第11話 自業自得な説教

 目の前に立ち塞がるのは、鹿のような顔立ちをした、それでいて角の生えていない魔物。夕暮れの中で不気味な程黒光りするその瞳は、闘争本能故か細く歪められていた。


「いやぁ、本当にお呼びでないんですが………」


 恐怖と緊張のせいか、普段よりも独り言の回数が増える。極度の緊張は避けた方が良い。それで普段の自分を乱されるのであれば、尚更のことだ。

 浅く息をして、疲労感に重い左足に体重をかける。体勢を低くするにも、この満身創痍の体では儘ならなかった。


 こんな状態では、真面まともに戦闘が出来るとも思えない。であれば、機会を見計らって逃げるというのが最善の選択ではあるのだが─────


 ─────瞬間、低空の跳躍。


 明らかに戦う気満々の魔物さんがいらっしゃいましてですね。


 飛んで来た魔物の脳天に金属パイプを叩き落とす。初期と比べて重量のある物を用いているせいで、両脚を使えない現在では勢いが出ない。

 懐へと潜り込んできた魔物に対して、金属パイプが力なく当たる。


 そして、衝撃。


 内臓が潰されるような感触と共に、肺から全ての空気が抜ける。呼吸に喘ぐ間もなく、視界が反転した。焦る思考の中、必死に空中で体勢を整える。


 着地。

 と、同時に魔物がその健脚で地を蹴る。雑ッ、という音と共に魔物は低く宙を舞った。


 疲れた足を支えるために、右手を地面に着く。痛みの少ない右膝から上も地面へと着き、腰を低くする。体勢が一気に変わったおかげか、魔物は狙いが外れたようで、翻って元の位置へと跳んだ。


 更に反転して、勢いのない突進。

 瞬く間もない内に、急激な方向転換と共に急加速。

 急停止。前脚が地に食い込む。跳躍、着地、前進。


 追いつかない。


 無理を承知で、左足に力を入れる。制御しきれずに吹き飛んだ自分の体は、面白いように魔物へと直進して行く。

 軽いパニックに陥りながら、手に持った得物を振るう。


 まさか迫って来るとは思っていなかったのか、驚いたように蹈鞴たたらを踏んだ魔物は、間隙の後には姿勢を低くしていた。

 鈍い音を立てて空気を切り裂く鉄パイプを、果たして、魔物は避け切れない。

 しかし完全な姿勢で武器を振るえたわけではなかった。顔面の一部がパイプの先端に抉られた程度で、魔物はその勢いが削がれたようには見えない。


 それを見届け、数瞬後に、背中が樹木の幹に叩き付けられる。

 再度肺の空気が抜け、今度は喉が潰れたような浅い呻き声が漏れた。


 攻撃を受けたことで闘争心が増したのか、魔物は更に勢い付けてこちらへと駆けて来る。

 鉄パイプを地面に叩き付け、反動で右へと跳ぶ。想定外の動き故か、魔物は一瞬反応が遅れ、そのまま木へと突っ込んだ。


 鈍い音と共に、幹が弾け飛んで、木が倒れる。


 勢いよく地面へと墜落した樹木の破片が、眼球へと迫った。一瞬の恐怖に、反射的に顔を側める。急な動きに視界がブラックアウトし、それが戻った頃には木片は頬へと刺さっていた。

 戦闘の興奮故か痛みは全く感じないが、鬱陶しいので引き抜く。それなりに深く刺さっていたようで、頬を流れる生温かい血を感じた。


 木に突進した魔物はそれなりにダメージを被ったのか、少しふらついた後に、それを誤魔化すように頭を振った。


 ────ちゃーんす。


 ということで、ふらついた魔物の首筋に金属パイプを。

 渾身の力で振り下ろしたそのパイプは、鈍い音と共に魔物の首筋を半分凹ませた。歪な向きに固定された頭部で、光を失った瞳が静かに閉じられる。


 痙攣し、足を引き攣らせた魔物は、そのまま音もなく倒れた。


 数秒待ち、魔物がもう動かないことを確認してから、安堵の溜め息をついて、木の幹へと寄りかかる。久方ぶりに感じる命の危機だった。

 落ち着いた今になって、恐怖で心臓が早鐘をうち始める。


 やっべぇ。やっべぇよ。怖ぇ。


 この際語彙力がどうのこうのとか言ってらんない。これ無理。怖すぎ。

 普段確かに戦ってますけど。魔物とメンチ切ってますけど。流石に足一本使えないのはハンデが過ぎるでしょう!? 自由に動けないし動けないし動けないんですが!?


 まじかよ、これまじでやべぇよ。この後帰るのも不安になって来たんですけど。


 あー、自業自得って恐ろし。誰にも文句言えないじゃん。どうしてくれるん。本当に。


 取り敢えずえげつない疲れたから少し休ませていただきたいんですが。でもそんなことして魔物に遭遇したら笑い話にならないというのもまた真実でございまして。


 ひとまず少し離れた場所までは手早く移動してからじゃないと不味い。この迷宮ダンジョン地帯から離れれば魔物がうろついていることも少なくなるはず。たまに遭遇する程度であれば、この森の中、木の裏に隠れる程度のことは出来る。匂いとかでバレたら終わりだけど。

 ともかく、安全地帯まいほーむに帰らねばならん。


 死ぬ程疲れてるせいでマジで足が痙攣どころじゃないんですけど。重すぎて立ち上がれもしないんですけど。ってか死にそうなときに『死ぬ程』って本当にシャレにならないね。

 いや、帰るけどね。どんだけ無茶しても帰るけどね。死にたくないし。






 とまぁ、なんやかんやあって我が家には帰って来れたのですが。


 今現在我が家の目の前。深夜ゆえに月明りのみでお送りしておりますが。玄関前に髪を怒らせて立っている男が一人。

 …………怒髪天を衝くってこういうことを言うんやなって。


「この、馬鹿野郎ッ!」


 父上。あの、怪我人殴るのは違うじゃん。

 あと今俺殴ったら父上の方が痛いって。


 まさか父親がここまで熱血おとこだとは思ってなかったけどね。心配されたってだけでちょっと嬉しいのが悔しいよね。


 まぁ、めっちゃ怒られましたとさ。

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