第51話 今後の事

 さて、やっと迷宮ダンジョンコアの許に辿り着いた訳だが。

 大量の魔物との戦闘で疲労感に塗れた体を休ませながら、青白く光るコアを眺める。やはり、これだけの高濃度の魔力が集まっていると、それだけで威圧感があった。

 ただ、ほぼ完全に近い球体が、ジジ、ジジ、という小さな音をたてながら少しずつ動いてゆく様は、何となく小さな生物が懸命に巣を作っているように感じて微笑ましい。光の温度感のなさに反して、日の光のような温かみを感じられるのも、そういった穏やかな感情を増長させていた。


 柚餅子も近しい物を感じるようで、戦闘中とは打って変わって静かな瞳でコアのことを眺めている。床に丸まって手の上に顎を乗せ瞳を閉じた彼に寄り掛かり、少しの間ぼんやりと目の前の球体を眺めた。


 頭の中を巡るのは、今後の事だ。


 未だ体の中にくすぶる破壊衝動のせいで、迷宮ダンジョンから長期間離れることは出来ない。何度か耐える練習をしてみたものの、最長記録は一月で、それ以上長い間魔物と闘わないでいると精神に異常をきたし始める。

 だからこそ、自分はこんな森の中に留まり続けているのだが。流石に衝動のままに暴れて一般人を攻撃し始めるようなことはしたくないからね。色々な人に迷惑かかるし。純粋に自分が嫌だし。

 ただ、今の生活が気に入っているというのも少しありまして。多少の危険は伴うが、基本的には落ち着いて生活が出来るし、人の目がないから特に周囲に気を遣って生きなくてもいい。理想の生活、とまでは言えないが、居心地良く生活が出来ているのは事実だった。


 ただ、やはり生きて行く上でずっとこの生活を続ける訳には行かないと思うのも確かだ。いつかは飽きるだろうという予測もあり、ずっと家に一人取り残されている父親のこともあり。後はこの生活をずっと続けていたら人間としての社会性を失いそうという不安だったり。

 いつかは、街の方へと戻らなくてはならない。

 このまま人の世を捨てて生きて行くには、父親もいる上に姉もいる。最近は会えていないが祖父母もいて、姉の新しい家族とて身内の一部だ。その全てを忘れて────捨てて生きて行ける程に人を辞めた訳ではなかった。


 しかし、そう思うと問題は大量に溢れて来る。自らの衝動に始まり、柚餅子の事、姉のこれからの人生、父親の老後、自分の生活。少し考えて思いつく分だけで、これだ。

 日常は、日に日に崩れて行っている。こうして自分は迷宮ダンジョンやら魔物やらに脅かされることがあまりないために実感することは少ないが、一般人にとってみれば魔物と言うのは悪夢の塊だ。迷宮ダンジョンなどが近くに発生しようものなら、生き地獄が始まると言っても過言ではない程の混乱が引き起こされる。迷宮ダンジョンの数が増え、その分だけ社会が圧迫されている。


 最近では、自宅に戻るのは二月に一度程度になってしまっている。気が付けば時間が経っていることも少なくはなく、想像以上に日が過ぎ去っていて焦って帰宅することが殆ど。最近では父親も段々と慣れてきたようだが、それこそ最初の頃は家を出るごとに今生の別れのような反応をしていた。正直、少し申し訳ない。もう少し家に帰る頻度を上げたいところ。

 ともかく、そうして帰るのがかなりの期間を開けてのことなので、家に変える度にテレビなどで目に付くニュースが段々と酷くなっているのが気になっていた。常日頃から段々と変わって行っていると気が付かないことが多いが、間隔を開けて見ている者からしてみれば、その変化は劇的だ。


 一応迷宮ダンジョン関連の仕事というのは金回りが良いので生活に困るようなことはないが、今のご時世で必要とされているのは金ばかりではない。横行する犯罪に、物々交換が中心の市場。文明が逆行しているとまでは言えなくとも、確実に貨幣はその役割を失って行っている。

 姉の窮状の噂を聞くことも少なくはなかった。そして父親の生活の苦しさはより一層直接的に感じている。自分の住んでいる街の近くは魔物の数を減らす努力をしているが、それでも完全に除去しきれる訳ではなかった。


 自分の力は、借り物とまでは言えなくとも、自らの努力によって手に入れたものではない。だからこそ引け目を感じている部分が確実に有った。

 誰かに授けられたわけではなくとも、これ程の力を持っているからと誇るにはあまりにも引け目を感じてしまう。だからこそ客観的に自分の状況を見ることが出来るという点もあるのかもしれないが。


 だからこそ、何かをしなくては、と思うことがある。


 俺はそこまで高尚な生物ではない。どうせ社会に溢れている人間のその内の一つでしかなく、出来ることも限られている上、聖人君主と名乗れるほど自己に自信がある訳でもない。

 ただそれでも、自らの伸ばした手の範疇にあるものをみすみす見逃すというのは、あまりにも責任感に欠けているように思えた。


 まぁ、ここまで勿体ぶって言ったものの、つまりは「人類に大恩がある訳でもないが、その窮状に手を差し伸べる程度のことはしても良いのではないでしょうか」ということでありまして。

 この世の中の混乱に対処するために何かしらしましょうよ、という話だ。


 そしてそれについて、実は少し考えていることがある。時間は掛かるかもしれないが、結局私には時間が有り余っているのでね。失敗するかもしれないが────というよりも高確率で上手く行かない気がするが────別に誰かに求められてしていることでもないし、ただの自己満足だから失敗したところで何か損害が生まれる訳ではない。

 まぁ、今まで通り気長に色々と試してみますかね。何もしないで日々を無為に過ごすよりも、何かしら目的があって動いている方が充実した日々にはなるでしょ。知らんけど。


 立ち上がり、体を伸ばす。瞳を閉じていた柚餅子も、寄り掛かっていた体重が無くなったことに気が付いたのか、ついと顔を上げた。

 拳を振り上げて、直径が一メートルほどもあるコアに叩き込む。衝撃と共に大きな罅が入り、次の瞬間にはコアは砕け散っていた。


 地下深く、洞穴の奥にまた暗闇が戻る。幾分か向上した気分と共に、柚餅子の背中に飛び乗って地上へと発った。

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