第58話 人慣れ、人避け

胡麻のしつけシーンがあります。

苦手な方は目を瞑ってください。

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 ということで、取り敢えず大曾根さんをこちらに連れてきた目的をさっさと果たしてしまおうかと。と言っても地道に一匹一匹教えて行って────というのは流石に時間が掛かりすぎるので、先んじて柚餅子、胡麻、餃子の三匹に大曾根さんで人間を襲ってはいけないことを教え、彼らに他の魔物への伝達を担ってもらおうかと思っている。

 ただ実際の所どれだけ効果があるのかは分からない。というのは、そもそも人間というの服装やら乗り物やらだけで印象が随分と変わるものだし、それに加えて魔物の間で規範的なものを構築できるかどうかが分からないためだ。一応試してはみるが、あまり期待はしていなかった。

 ただし、主に魔物の皆さんに活躍してもらうのは人里を離れた場所に於いてにしてもらうつもりでいるので、基本的に人間と相対することはなく、人間対策は実際の所大して重要な事物でもない。したがって上手く行かなかった所で大きな問題とはならないはず。………と信じたい。何にせよ、偶然人間と遭遇して偶然人間を殺そうものなら俺が耐えられないので、こうして試してみている訳で。


 そんなこんなで早速始めて行こうかと思っている訳なのですが…………。明らかに大曾根さんを攻撃する様子のない柚餅子さんという御方が居ましてね…………。

 大曾根さんが微塵の躊躇いもなく柚餅子の許へと飛び込んだのも信じがたいが、それを柚餅子が何事もなかったかのように受け入れていることにも文句を言いたい。


 父親の時もそうだったが、柚餅子は基本的には何をされても穏やかで、迷宮ダンジョンの内部程度でしか敵対行為を取らない。そもそもの出会いのときも柚餅子から体を差し出してきたようなものなので、根源的な性格の問題もあるのだろうが。

 …………最近になって思うようになったが、迷宮ダンジョン内外で魔物の攻撃性が高まるのは、その精神構造自体に問題がある訳ではなく何かしらの外的要因があってこそなのだろう。その食性が関連しているのか、それとも純粋に魔力の影響で興奮状態にさせられているのか。詳しいことは分からないが、一旦魔物らしい生活から切り離せば、人が変わったように落ち着いた状態になる魔物というのは少なくなかった。特に餃子はその傾向が顕著で、捕まえた当初は暴れまわって手も付けられないような状態で柚餅子と共に何とか抑えつけていたのだが、日が経てば経つ程にその性格は丸くなって行き、今ではじゃれ合いをするのでさえ胡麻と軽く揉み合う程度。柚餅子に逆らう様子を見せたこともなければ、迷宮ダンジョンに連れて行ってもあまり積極的に戦闘に参加するようなことはなかった。


 胡麻は、ね…………。ちょっとアグレッシブに育っちゃったから…………。

 油断をしていると迷宮ダンジョンの方に引っ張って連れて行かれるし、柚餅子と良く怪我をするまで噛みつき合っていることもある。あれが親愛の証なのかそれとも師弟的な何かなのかは全くもって分からないが、取り敢えず胡麻の性格が穏やかでないことは分かっていた。

 ただ少し心配なのは、胡麻が調子に乗ってほっつき歩いている間に酷い怪我をしたりすることだったりする。基本的には迷宮ダンジョンの中に籠って適当に魔物と闘っているらしいが。


 あまり愛着が湧かないようにと思って三匹以外の魔物に名前は付けていないが、餃子と胡麻の二匹に関しては既に二か月近い関りがある。ここまで可愛がってきた魔物に何かがあるというのは、精神衛生上よろしくない。流石に悲しいからね。


 話が大幅が逸れたが、魔物達が人間に手を出さないための練習をせねば。


 と言っても前述の通り、対応が必要なのは胡麻のみ。柚餅子は論外で、餃子は攻撃している様子を全くもって思い描けないので除外。ということで、一旦大曾根さんに柚餅子から離れてもらう。


 凄い嫌そうというか意地でも離さんと言わんばかりに全力で引っ付いているが、気にしてはいけない。…………いや、「私の! 手を離せ!」じゃありません。諦めてください。


 成人した一般女性らしからぬ様子でめそめそし始めた彼女を胡麻の前に立たせる。魔物をぬいぐるみか何かと勘違いしているのかどうかは知らないが、見境なく胡麻にも突っ込んで行こうとする大曾根日和。その襟を掴んで、胡麻から二メートル程離れたところに留まらせる。

 潰れた蛙のような声がしたが、気にしてはいけない。最初に掌を返されたときから薄々感じていたが、この人に遠慮はいらなかった。


 胡麻はとは言えば、見慣れない存在に先程から少しずつ興味を示していたが、目の前にぶら提げられた状態になってからというもの興味深そうにしげしげと眺めている。その大きな体躯に見合わず眼下の人間を注視する姿は、あまりにもコントラストが効いていて違和感が酷い。


 と、胡麻が顔を近づけて大曾根さんに鼻先を付ける。襟から手を離せば、大曾根さんはその場で身動ぎもせずに直立した。

 魔物というのは、正面から見てみるとその凶暴性が目に見えて実感できたりもする。特に口元が直ぐ近くにある場合というのは、命の危機を感じさせるには十分なだけの恐怖感が生まれる。流石の彼女とはいえ、その状態から体を動かすだけの余裕はなかったらしい。


 数瞬後、突然、魔物が開口した。

 間髪入れずに、その口を上下から押し込んで無理やり閉じ込む。突然のことに驚いたのか、胡麻は対抗しようとして体を捩り始めた。それを体で抑え込み、大曾根さんから少し離れたことを確認してから、手を離す。


 …………大曾根さんは胡麻が口を開けた際に目を瞑っていたようで、少し経ってから恐る恐る瞼を持ち上げた。彼女の視界では、混乱した様子の胡麻が頭を振りながら立ち上がる。


 何度か繰り返さなければならないと思っていたが、胡麻は想像以上に賢かったらしく、今度は大曾根さんにあまり近づいてこない。

 ただ、しつけと言ってもあまり酷いものにはしなかった。自分は今胡麻に怪我をしてでも学んで欲しい訳ではなく、純粋に許される行為と許されない行為の区別を付けて欲しいだけ。此方を伺うように胡麻は一瞬身を竦ませた後、大曾根さんの背中を後ろから優しく押せば、もう一度近づいて彼女の匂いを嗅ぎ始めた。


 数分もしないで、胡麻は満足したように離れて行く。完全に、とは言えないが、これで胡麻も大曾根さんに手を出せないことは分かっただろう。


 距離を取ろうとする胡麻に、大曾根さんが手を伸ばした。胡麻は大人しく頭を低くして、彼女に頭を撫でさせる。…………仲良くしていただくのは有難いのですが、貴方がたお二人があまりにもなじみすぎていると、大曾根さんを連れて来た意味がなくてですねぇ。

 取り敢えず、自分も胡麻の首筋を撫でておく。あまり入れ込まない方が良いとは分かってるんだけどもが。


 結局魔物というのは人間にとっては宿敵で、いかに傍に置いているとはいえどもその事実が無くなるわけではない。その間柄である距離感を不用意に縮めてはいけない。

 ただですね、私は割と心の弱い人間ですので。所詮動物と自らに言い聞かせようとしても、どこかで思考のストッパーに外側があり、その呵責に耐えられなってしまうっていう話でして。


 ま、こんな感じですかね。




──────


胡麻さんを殴る描写をしていたのですが、読み返して流石に酷かったので、口を両側から抑え込む描写に変更しました。

ただ、実際のところ体の大きさを考えると、淳介さんが両手で口を無理やり閉められるかどうかはちょっと微妙だったりするので…………。どちらかしっくりくる方で頭の中で読み替えてください。

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