6 交渉

 翌朝、エメリはトルマリンの石精に見張られて、レネの部屋で待ちぼうけを喰らっていた。

 侯爵はすでに城を出たあとらしく、しばらくはハイネブルグを騒がせている星生み失踪事件の対処で翠玉宮には帰らないつもりのようだった。

 ソルの部屋は昨夜のうちに一階に移されたようで、彼女には会えていない。エメリに対する人質でもあるのでひどい真似はされていないと信じたいが、信じることしかできないのが歯がゆかった。


「あの……」


 エメリはためしにトルマリンの石精に話しかけてみる。

 レネのいないうちにこの人を懐柔できないだろうかという打算が半分、もう半分は、この石精に逃げてほしいという思いからだ。

 侯爵は、彼を処分しておくようにレネに言いつけていた。レネがいつ彼の核を砕こうとするか分かったものではない。


(侯爵とレネに命を脅かされているのは、わたしもこの石精も同じ。この城で手を組めるとしたら……きっと、この人)


 たとえばもし、この石精の核を取り返すことができたなら。助力を求めることもできるかもしれない。

 エメリは意を決して口をひらいた。


「あの……わたしは、宝石細工師のエメリ・オルセン、です。少しだけ、話を聞いて、もらえません、か?」


 トルマリンの石精は目を伏せたまま、応えない。

 エメリは根気強く言葉を続けた。


「あなたの核が砕かれようとしているのを、知っていますか?」

「……存じておりますよ」


 トルマリンの石精がはじめて答えてくれる。低いが、澄んだやわらかな声だ。

 エメリはぱっと顔を輝かせかけたが、同時に落胆する。

 トルマリンの石精が自分の置かれた境遇を知っているということは、自分がどうなるか分かったうえでレネに協力しているということだ。彼の考えをくつがえすことは難しいかもしれない。

 だが、交渉してみる余地はあるだろう。


「なら、わたしと一緒に協力して、逃げませんか?」

「たしかに、あなたのご友人を助ける手引きくらいはできるかもしれませんね。あなたにとって、利はある。ですが、どちらにせよ私の核は砕かれます。残念ながら、私はみずから死を選ぶのはごめんですね」

「砕かせません。あなたの核も、取り返します」

「なぜ? 私のような砕けかけの石精を供としたところで益などありませんよ」


 トルマリンの石精は、いささか困惑した様子で言った。


「利とか、益とか、そういうんじゃなくて。核を盾にとって、あなたがそんなになるまで使って、傷ついたから、捨てる。そんなのは、おかしいです」

「……おかしい、ですか」


 夜翠玉でダンカンがエメリに濡れ衣を着せてソルを奪おうとしてきたとき、こんなのはおかしいと思った。だけど誰も味方をしてくれなくて、この世界から弾きだされたような気分だった。

 だから、少々やりすぎだとも思ったけれど、レネがかばってくれて、エメリはこの世界にも信じられるものもあると思えた。大げさかもしれないけれど、この世界でまだ生きてゆけると思えたのだ。

 もっとも、そのレネは今、ダンカン以上にエメリを手ひどく裏切ったのだけど。

 今だけは、そのことは考えない。


「その気持ちから目を逸らしたら、わたしは、わたしのことを二度と信じられなくなる。そうしたらわたしはきっと、どうやって生きていいか、分からなくなってしまいます。だから、ごめん、なさい。あなたのためというよりは、わたしのため、かもしれません」


 おかしいと思ったのに見て見ぬふりをするのも、なにかできることがあるのにそれをしないのも、きっと少しずつエメリをむしばむ。運よくこの城を脱出して元の生活に戻れたとしても、ふとした瞬間にトルマリンの石を見るたびに思うだろう。ああ、わたしはあのときあの城でトルマリンの石精を見捨てたのだ、と。

 エメリの答えに、トルマリンの石精は微かに笑みをふくんだ顔をした。まるでなにかを懐かしむように。

 感傷的な長話を馬鹿にされたのかと思ったが、彼の眸は穏やかに凪いでいる。


「いささか性急すぎますが、魅力的な口説き文句です。久しく聴けなかった言葉が聴けました。あなたの心づかいは、借りにしておきましょうか」

「久しく、聴けなかった……?」

「ええ、昔の、誰かさんのね」

「それって、どなたのことで――」


 トルマリンの石精は秘密めかして微笑むと、唇の前に人さし指を立てた。

 よくよく耳を澄ませると、部屋の外から足音がする。レネが戻ってきたのだろう。間もなく、扉がひらく。レネの手には、壊れたクラウンジュエルがあった。

 レネはエメリの様子をつぶさに観察してから、トルマリンの石精に目をやる。


「異変は?」


 エメリは今の交渉をレネに暴露されないかとひやひやしたが、トルマリンの石精はただ静かに首を振る。そのままレネに優雅な一礼をすると、部屋を出て行った。


「おいで、エメリ」


 レネに乞われて、半強制的に作業場に辿りつく。

 黒衣の石精の襲撃で荒れ果てていたはずの作業場は、すでに元どおりになっていた。これも石精の力だろう。


「トルマリンの石精は、どうするつもり?」


 仕事の前にどうしても確認しておきたくて、エメリは尋ねる。自然責めるような口調になるのはやむを得なかった。

 そんなエメリに、レネはあくまで冷淡な目を向ける。


「そんなことを気にしてどうするの?」

「命が、かかってる。そんな、ことなんかじゃ」

「そう、命がかかってる。きみの友だちを、同じ目に遭わせたくはないだろう?」


 レネはこれ見よがしに、ソルのペンダントを手のなかで弄んだ。

 エメリはきゅっと唇を噛む。

 依然として、この人のために宝石細工をつくりたいという気持ちはまったく起こらない。だが、約束は約束だ。仕事はしなければいけない。

 気持ちを切り替えて、エメリは長い足を組んで椅子に掛けたレネを見やる。

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