第38話 調査班

 小坂こざかはじめは、初春の柔い日の光の中で、黒いフルフェイスのヘルメットで顔を隠しながら、山の中の足場の悪い道を走行していた。

 機能的なブーツを履き、全身にプロテクターを付け、そして腰に小火器を引っ提げた状態での行軍。久しぶりの、都市部を離れての仕事だった。


 倒木を避けて回りながら、タンデムシートに座る男の調子を確かめる。相も変わらず顔色の悪いこの男は、死にそうな形相で肇の背中にしがみ付いていた。

 髪は長いが、髭が剃られているせいで顔の印象が随分と違う。前回会った時────あの会議で顔を合わせた時とは。

 痩せ型で身長の高い壮年の男、つじ良太りょうたは、今回の依頼主であると同時に護衛対象でもあった。研究者の護衛というのは何度も務めたことはあるが、この小規模での依頼は初めてだ。リゲイナーズという中小企業に頼んでいる時点で、探査隊の規模など高が知れているのだが。


 視線を直ぐに前に戻して、目の前を走行する流石りゅうぜき茂樹しげきの後を追う。自分と同じように後ろに人を乗せた茂樹は、足場が悪い中こともなげにバイクを操っている。

 ヘルメットのシールドの奥で涼しい顔をしているだろう茂樹に、心の中で軽く悪態を吐く。突けば死にそうな研究者、良太を乗せるのは茂樹の方が良いと抗議した肇だったが、先方直々に女性を乗せるのは熟練した者の方が良いという申し出があったために、こうして肇が死にそうな中年を乗せて森の中バイクを走らせることになってしまったのだ。


 女性、そう女性だ。普通迷宮ダンジョン関連の研究者と言うのは、その数多いフィールドワーク故に、危険を顧みないような研究狂いの男というのが多い。この良太という人間がまさにその代表例だが。

 だからこそ、研究者として女性が紹介されたときには驚き、しかも現地に同行すると言われたときには疑念を抱いた。ただ、雑談ながらに話を聞けば、女性は元は探索者シーカー志望で、二十歳になってから二年ほど経験を積んだ後、限界を感じて研究者へと転向したらしい。そのため、身体的な能力というのは、研究者に籠ってばかりいるそこら中年よりは高いのだと。

 名前は、篠崎しのざき穂香ほのか。SCE研究所では良太の次に活躍を期待されている次席のルーキーだった。


 付近の街を出発してから早くも三十分が経とうとしていた。幾ら進めども森、森、森で、景色が変わる気配もない。偶には魔物とも遭遇するが、バイクで走っていれば手を出されるようなこともなかった。

 バランスを崩さないように必死であるとはいっても、こうも長い時間同じことを繰り返していると飽きがやってくるものだった。いや、同じことを繰り返しているが故の気疲れなのかもしれないが。


 地面から突き出した木の根にバイクのタイヤが跳ねて、背中から苦し気な呻き声が聞こえる。春空を一瞥して、溜息を吐き出した。







 目的地付近に到着したのは更に一時間程後だった。早朝に出発したというのに、時刻は既に十時を回っている。

 今回は純粋な調査が目的であるため、魔物との戦闘は少ないだろうとはいえ、危険性、、、が高ま、、、って、、いる、、可能性、、、がある、、、と報告されている地点に向かうというのに、こうして移動で体力を削られるというのはあまりにもいただけない。

 長時間の走行のお陰で、流石の茂樹でさえも疲労は有ったようで、年を滲ませる表情でバイクに寄り掛かりながら、バッグのサイドポケットに入れていた缶コーヒーを呷っている。死にそうな様子の良太は放っておくとして、唯一平気そうな表情をしているのは穂香だけであった。感情の読めない表情で、何やらリュックの中を探っている。


 茂樹同様に疲労を感じていた肇は、ペットボトルのスポーツ飲料を乾いた喉に流し込む。絶え間ない振動と前傾姿勢のせいで、全身が嫌な疲れに支配されていた。


「今回の目的は、この地での魔物減少の理由の解明です。以前リゲイナーズ様から頂いた情報では、全国で魔物の数が減っているということでございましたが、この場所は特にその傾向が顕著です。もし当研究所の見通しが正しいのであれば、それだけ危険性が高い可能性があります。…………と、言う割にはあまりにもお粗末な人数ですが」


 曰く、本当は時間をかけて準備をするところ、良太が耐えきれずに性急に準備を進めたため、このような形になったのだと。彼自身の説明いいわけによれば、「報告をしたリゲイナーズが同行するならそれ以上の僥倖はないだろう」とのこと。

 例え肇達リゲイナーズを同行させるとしても、通常であれば他の探索者シーカー企業も合同で活動するべきだろう。確かに少人数の方が動きやすくはあるのだろうが。


 穂香が、冷たい瞳で良太の方を見る。ただ、青い顔をした良太はそれどころではなく、彼女の方を向きさえもしなかった。


「では、我々は主に護衛をすれば良い、と」

「えぇ。基本的には辻のしたいようにさせるつもりではいますので、予定外の移動などもあるかもしれません。一応、契約の中には危険性についての話もあったと思うのですが」

「えぇ、把握はしています」


 茂樹と穂香の間で話が進んで行く。肇は胸の内で、もしかしたら暴走した良太の御守を任せられることになるかもしれないと覚悟を決めつつ、諦念を抱えたまま遠くを眺める。


 眼前に広がるのは、無人地域アネクメーネ特有の度を越えて巨大化した迷宮ダンジョンだった。入り口は幅がおよそ十メートル近く有り、その奥に広がる洞穴は闇に包まれて何も見えないながら、迷宮ダンジョン特有の張り詰めた気配を放っている。

 しかし、異様なのはその大きさだけではない。


 肇は瞳を細める。


 放置されている筈の迷宮ダンジョン。その周囲は、不気味な程の静寂に包まれていた。溢れ返っている筈の魔物は、この周囲だけでなく迷宮ダンジョン内部の見える範囲でも、少しもその姿を見せていない。


 周囲を見渡そうと、肇は後ろを向く。

 踏み出された足の下で、乾いた木の枝が折れた。音のない森の中では、その小さな破裂音がやけに響いた。

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