2 侯爵との対面

 レネに連れられるまま、ひと気のない三階の廊下を進む。

 城館は大きく藍玉宮と翠玉宮の二棟に分けられていて、エメリが連れてこられたのは翠玉宮のようだった。藍玉宮とも階ごとに通路は続いているようだが、ずいぶん前から老朽化のため通行が禁じられているらしく、翠玉宮へは一階の玄関からしか出入りできない。その玄関にも今はレネの保護のために鍵がかかっているとかで、今回は裏口から泥棒のように侵入したのだ。

 侯爵の部屋は翠玉宮と藍玉宮の両方にあるらしく、今は翠玉宮に詰めているらしい。

 奥にある執務室に足を踏み入れる。

 ヘクター・フィガルテ侯爵は総白髪を撫でつけ、猛禽のような琥珀の眸をもつ老齢の男だった。

 壁際には、長身の赤髪の男の姿もある。おそらく貴石、それもルビーの石精だろう。宝石騎士の称号はだてではない。貴石の石精などはじめて見た。

 石精はいっそ女性的な美を感じさせる神々しい美貌の持ち主だったが、瞼を下ろして静かに佇んでいるだけなのに、妙な威圧感があった。おそらく戦闘能力をもつ石精だろう。貴石の石精の戦闘能力は図抜けていると聞く。

 彼の核はと見れば、侯爵の小指に血のように赤いルビーの指輪が嵌められていた。どこか危うい、不安を掻き立てられるような魅力をもった宝石細工だ。石精の雰囲気に似て女性ものらしくもあるが、侯爵の気品ある佇まいにはよく似合っていた。

 エメリと目が合うと、侯爵はわずかに眉根を寄せる。

 なんだろう、と思いつつ、エメリは作法を思いだして、慌ててその場に跪いた。


「面を上げよ」


 おそるおそる顔を上げる。

 侯爵はエメリの肩にソルを見とめると鷹揚に頷いた。


「殿下から宝石細工師を連れてきたとは伺っていたが、まさかおまえのように若い職人とはな。宝石細工師、名は?」

「あ、わ、わたしは……」


 緊張で声が固まる。そんなエメリを見かねてか後ろからレネが助け船を出してくれた。


「エメリ・オルセンです。侯爵、あなたは別の職人を推してくれましたが、僕は彼女が適任だと判断しました。あなたにもきっと泥は塗らないと誓いますよ」


 その言葉で、先ほどの侯爵の様子に合点がいった。

 侯爵にはどうやら、エメリ以外の別の職人の当てがあったようだ。

 それもそうだろう。ハイネブルグは宝石職人の街。職人には事欠かない。腕のいい宝石細工師なら、エメリもぱっと思いつくだけでも両の手では足りないほどに名を挙げられる。

 まだ若く、職人としては駆けだしのエメリを侯爵が知るはずがない。


(きっと、わたしの技量が不安、なんだ)


 エメリ自身、こんな大役を軽はずみに引き受けてよかったものか、まだぐるぐると悩んでいるくらいだ。無理もない。

 とはいえ、一度引き受けた仕事にきちんと向き合わないうちから、自信がないのでもうやめます、とは言いたくなかった。

 エメリは侯爵にモルガナイトの指輪を見せて実力を示そうと近づきかけたが、彼は片手を上げてそれを制した。


「結構。石精を喚ぶことができるのは、優れた宝石細工師と決まっているのでな。おまえの実力は問うまでもない。それに、他でもない殿下のご判断だ。私は従うだけだよ」


 侯爵は眸に信頼を込めて、レネを見つめた。

 レネも微笑で応える。どうやらこのふたりのあいだには、並々ならぬ信頼関係があるらしい。


「宝石細工師。私が忠誠を捧げた方について、おまえはどれだけ知っている?」

「ええと、……第四王子殿下で、七年前に失踪なさったと。でもそれは、事件に巻き込まれたからで、その……本当は暗殺、されかかったんだと伺いました」

「然り。では、当時殿下が末の王子でありながら、王宮でどのように目されていたかは?」

「……玉座に、もっとも近い、と言われた方だと」


 エメリがおっかなびっくり述べた答えに、満足そうに侯爵は鼻を鳴らす。


「宝石細工師、堅牢王のクラウンジュエルの逸話は知っていような」


 どうしてここでレネではなく堅牢王の話になるのだろう、と思いながらも、エメリはおっかなびっくり頷く。

 堅牢王——初代エミテルレーシア国王とそのクラウンジュエルには、ある伝説がある。

 いわく、堅牢王は宝石王たる金剛石ダイヤモンドの石精との七日七夜の戦いのすえに彼を降し、臣従の盟約を結ばせたのだ、と。

 いくつもの玉座が国中に生まれては消えた戦乱の時代。ばらばらだったこの国を統一し、堅牢王という二つ名をその手に掴んだ初代国王は、石精との盟約の証にダイヤモンドの王冠を戴冠した。

 そのかたわらには常に、金剛石の石精の姿があったという。


「堅牢王のクラウンジュエルは、金剛石の石精の核だった……んですよね?」

「左様。かの石精は、忠誠の証としてダイヤモンドの鉱脈を捧げた」


 そうしてそこから採れるダイヤモンドを使って始まったのが、クラウンジュエルによる王位継承制度だ。

 金剛石の石精は、堅牢王が死の床につくと後を追うように姿を消したが、死したわけではない。その証拠に、血の盟約によって縛られた王位継承者がクラウンジュエルに触れれば、石の胎動を感じることができるのだそうだ。

 けれど、石精が認める者でなければ顕現まではしない。だから石精を顕現させた王位継承者は、無条件で王となれる。

 だが、堅牢王の没後この三百年近く、石精は一度として顕現していない。

 伝説は、伝説と成り果てた。

 実際の王位継承は、クラウンジュエルを王冠に作り替えた王子のなかから先王が遺言によって次期王を指名することによって、連綿と続いてきた。


「では、堅牢王の遺言とも、金剛石の石精が消失する前に遺した最後の言葉とも言われる碑文のことは?」

「……王の魂の継承者現れしとき、金剛石はふたたび輝かん。其は幻影の島へかの者を導く。七とせの時めぐりしとき、金剛の契りまさに果たさるべし」


 エメリは幼い頃に何度も聞かせてくれるよう父にせがんだせいで、すっかり覚えてしまった古めいた文句を暗誦する。

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