第56話 帰宅

 結局、一週間の都会滞在の中で一番大きなイベントは、橘さんの研究所を訪れたことだった。あの後は姉と橘さんが軽く喧嘩したりと色々とあったものの、基本的には適当に放って置かれて一週間を過ごしたので記憶に残っているような事態はなく。

 ということで、森へ帰るべく電車に揺られている訳だが。


「アパートの解約、大変でしたよ本当に。流石に急すぎて難しいとは思ってましたけど、あそこまで手間取るものなんですねー」


 正面で非常に楽しそうに話している人間が一人。


「あ、そう言えばさっき凄い美味しそうなお土産見つけて買って来たんですけど、食べます?」


 あの、お土産はその場で食べるものじゃないと思います。


「いやー、にしても、私住んでた場所離れるの初めてなんですよね。物心ついた頃にはもう地方に行くようなことはできない世の中だったので」


 そんなことを言いながら饅頭を口の中に放り込み始めた人間、大曾根おおそね日和ひより

 そう、この人、あろうことか「魔物がいっぱいいる所に行きたい」と駄々を捏ねたのである。


 駄々を捏ねる人間には若干一名心当たりがあり、更に言えばそのせいで非常に苦労した思い出があるのだが。まさかこうして二号に出会う羽目になる等とは思ってもいなかった。

 最初に話していた限りでは一度柚餅子に会いさえすれば帰るような話しぶりだったのだが、他の研究員が「お前が行くんだったら俺も行くからな」という良く分からない制止をしている内に、何故か一定期間移り住む話に変化していた。


 流石にそこまでは面倒を見れないので、姉に頼むでもして一人で帰ろうとしたのだが、良く考えれば自分以外に人間が必要な用事があることを思い出しまして。いや別に人体実験とかそういう類のことではないんですけどね。

 ということで同行してもらうことにした大曾根さんだが、口を開けば開く程に最初の印象が崩れて行くのはなぁぜ。やはり、あの変人集団の中にいたからこそ真面に見えただけなのだろうか。色の同時対比的な感じで。知らんけど。


 まぁ、一人旅というのも楽しかったけど、こうして賑やかに話している人が近くにいるというのも飽きないで面白かったりする。燥いでいると言っても声量がある訳でもないし、取り敢えずは聞き流しておくで良いでしょう。







 さて、我が家に着いた訳だが。取り敢えず大曾根さんが疲れていそうなので家で休ませるとして、森へ出るのは明日の昼頃で良いだろうか。柚餅子の様子が少し心配ではあるが、休憩もせずに大曾根さんを連れて回る訳にもいかない。だからあまり朝早くに出発はしないつもりだが、昼を過ぎてしまうと日が暮れる前に拠点の方へと到着しない可能性がある。柚餅子がいない今、直の足で走るとなると時間が掛かる上、今回は共人がいる訳で。

 …………一回走って柚餅子の方に行って、乗って戻ってくればいいか。その間に色々と必要だろう物を買ってきて貰うとして。


 取り敢えず目下対応しなければならないのは、大曾根さんの居住スペースだろう。今自分の住んでいる場所の奥に物置部屋があるので、そこに住んでもらうのが一番良いかと。そこに入っていた荷物は今自分が居る部屋に移すとして、自分の住む場所は少し入り口方向にずらしましょうかね。別に壁とかは作らなくても当分の間は寝袋で何とかできるでしょうし。


 家の扉を開けると、後ろから凄い眠そうな声で大曾根さんが「お邪魔しまーす」と声を上げた。少し前まで黙っていたのに急に声を出すのは止めて欲しい。吃驚するから。切実に。

 家の中から父親が出てきて、大曾根さんにスリッパを渡す。そう我が家は何気にスリッパ文化。外で暮らしてるから忘れそうになるけど。


「おぉ、良く帰って来たな、淳介。それで、大曾根さんだったかな。取り敢えず部屋は二階に用意してあるから好きに使ってください。私はちょっと用事があってね、出かけて来るので」


 何やら大荷物を背負っていると思えば、出かける直前だったらしい。最近どうも仕事が繁忙期らしいので、父親も忙しいのだろう。

 父親を見送ってから、大曾根さんの靴を脱がせる。そして眠りかけている大曾根さんの荷物を受け取り、二階の部屋に運んだ。もう時刻は十二時を回っており、月は既に高く昇っている。流石に俺も眠くなって来た。


 部屋の中に大曾根さんを詰め込み、自分は一階へと降りて来る。自分の部屋も二階にある訳だが、取り敢えず眠る前に風呂に入りたい。向こうに行っては出来ないことなので、今日の内に済ませてしまいたかった。

 森の中で暮らしていた期間も含めて、久しぶりの家だ。最早懐かしさすら感じる家の内装を見渡しながら、何となく安堵の溜息を洩らした。





――――――――――――


登場人物紹介。


佐藤淳介

生まれてこの方メディアから離れて生きてきた上にナチュラルボーンコミュ障なので俗世間に疎い。母親がいないために夫婦という存在にもあまり造詣が深くなく、恋愛など微塵も関わらないで生きて来た。家に大曾根日和を連れて来たことに何の違和感も抱いていない。


大曾根日和

危機感がない。研究のことしか考えてない。馬鹿。


父親

淳介の姉(彩羽)から淳介が女性を連れて帰って来るらしいという連絡を受けて、衝撃を受けつつも下世話な親父らしく気を遣って家を空けた。ちなみに二人は上記の通りなので何も起こらない。起こりようがない。微レ存とかそう言うレベルじゃない。虚無。

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