4 贈りものとメレンゲ菓子
「――レネ、さんは、宝石郷にいた、の?」
三階から二階に下りる階段に差しかかったところで、エメリは前を行くレネにおそるおそる尋ねる。レネは階段の踊り場で立ち止まると、くるりと反転した。
「そうだよ。あまり記憶はないんだけどね」
ソルも、宝石郷にいた頃の記憶はほとんど残っていないと言っていた。
聞いた話によると、エミテルレーシアに暮らすほかの石精たちもそう口を揃えているらしい。おそらく宝石郷に人を近づけないためにとくべつな暗示がかけられているのだ、というのがよく取り沙汰されている定説だ。
だからレネに宝石郷にいた頃の記憶がないというのも、おかしな話ではない。
「あなたは、堅牢王の魂の継承者、なの……?」
「そうだね。……と言ったところで、たぶんきみは僕の言葉は信用しないだろう?」
その言葉にぎくりとする。
知らず知らずのうちに、レネの言葉のなかに嘘を探そうとしていたのを見抜かれていたらしい。
エメリは、ソルに人がいいと言われがちだ。褒め言葉ではなく、皮肉である。自分自身、人の言うことを信じやすいという自覚もある。
けれどそれにしたって、伝説が服を着て現れたみたいなレネを無条件で信用するのはなんだか危険な気がした。
黙りこくってしまったエメリに、レネは穏やかな笑みを返した。
「言ったよね、僕を見きわめてほしいと。きみはきっと、クラウンジュエルをそのきれいな眸に映すまでは納得しない。僕が思うに、きみは根っからの宝石細工師だからね」
そう言われてはっとする。
たしかにエメリは、クラウンジュエルを見るまではいくら侯爵やレネの説得があったところで疑わしい気持ちを完全に掻き消すことはできないだろう。
エメリは物言う人よりも物言わぬ石のほうがよほど信頼できることを知っている。人とちがって、石はおのれをいつわらない。もしいつわりがあるとすればそれは、石を見つめる者自身の審美眼に問題があるか、人によって捻じ曲げられた石であるかのどちらかだ。
エメリよりも、レネのほうがよほどエメリのことをよく分かっている。
「だからあまり気負わずに、僕のことはただのお客さんだと思ってくれればいい」
王子さまかもしれない人を相手に、とてもではないがそんなふうには思えない。けれど、レネの気づかいに少しだけ心が軽くなる。
「それで、クラウンジュエルは、いつ、見せて、くれるの?」
「まあ、そんなにあせらないでよ。身分や立場云々の前に、きみには僕自身のことを知ってほしいな」
間近で眸を覗き込まれて、エメリは飛び上がりそうになる。
いちいち距離が近い。
それになんだか話をはぐらかされたような気がしたのは、気のせいだろうか。
差しのべられた手に気づかないふりをして、エメリは明後日のほうに視線をやる。
すでに宵闇に沈んだ窓辺からは、明かりの灯ったハイネブルグの街並みが見下ろせた。シャンデリアの光に照らされて揺れる影を踏みながら、二階の廊下を進む。
(そういえばこのお城、なんだか……)
柱にほどこされた精巧な彫刻を眺めながら、違和感がよぎる。その言葉の先は、掴む前に風のようにするりと逃れて消えた。
◇
レネが案内してくれたのは、エメリには分不相応な居間兼寝室だった。
大きなうさぎのぬいぐるみが陣どった天蓋つきのベッドに、金細工を配した白い天井、それだけで一級の美術工芸品と見まごうような繊細なシャンデリア、重厚で精緻な刺繍のあしらわれたカーテン。これだけエメリには縁のなさそうな部屋なのにどことなく落ちつくのは、ペリドット色が絨毯やカーテンに配されているからだろう。
夜翠玉のしつらえと同じ色だ。
城館の内装は基本的には青を基調とした配色に統一されているので、この部屋だけ異質と言える。
たまたまこの城館にこの部屋があったのか、それともエメリのためだけに用意したのか。聞いてみたい気もするが、そのことについて一切考えたくない気もする。
「気に入ってくれた?」
レネは微笑みながら言う。
茫然と立ち尽くしたままでいると、レネはエメリの外套を取り去って、甲斐甲斐しくクローゼットのなかに掛けてくれる。
お姫さまや貴族の令嬢でもあるまいし、やめてほしい。
なかをよくよく覗いてみると、ドレスや靴、それに化粧品や髪飾りがずらりと並べられていた。エメリだけでなく、ソルのものもある。
「やだエメリ! これアビゲイル・モスの新作よ!」
ソルがエメリの肩に取りついて、王都の有名な仕立屋の名を叫ぶ。
ちょっと当ててみなさいよ、と彼女は圧の強い売り子さながらにアビゲイルなにがしのドレスをごり押ししてくる。
社交界の流行りすたりにも敏感なソルの美意識の高さに満足した様子で、レネがうなずいた。
「しばらくは外にも出られなくて、不便をかけるからね。きみ好みのものがあればいいんだけど」
エメリはこわごわ、ドレスに触れた。
王都の流行にまるでついていけていなくても、このドレスが安物ではないことくらい、ひと目見れば分かる。刺繍のひとつひとつにどれほど手間がかかっているか、襟のカットにどれほどの思慮がにじんでいるか。肌に当たる生地のとろけるような手触りといったらどうだろう。
宝飾と服飾。分野はちがえど、同じ作り手として感銘を受ける。すてきだと思う。
ドレスを身体に当てて、靴のひとつに足を入れてみる。サイズは、驚くほどにぴったりだった。
(なん、で……? ううん)
エメリは頭を振って思いなおす。
エメリの服や靴のサイズなんて、いつも使っている仕立屋や靴屋に聞けばすぐに分かることだ。夜翠玉と因縁のあったダンカンやドリーの事情を調べ上げたレネにとっては、はるかに容易な情報収集だったにちがいない。
エメリはじとっとした目でレネを見上げる。
「趣味じゃなかった? 好きな色やデザインは? もっと別のものを用意しようか」
「そ、そうじゃなくて。その、あの、ぴ、ぴったり……だから」
「やましい気持ちはないよ。きみのサイズについては、今すぐ忘れよう」
レネはおどけて、こめかみのあたりからなにかを引き抜く仕草をした。
たしかに彼にエメリのサイズを揶揄するような下品な下心は一切ないだろう。だがきっと、別の下心はある。
「心配、しなくても、わたしには、じょ、女王陛下に伝手なんて、ない、よ」
藍玉の眸を真っ向から見据えて言えば、レネはよくできましたと言わんばかりに喉を鳴らして笑った。
(やっぱり……)
おそらくこれは、エメリの機嫌を取るために、あるいはこれほどの贅沢をさせてやったのだから裏切るなと釘を刺すために、レネと侯爵が凝らした策のひとつだ。
レネは警戒するエメリの手を取って猫足の長椅子に座らせると、自身も向かいに腰かける。
あいだに置かれたテーブルには、色とりどりのメレンゲ菓子があいらしく器に盛られていた。
「思ったとおりだ。聡い子だね、エメリ。きみを選んだ僕の目に狂いはなかった。わがままで短絡的なドリー嬢とは、大ちがいだ」
それを褒め言葉だと思っているのなら、レネは大きな思いちがいをしている。
エメリは、太腿のあたりに巻きついたドレスの襞をぎゅっと握った。
「…………あのときも、言おうか、迷ったけど、ド、ドリーさんを、オダマキにたとえた、のは、意地が悪い、と、思う」
オダマキの花言葉は「愚か」。
レネはまるでドリーへの口説き文句のように使っていたし、あの場にいたほとんどの人はその真意には気づいていないようだった。だけど、学者の父のおかげで幼い頃から本を読む機会に恵まれたエメリは、その意図に気づいた。
案の定、レネは悪びれた様子もなく、眦を細める。
「自分を貶めようとした相手を庇ってあげるの?」
たしかにレネの言うとおり、ドリーのことは許せない。
でも、ひょっとすると彼女にも事情があったかもしれない。彼女の兄だという宝石細工師から頼まれて、自分の意志とは関係なしにやったことだったかもしれない。
みんながみんな本当は善人だとか、悪いことをしたのも仕方がなかったなどと言うつもりはない。だけど、あのとき見たことだけをあげつらって、彼女のことをざまあみろと笑うのは、なんだかこわい気がした。
それに。
「ドリーさんだけ、じゃない。あなたは女の子なんてみんな、どうにでもできるって、思ってる。今だってわたしを他の子とはちがうみたいに言うのは、いい気分にさせようとしてるから、だよね?」
ドリーのことを馬鹿にしているレネは、エメリのことだって馬鹿にしている。
そういう侮りを、エメリはこころよいものとは思わない。
レネは心底愉快そうにくつくつと笑いながら、色とりどりの貝の形をしたメレンゲ菓子に手を伸ばした。
ひと口でも食べられそうな大きさのそれを、レネは半分に砕いて咀嚼する。唇に微かについた粉を舐めとるように真紅の舌がうねる。
見てはいけないものを見てしまった気がして、エメリはうつむいた。
「きみも食べない?」
「食べ、ない」
「あーん、してあげるって言っても?」
レネはエメリの頤を持ち上げて、メレンゲ菓子を手に取った。
エメリは一気に青ざめる。
「ぜったい、しな、い」
身を引いて立ち上がるなり、エメリは長椅子の後ろに隠れる。
レネは懐かない子猫でも眺めるみたいに、ゆったりと椅子に背をもたれてエメリを見やったが、思い直した様子で腰を浮かすと長椅子に膝をついた。背もたれの後ろにいるエメリの手をとって、愛でも乞うようにささやく。
「どうやら僕は嫌われてしまったようだ。直すべきところがあったら、教えてくれる?」
「か、勝手に触ってくる、ところ」
エメリは極力レネの方を見ないようにして、指を折って数える。
「……必要以上に、人を追いつめるやりかた。……都合が悪くなると煙に巻く、ところ」
「やることなすこと、ご不満らしい。これ以上お姫さまのご機嫌をそこねないうちに、退散するとするかな」
レネは手のなかで弄んでいたメレンゲ菓子を口に含むと、立ち上がった。
だけどエメリはまだ、肝心のことが聞けていない。慌ててレネの背中を追いかけて、その服の裾を掴む。
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