度良いしこの機会に、彼らの足に付けている首輪に名前を刻もうかと思いまして。

 元々柚餅子の首に付けていた首輪だが、流石に彼ら程の体躯になると、それに見合ったものが見つからなくなってくる。そのため、成る丈大きなものを買って来ては、それを足首に巻き付けて、一応はペットであるアピールをしていた。どうせ誰にも会わないんだけどね。気休めで。


 部屋の隅に置いてあるリュックからナイフを取り出してきて、柚餅子たちの足の首輪を外し、そこに文字を刻んで行く。英字アルファベットで書こうかとも思ったのだが、何となく三匹とも漢字のイメージだったので、不格好ながらも漢字で名前を彫り込んだ。

 …………餅って字、流石にムズすぎません? バランス凄いことになったんですが。

 細かいことは気にしてはならない。一応識別できるだけの文字は彫れたので、三匹の足に付け直した。


 さて、この子は何ていう名前にしましょうかね。折角だし、柚餅子と似たような名前を付けたような気もする。それで破局してしまえば目も当てられなくなるが、まぁ、それはそれということで。

 和菓子系で、何か色合いが近いもの。…………何も思いつかないもんだね。羊羹とかで良いか。灰色の羊羹ぐらい探せばあるでしょうということで。知らんけど。


 …………羊羹って漢字めちゃくちゃ難しいじゃん。なぜ私はこんなに複雑な文字を選んだんんですかね。

 数分の奮闘の後、先程の「餅」の字よりも更に歪んだ「羹」が首輪に刻まれた。まぁ、お二人ともちょっと不格好な文字でお揃いということで。

 許してください…………。私そんな器用でなくてですね…………。


 少し情けなくなりつつも、羊羹の足に首輪を取り付ける。少し嬉しそうに跳ねた羊羹は、そのまま柚餅子の所へと駆けて行った。そしてそのまま、軽く体を丸めている柚餅子の横へと座り込む。

 取り敢えず、喜んで貰えてはいるようだった。


 ということで、話を戻すが、魔物の大量発生の件だ。


 数度迷宮ダンジョンの大量破壊をした時点で、それが魔物の発生の原因になっているだろうことは分かった。場所を変えたり時間帯を変えたりと色々と試してみたので、ほぼ間違いないだろうという確証は得ている。しかし疑問なのは、それがどの程度の規模によってそれが引き起こされるか、だった。

 ただ、まぁ、それも回数を重ねれば自ずと見えて来る。


 判明したことを纏めると、「基本的には、周囲を囲む迷宮ダンジョンが全て破壊されていると、魔物が地表で生み出される」というもの。この「周囲」という言葉が指す範囲については、迷宮ダンジョンの密度限界が関わってくる。…………らしい。というのも、大抵の記録も考察も大曾根さんが受け持ってくれたので、自分は話を聞いただけで、迷宮ダンジョンを壊して回った以外には何もしなかった。


 密度限界というのは、その言葉が示す通り、ある特定の範囲の中にどれだけの迷宮ダンジョンが発生できるかを示す基準であるが、見方を変えれば、一つ一つの迷宮ダンジョン自体がある一定の領域を持っているとも捉えることができる。

 つまりは、迷宮ダンジョンが発生すれば、そのコアが影響を及ぼせる範囲というものが決まっていて、その中には他の迷宮ダンジョンは発生しない────もしそれ自体のサイズの変動故に、他の迷宮ダンジョンがその範囲内に入ってくるとしたら、どちらかがもう一方に吸収される────ということだった。


 そしてこの固有の領域が他の迷宮ダンジョンと隣接していない限り、そのコアが破壊された際に魔物が外へとあぶれ出て来る。そのため、大量の迷宮ダンジョンを潰した際には、外縁を除いて隣接する迷宮ダンジョンも共に潰されることとなるため、そこに魔物が大量発生することとなる。

 実は大曾根さんを通じて橘さんにも連絡を取っており、例の研究所の研究員の方々にも色々と協議をしてもらって、この推論であれば筋が通るとのお墨付きを貰っていた。


 これで大体の理屈は分かった訳だが、「あぁ良かったね」と終わらせる訳には行かない事情がある。

 というのも、この説明が正しいのであれば、街の近くの迷宮ダンジョンを破壊して回れば、同様の魔物の大量発生が起る可能性がより高くなる。居住地域を広げようと、近くにある迷宮ダンジョンから順に攻略していったとすれば、勢い付いて数個の洞穴を攻め尽くした時点で同様の事態に陥る可能性があった。


 今現在は迷宮ダンジョンに対して防戦一方の人類ではあるが、もしこの状況を翻そうと奮起した結果、大量の魔物に追われて街が壊滅状態になってしまうというのではあまりにもむごすぎるだろう。

 一応橘さん達にはその懸念についてはそれとなく伝えておいたが、だからといって世間に知らしめられる訳でもない。


 自分たちの仮説が正しくない可能性も多分にあり、更に言えば市街地近くで迷宮ダンジョンがどのような振る舞いをするのかについては詳しく調べていない。例え大量発生が実際に起こったとしても、それで人類が被害を負う可能性が全てではなかった。

 ただの杞憂で済めばいいと心の中では思う。ただ、何となく避け難い未来に晒されているような気がしてならなかった。


 小さく、しかし深く、肺の奥へと息を吸い込む。遠くで嬉しそうにじゃれ合っている二匹の魔物を眺めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る