3 堅牢王の再来
玉座の間に刻まれているというその伝説的な一節は、金剛碑文と呼ばれ、庶民にもよく知られていた。
その解釈には諸説あるが、偉大な堅牢王の継承者が現れるとき、ふたたびクラウンジュエルが輝いて、王位継承者を宝石郷に導き、七年ののち金剛石の石精が盟約をふたたび果たすために臣下に降るということだと考えられている。
(輝いていないクラウンジュエルなんてないから、金剛石はふたたび輝かん、っていう意味が取りづらいんだけど……)
エメリは思わずペリドットのペンダントを探って、その手に掴んだ。
ソルの核になっているこの石は、ほかのペリドットよりもずっと深く、それでいて澄んだ輝きを放っている。
おそらく核となる石は、とりわけ輝きが強いのだろう。
かく言う堅牢王のクラウンジュエルはいつも真昼の太陽のように光り輝き、後世の王たちの所有した石の輝きとは比べものにならなかったという。
侯爵の眸が熱っぽく輝き、レネを振りかえる。
「殿下は、かの堅牢王のように光り輝くクラウンジュエルを持っておられた」
エメリは驚いて、侯爵につられるようにレネを振りあおいだ。
幼い頃に聞いたことがある。
第四王子レネ・リュークストンのもつクラウンジュエルは、まるで堅牢王の再来のようであった、と。
しかし間もなくレネは失踪し、彼の持っていたクラウンジュエルも行方知れずとなった。
だからエメリも、幼くして不慮の事故に見舞われた第四王子を悼んで、誰かが彼の魂を慰めるためについた優しい嘘なのだと考えていた。御伽噺のようなものなのだと。
だけど、それは本当だった――?
「それだけではない。御姿をくらませてからの七年間、殿下はどちらに身を寄せられていたと思う?」
「このハイネブルグ城、じゃないん、ですか?」
「——宝石郷だ」
「え?」
エメリはぽかんと口をひらいた。
(それじゃあまるでほんとうに、伝承にある『王の魂の継承者』、みたい……)
エメリの心を読んだように、レネが微笑する。
たしかに、冴えた頭脳をもち、目的のために着実な一手を選びとるその姿は、堅牢王の再来と言われても違和感はない。
「も、もしかして、殿下のクラウンジュエルは、ダイヤモンドの石精の核になっている、んですか?」
「残念ながら、石精は顕現できていない。しかし殿下は、宝石郷滞在の折に石精から臣従の誓いを受けている。それゆえ、クラウンジュエルの修復が叶えば、石精も姿を現すと私たちは見ている」
なんだか神話か伝説でも聞いているみたいだ。
けれど石精のソルと四六時中一緒にいるエメリには、それをありえないと切り捨てることもできなかった。
「ひと月前に殿下と海辺でお会いして身の上話をお聞きしたとき、これは天啓だと思った。神が私に、この至上のお方をお支えするように仰っているのだと」
侯爵は興奮を隠しきれない様子でまくし立てる。
本物のレネ・リュークストンが失踪したのはたしか七年前の榛の月。今はその翌月にあたる葡萄の月だ。榛の月に出逢ったということは、宝石郷から戻って間もない頃に、レネは侯爵の庇護を得ることができたということだろう。
「おまえは幸運な職人だ」
「こ、幸運……?」
「私とともに、殿下のためにその力を尽くせる機会に立ち会えたのだから。悪徳のかぎりを尽くしたクラウンジュエルなき女王に、玉座はふさわしくなかろう? おまえも宝石を愛する職人なら、同じ思いのはずだ」
エメリは俯く。
(そう、なのかな)
玉座だのクラウンジュエルだのといった言葉はエメリには遠すぎて、あまり考えたこともない。ただ戴冠式に女王は王冠をかぶらなかったと聞いて、残念に思ったくらいだ。エミテルレーシアの王はみな、クラウンジュエルに加えて豪奢な石たちをあしらった王冠を戴冠するのが伝統である。だから、ひと目でいいからそれを見てみたいと常々思っていたのだ。
だが、厳格で正義を重んじる侯爵にとっては、クラウンジュエルなき王——それもほかの王位継承者を引きずり下ろしたという黒い噂のある王というのは我慢のならないものなのかもしれない。
エメリも幼い頃から堅牢王の伝承に心ときめかせてきたから、その気持ちは理解できる。
それにもし、ヨルゼ女王が幼い弟を手に掛けようとしたのが本当なら、いくら王といえど許されないことだと思う。
「宝石細工師、エメリ・オルセンに命ずる。この城に滞在し、クラウンジュエルを修復せよ」
夜翠玉でレネに依頼をされたときよりもずっと重く、その言葉はのしかかった。
聞けば聞くほどすさまじい大役だ。手指がふるえそうになる。
けれど、エメリは職人だ。
誰かが心から望む宝石細工があるのなら、それを形にする。それがエメリの仕事だ。
「持てるかぎりの、力を、尽くします」
「よく言った。クラウンジュエルの保管場所には、殿下が御自らご案内くださる。それまでは好きに過ごせ」
「あ……でも、えっと、その前に一度、仕事道具を取りに、お店に帰り――」
「ならん」
強い口調で言葉を遮られ、エメリはびくりと身をすくめた。
「この城が翠玉宮と藍玉宮に分かれているのには気づいていような。藍玉宮には諸侯や領民も出入りしている。政務のための棟だ。他方、翠玉宮は家臣や使用人の出入りも制限していて、私の側近ですら殿下の存在は知らぬ。しかし、宝石細工師がうろちょろしているなどと噂が立てば、私が殿下を匿っていることに勘づく者もあろう」
(あ……、なんだ)
エメリはほっと息をついた。あまりに強い拒絶だったので、てっきりこの城からもう二度と出してもらえないのかとまで思ってしまった。
しかし事情が事情だ。侯爵がレネを守るために神経を尖らせるのは、無理からぬことだろう。
「えっと、あの、事情は、分かりました。でも、わたしの仕事道具、最低限のものしか、持ってきて、いなくて」
「この城に大方のものは揃っていよう。必要なものがあればなんでも届けさせる。他に質問は?」
質問。なんでも聞いていいのだろうか。
エメリはそうっと、壁際で沈黙を保っている紅玉の石精を見つめた。
「あ、あの、その方の、お名前は?」
「名? 石精は石精だ。紅玉のな」
侯爵はエメリを不審そうに見た。
なにか企んでいるのではないかとでも言いたげな表情だ。エメリは慌てて弁解する。
「あ、えっと、その方とお話をできればと思って……」
「話なら私がしよう。私ではなにか不足が?」
「あ……い、いえ」
エメリは口ごもる。
普段ソルと四六時中一緒にいるから忘れているが、世間では——とくに上流階級においては人前で石精に言葉を話させるのはマナー違反だと言われる。石精の名を紹介したりもしないし、主人が石の分類を名前の代わりにして呼んでいることも多い。
エメリの店が非常識な店という謗りを受けるのも、ソルが売り子として人間のようにおしゃべりをしているからだった。
分かってはいたつもりだったけれど、レネもソルと
「そうそう、エメリ、石もあるんだよ」
妙な空気になってしまったところで、レネが会話に割り入ってくる。
「石?」
「そう。極上の宝石たちだ。今度きみにも見せてあげるよ」
エメリはほっとしつつも、頬を紅潮させた。
宝石商が仕入れてきた石を買いつけるのを常日頃首を長くして待っているエメリにとっては、新しい石に出逢えるというのはなににも代えがたい喜びだ。
「ヘクター、僕の宝石細工師は疲れています。そろそろ客間に案内しても?」
「もちろんですとも。どうぞ殿下のお好きに」
侯爵はうやうやしく頭を垂れる。
まだ聞きたいことは山ほどあったが、レネの言うとおり今日は色々あってくたくたに疲れてしまっていた。この城で生活するのなら、また侯爵にお目通りが叶うこともあるだろう。
去り際、執務室の壁に掛けられた肖像画が目に留まった。
若かりし頃の侯爵と淑やかそうな女性、それに小さな男の子が油彩で描かれている。侯爵の家族だろう。
たしか侯爵の家族はかつて、不慮の事故で亡くなっている。後妻も迎えず、いずれは遠い親戚を跡取りとして迎えるつもりなのだとお客さまが話しているのを聞いたことがある。
守るべき家族がすでに他界しているから、侯爵は女王に背いてまで、こんな危険な賭けに打って出られたのだろうか。
「エメリ、行くよ」
レネの声に、肖像画から目を逸らす。
エメリは彼の背中を追って、執務室を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます