第9話 魔物の減少について

 書類を眺めて額を揉む男がいた。時刻は夜十二時半。閑散としたオフィスの中で、一つだけ明るい部屋、その中に彼はいた。

 壮年の男。その瞳は鋭いが、表情には長い戦いを思わせる疲労を滲ませている。


 名を、流石りゅうぜき茂樹しげき。中堅の探索者シーカー事務所、リゲイナーズの所長である。


 彼の視線の先にある資料には、大量の数字と、それに付随した地名が書き連ねられている。ただでさえ疲労で細められていたその目を、茂樹は更に狭めた。


 茂樹が溜息を吐く。


「どうされましたか、先輩」


 声を掛けた男────茂樹と同様に疲れた表情を見せたその若い彼は、手に持った缶コーヒーを片方茂樹の机の上に置いた。カツン、と乾いた音が響いて、茂樹は少し雰囲気を和らげる。

 若い男、小坂こざかはじめは彼の隣のワーキングチェアに腰を沈めプルタブを引くと、小気味の良い音が鳴る。


「ありがとう」


 コーヒーを持ち上げながら茂樹が礼を言えば、肇は小さく首を竦めて返事をした。


「それで、結局どうしたんですか。そんな凄い顔で資料なんか睨んで」

「あぁ、これか………。いや、そこまで大事おおごとでもないんだが、な」


 ぴらり、と一枚書類を肇の方へと手渡す。受け取ると、肇は一気に表情を固めて真剣に書類を見つめ始めた。が、一分も経たない内に、諦めたように上を向く。


「すみません。俺には何が悪いんだかさっぱりっすね」

「まぁ、そうだろうな。気が付かない方が普通って位の、些細な話だ」


 一息で缶コーヒーを飲み切った茂樹は、そのままの勢いで缶を握り潰した。迷宮ダンジョンに潜るようになってからの癖で、この行動で娘に引かれていることを彼はまだ知らない。

 潰して小さくなった缶を、茂樹はゴミ箱の方に放った。


「ここを見てくれ」


 視線を戻した茂樹が、肇の持つ書類を指さす。


 人差し指の先には、リゲイナーズが活動している範囲の更に北───つまり、現在魔物の数が増え続けているはず地域の、魔物の数についての報告が記載されていた。

 探索者シーカーは魔物がいなければ仕事にならないため、彼らが活動場所としているのは人間の居住地域の端だ。そのため、事務所から少し北に向かうだけで直ぐに無人地域に突入し、迷宮ダンジョンが乱立し、魔物が徘徊することとなる。………はずだったのだが。


「不自然に減ってんのが分かるか、魔物が」


 ここだ、と茂樹が示した箇所の数字を見て見れば、確かに普段よりも少ない数字が記載されているようにも見える。しかし肇は拍子の抜けたような顔をした。


「このぐらいだったら偶にあると思いますけどね。発見されてる魔物が少ないだけで、実際にはもっといるってこともあると思いますし。都市部への人口移入が加速している今、人員も足りてないですし、カウントしきれなかったとしても別におかしくはないんじゃないんですかね」

「………まぁ、そうなら良いんだがな。ここ数か月魔物の減少傾向が続いてる」


 茂樹が魔物の数について疑問に思い始めたのは、数か月も前の話だ。中小事務所であるリゲイナーズのトップにしては────いや、だからこそなのかもしれないが────彼は情報の質を重く見ている。そのため彼は自分らの活動範囲だけではなく、日本全体の魔物の数やその生態の傾向について、精力的に資料を集め続けていた。

 迷宮ダンジョンという不確定要素を相手取って活動している分、流動的な対応ができなければ生きて行けないと、茂樹はそう考えている。


 だからこそ、彼は魔物の減少傾向が全国で進んでいることに気が付いた。それも、数が減っているのはどれも無人地域アネクメーネだ。


 通常であれば、人が住まず、迷宮ダンジョンの管理が行き届かなくなった地域は、魔物が溢れ返ることとなる。それは、迷宮ダンジョン内の魔物がその数を減らすことがなくなり、その結果として溢れ出した魔物が迷宮ダンジョンであった洞穴どうけつの外でさえも迷宮ダンジョン化してしまうためだ。

 洞穴の外で発生した魔物というのは得てして行動範囲を広く持つ傾向がある。迷宮ダンジョンの急所であるコアを守る必要がなくなるためだとも言われるが、その理由は未だ解明されていない。ともかく、そうして広範囲に渡って跋扈するようになった魔物のせいで、人類はその居住地域を狭くせざるを得なくなっていた。


 であれば、こうして魔物の数が減っていることは喜ばしいはずのことであるのだが。


「…………明らかに、何かの外的要因があると考えるべきだろう。自分たちの命を守るためにも変化には敏感になった方が良い」


 茂樹の表情は厳しかった。


 書類から顔を上げて彼の表情を見た肇もまた、顔を引き締める。

 肇は、茂樹の野生的な危機察知能力を信頼していた。今までの活動で、彼のその用心深さと危険に気が付く嗅覚にどれだけ救われて来たか分からない。狡猾さとも呼べるようなその性格は、探索者シーカーとしての活動には貴重だった。


 コーヒーを流し込んだ肇が、茂樹と同様に缶を潰してゴミ箱へと投げ込んだ。綺麗な放物線を描いたそれは、しかし、ゴミ箱のふちに当たって弾かれる。


「流石っすね、先輩」

流石りゅうぜきネタいつまで擦るつもりだよ、お前」


 二人の間に流れる空気が一気に弛緩した。

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