第22話 迷宮深奥部
もう既に朝の四時を回っている。残された時間は、およそ十二時間程度。後六時間程前に進んだら、そこで切り返さなければならない。
深呼吸をして、荒れた息を整える。噴き出た汗が瞳に入らないように、額を右腕で拭った。
ここに来て、魔物の質が急に変わった。体躯、速度、膂力、全てをとっても、通常の魔物とは比べ物にならない。しかし数は急激に減っており、一匹一匹の魔物にかかる時間が増えて行く分、数時間前よりも格段に精神的な疲労が大きい。
これが、
ここから先では、何が正しいかを自分で考えながら進まなければならない。
といっても、調べられることは調べて来てある。
その情報と、現在の状況に目立った相違はない。魔力濃度の上昇による、魔物の巨大化や筋力の上昇。魔物の数についての記述はなかったためにそこだけは不安要素ではあるが、一度に多数を相手する必要がないのは純粋に助かっていた。
前に進む。移動中に走る気力はもうなくなっていた。帰路を考えると、どうしても体力を温存せざるを得ない。戦闘の疲れが残っていることを鑑みても、これ以上に無理を重ねるのは避けたかった。
────気配。岩の隙間から魔物が飛び出す。
反射的に姿勢を低くした。飛び掛かって来た魔物に向け、踏み込んだ足を軸にしてパイプを叩き込む。
前脚に全体重をかけて、魔物は身を翻すようにして避ける。振り下ろされたパイプは胴体の側面に軽く当たって、勢いを止められることなくそのまま地面へと叩き付けられた。
犬と称するにはあまりに図体が大きく、顔立ちからして狼のような魔物だった。その体毛は白く、四肢は太い。目は血走っていて、荒い息を吐き出しながら牙を剥き出しにしている。野生動物とは比べ物にならない程、その瞳は殺意で濁っていた。
一気に空気が張り詰める。何かの拍子に弾けてしまいそうな程に、緊張感が場を支配する。息が自然と浅くなるのを感じた。
魔物だった。
表情を引き締めなければ。
笑っている場合ではない。
体勢を整えた上で、金属パイプを強く握り締める。手の中の金属パイプと指の骨が軋む音がした。狼は頭部を低くして、まだ荒く浅い息を繰り返していた。
狼に飛び掛かる。ソレは後ろ右足を引き摺るような動作をした後、そのまま倒れ込むようにして右側に跳んだ。
魔物は、急激な方向転換をして飛び掛かってくる。パイプを前に出して牽制するも、狼は気に留める様子もなく突っ込む。手に重い感覚があったかと思うと、そのままパイプが勢いよく弾かれた。カラン、という空虚な音が響く。
その音を聞く前に、無理やりに脚に力を入れて、魔物の頭を避けた。狼はまた急激な方向転換をして、こちらへと顔を向ける。
その顔面に、思い切り拳を叩き込む。
地面へと沈んだ狼は、そのまま左へと転がって、跳ねるようにして立ち上がった。一瞬ふらついたのが見える。ダメージがゼロという訳ではないのだろう。
後ろへ一つ跳び、足で金属パイプに触れる。狼から視線を外さないようにしたまま、手に馴染んだ得物を拾い上げた。
若干の呼吸の後、前へと飛び出す。
踏み込む直前に体を捻り、狼の右へと躍り出た。大きく開かれた狼の口が、その後を追いかけて来る。この前傾姿勢では、その中に武器をぶっ刺してやることも出来ない。
鈍器を強く握る。前へと踏み出す。身体を強く捻る。そのままの勢いで、パイプを狼の横っ腹へと叩き込んだ。
戦闘始まって初の真面な攻撃だった。ただ、体格差のせいで大した怪我には見えない。
痛みはあるのか、先程よりも苦しそうな表情で狼はこちらに迫った。それをパイプを横から叩き付けていなす。顔面にモロに殴打を食らった狼は、高い悲鳴を上げて身を引いた。
後を追い、前へと踏み出す。更に遠くへと距離を取ろうとした魔物の、力の入った四肢が見える。狼が跳び上がる寸前に、頭部に更に一撃が入った。
見当違いの方向に跳んで行った魔物が、壁に激突してそのまま崩れ落ちる。
数瞬もしない間に魔物が立ち上がるも、その体はふら付いていて安定しなかった。頭部を続けて殴られたためだろう。
その近くへと跳び、更に頭にパイプを振り落とした。今度は目に見えて血が吹き飛ぶ。二度、三度、同じように鈍器を叩き付ける。
振り下ろされた武器に、魔物は一度痙攣してそのまま地面に崩れ落ちた。
張りつめていた空気が弛緩する。身体に広がる疲労感が最早心地良かった。吐き出す息の悉くが震えている。
────ふと、足音がした。反射で顔を前にあげる。
そこにいたのは、狼よりも更に大きな体を持った魔物だった。黒光りする瞳が、こちらを無感情に睥睨している。
笑いは、堪えられなかった。
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