7 進まない仕事

「確認、だけど、あなたは王家の血筋じゃないから、かつて堅牢王と盟約を交わした石精を喚ぶことは、できない。だからあなたは金剛碑文になぞらえるために、宝石細工によって、ダイヤモンドの石精を喚びたい、で、合っている?」

「物分かりがよくて助かるよ」

「……なら、ただ修復するだけじゃ、だめだと思う」

「どういうこと?」


 レネは怪訝そうに眉根を寄せた。


「宝石細工は、その持ち主の人の心を形にする。石精は、その形に恋をして、世界を超えてまで、その人に会いたい、と望むの。その心を上手く形にできなかったり、実体とかけ離れていたりすれば、石精はきっと、それを見抜く」

「つまり、きみはこう言いたいわけだ? 僕の心の形は、そのクラウンジュエルにふさわしくないと」


 口調こそいつものやわらかな調子だったが、どこか荒んだ空気がレネを取り巻く。

 エメリは身を硬くしつつも、まっすぐにレネを見返した。

 望まぬ仕事とはいえ、仕事は仕事。たとえレネを怒らせたとしても、職人として言うべきことは言う。いい加減な気持ちで石に触れるつもりはなかった。


「ふさわしくないっていうか……あなたの心が、分からない。でも、そのクラウンジュエルは、あなたらしくない、気がする」

「僕の裸の心は、昨日の晩にきみに隅々まで見てもらったつもりだけどね。まだ足りなかった?」


 レネは昨夜、たしかに本心も見せただろう。だけどそれはまだ、ほんの一部だ。

 エメリは宝石細工をつくる相手に、心のすべてをさらせと要求はしない。

 そこまで踏みこむ権利は、宝石細工師にもほかの誰にもない。人の心は、その人だけのものだ。

 けれど、彼の心に近づくための取っかかりを、エメリは得ていない気がする。

 レネは昨日もう嘘をつく必要はないと言ったが、まだ彼の発言はいつわりにまみれている気がした。


「リペアじゃなくて、リフォームはしちゃ、だめ?」

「程度による。原型がなくなっては困るな。多少なら、宝石郷で名のある石精に魔法をかけてもらったとでも言うけど」


 そういうほらを吹くのは彼の得意分野なのだろう。

 わけない様子で言って、レネはテーブルの上に置いたソルのペンダントを見やる。

 その目に、どきりと心臓が音を立てた。


(あ、まただ……)


 この人は、なんて目をしてエメリのつくった宝石細工を見つめるのだろう。

 どこか膿んだような、欲を感じる。心の底から宝石細工を望む人の、灼けつくような欲だ。

 その欲に囚われたらもう戻れない気がして、エメリは目を逸らす。


「たとえばみにくい心の持ち主なら、きみの手でつくる宝石細工でもみにくい形になるのかな」


 レネはまるで一般論を述べるように言ったが、自嘲じみた笑みがそれを裏切っていた。

 その意味は、レネはエメリのつくる宝石細工をうつくしいと思っていて、自分自身をみにくいと思っているということだろうか。

 相手は平然と人の良心につけ込み、何食わぬ顔で人の命を盾にする人間だと思うのに、なんだか胸が苦しくなる。

 もしかすると、また彼お得意の術中に嵌まっているだけかもしれない。同情を買い、人の心を弄んで望みの結果を手にする。

 彼の常套手段だと言い聞かせながら、エメリは答える。


「……分から、ない。わたしは、その人の心の形をつくるだけ、だから」

「そう。形を替えるなら、デザイン画を描いて。それで判断したい。もっとも僕は、きみの仕事を信頼するほかないのだけどね」


 レネはテーブルに積んであった仕事道具のなかから紙を引っぱりだして差しだす。

 エメリはためらいつつも、素直にそれを受けとった。なににしろ、デザイン画は描く必要がある。


「それで僕は、きみの聖域には居ないほうがいいのかな」


 いつもだったら、エメリはお客さまと会話をしながら宝石細工の形を決める。

 けれどソルを脅かしている人間の顔を見ながら、いい宝石細工が作れるとはとても思えない。それにこうして話していても、まるで傾けると色や光が変化する蛋白石オパールのように捉えどころがない相手なのだ。一緒に居てもらったところで、ますます彼という人のことが分からなくなるだけだろう。


「……今日は、ひとりで、考える」

「そう。それじゃ悪いけど、外から石精に見張らせてもらうから。頑張ってね、僕の宝石細工師さん」


 甘やかに声は響いたが、その藍玉の眸はどことなくほっとしたような光をたたえている。彼は椅子の上に掛けていたフロックコートを手に取ると、優雅な足どりで部屋を出て行った。


(あの人は、ほんとうに王さまになりたい、の?)


 侯爵は分かりやすい。ぎらぎらとした野心が、炎のように燃えていた。

 だけど、レネからはそういう権力欲が感じられない。身ひとつでエメリやソルの抵抗を削いでいく手腕は見事だったけれど、その芯は冷えている。そんな気がした。


(それとも、それも嘘?)


 レネの本当の思いがどこにあるのか考えるのは、今朝の雲はどうして蝶の翅のような形をしているんだろうと考えるくらいに、不毛なことなのかもしれない。

 彼に本当のことなど、なにひとつないのかもしれない。

 だいいち、あんな仕打ちをしてきた相手のことを頭を悩ませて考えるだなんて、馬鹿げている。ソルが見ていたら、これだからお人よしはと悪態を吐くに決まっていた。


「……仕事だから、考えなきゃいけないだけ、だよ」


 誰に聞かせるともなくこぼれ落ちた言葉だったのに、その言葉はやけに言いわけめいて、がらんとした室内に響いた。


 ◇


 規則正しいノックの音が響いて、エメリははっと顔を上げた。ドアベルの音とともにレネが作業場に入ってくる。

 気づけば、すみれ色とピンクコーラルを混ぜたみたいな夕焼けが、窓の外を染めていた。


「エメリ、進捗はどう?」

「あ……」


 レネにデザイン画の用紙を覗き込まれ、エメリは身体をすくませる。

 用紙は白紙だった。テーブルの上には、塗りつぶした四、五枚のデザイン画が散乱しているが、どれも着彩するどころか、ほんの少しクラウンジュエルや銀細工の装飾を描いただけで筆を置いている。

 すぐそばでした衣擦れの音に、エメリはますます縮こまる。

 レネがエメリを曲がりなりにも丁重に扱おうとするのは、職人としての能力が必要だからにすぎない。エメリが使えないと分かれば、彼はすぐに態度をひるがえすだろう。

 エメリが折檻されるだけならまだいい。ソルの核に手出しをされたらと思うと目の前が真っ暗になる。


「ごめ、なさい。今日は上手くいかなかった、けど、明日はきっと、ちゃんとやる、から」


 声が情けなくふるえる。

 レネの手が肩に伸びてくる。昨夜の出来事が脳裏をよぎって、エメリはぴくりと肩を跳ねさせた。

 肩に触れかけたレネの手が、寸前で握りこまれる。


「……無茶な要求をしている自覚はあるからね。一朝一夕に上手くいくとは思ってないよ。まあ色々事情があるから、あまり長くも待てないんだけど」

「……事情?」


 エメリの問いに、レネは答えない。

 だが、おそらくあの黒の石精が関係している。直感にすぎないがそう思った。


「クラウンジュエルをしまってくるから、きみは先に夕食を食べていて」


 レネはあくまでやさしくささやいた。

 彼は同じその声で、昨夜エメリとソルを恐喝した。エメリに思いだしたようにやさしくするのも、すべてクラウンジュエルのため。

 分かっているのに、心をゆらしてしまう自分の安直さがいやになる。

 レネが取り上げたクラウンジュエルは、夕陽を浴びてなお神々しいかがやきを放っていた。

 潔癖なまでの、穢れを知らぬ造形に息をのむ。

 真冬にエミテルレーシアの北方を襲い、白魔などとたとえられる猛吹雪にも似た、暴力的な美がそこにある。

 レネの手に、クラウンジュエルはしっくりとおさまっているようにも見えた。彼の危うさや怖さを形にしたら、少し似た形にもなるのかもしれない。

 だけど、なにかがちがうと思う。

 一からつくるビスポークではなく、作り替えだから、というわけではないだろう。エメリはこれまで、夜翠玉でリフォームの依頼も受けてきた経験がある。

 なにより、レネがこの王冠を見つめる眸には熱がない。焦がれるような欲もない。

 レネのためにつくられた宝石細工ではないからと言われたら、もちろんそうだろう。侯爵のように、クラウンジュエルをただの王位のための道具としか思っていない可能性はある。

 だけど。


(——この人は、わたしの宝石細工をあんな目で見るのに)


 夜翠玉で、エメリのモルガナイトの指輪を褒めてくれた声音。ガラス細工を見つめる思いつめた顔。ペリドットのペンダントにそそがれた視線の、膿んだ熱。

 今日一日、レネのことを考えて思った。

 あれはエメリの好感を勝ち取るための戦略でもあっただろうが、あの姿だけはこの人の本当の心でもあったのではないかと。


「……レネは、この形が欲しいん、だよね?」


 あまりに思いもよらない質問だったのか、レネはどこか幼いきょとんとした顔をした。


「欲しいよ。でなきゃ、きみはこんな目に遭ってない」

「そう、だよね」


 エメリは曖昧にうなずき、訝しげにしつつも退出しようとするレネの姿を目で追う。

 夕影に彩られたレネは、彼の本性があらわになる前と変わらずうつくしかったが、その手にあるクラウンジュエルの形はやはり彼にはそぐわない気がする。

 エメリは困り果てて、白紙のデザイン画をつと指でなぞった。

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