12 懇願

「どう、して? なにも、命まで奪わなく、ても」

「過去の僕を知る人間がいては困る。僕が贋物だと知る人間は、少なければ少ないほどいいからね」


 レネは侯爵の思考をなぞるように、淡泊な顔で答える。

 握りしめた手のひらの皮がえぐれるのもかまわず、エメリはますます強く手を握りしめた。

 考えてみれば、侯爵のやり口は一貫している。

 侯爵はエメリがレネを贋物だと気づいたことを知らなかったにもかかわらず、のちのち口封じをする算段をしていた。職人ひとりの命などより、秘密が露見する可能性の排除を優先したのだろう。

 だったら、レネがごみ山にいたことをよく知る人間は、たとえ相手が子どもであってもひとり残らず抹消しておきたいと考えても不思議ではない。


「だけど、そんなにたくさんの子たちが、一度に消えて――街の人はみんな、だれも、おかしいと、思わなかったの?」

「僕たちみたいなごみくずが消えたところで、わざわざ探しにくる人間はいない。それに、孤児院の設立がいい隠れ蓑になった」


 エメリは瞬きもできなかった。

 ひょっとすると、そのために侯爵は孤児院をひらいたとでもいうのだろうか。孤児院設立は、いまだに街の人たちの間で善行として語り草になっている。

 厳しいが慈悲深い領主を戴いたと、皆が侯爵を褒めそやしているのを聞いたのは一度や二度ではない。

 だがその裏では、侯爵の野心のためにレネはこの城に囚われ、まだ幼い少年少女がむごたらしく殺されていた。

 喉の奥まで迫ってきた吐き気を、浅く息を吸っては吐いてやりすごす。


(……だけど、わたしも忘れていた)


 ごみ山の名すら忘れていたことに、強烈な罪悪感が込み上げる。

 エメリは幼い頃からきれいなものが好きだった。石精や石。きらきらして、見ると幸せになる、うつくしいもの。

 反対に、怖いものや人の悪意やあまりきれいじゃないものはきっと、あまり見ないようにしていた。

 エメリがもし幼い頃、ごみ山の子たちから目を逸らさずに、もしレネをこの目に映していたら。ごみ山の消滅後、レネが孤児院にいないことに気づいていたら。

 彼はもしかしたら、今ここでこんな嘘をついていなかったかもしれない。

 エメリがこわばった顔をしているのをどう取ったのか、レネは戸惑ったように小首を傾げて微笑う。


「きみは、怒るんだな」


 エメリが怒っているのはなにも、侯爵に対してだけではなかった。けれど、きっとそれを言えばレネは、エメリが言ったのと同じように、きみも子どもだったというだろう。

 エメリの負い目を融かしてくれようとするだろう。

 だから、エメリはただ目を伏せて答える。


「……怒る、よ。怒るに、決まってる」

「あの頃は僕も逆上して、こんなのはおかしいと喰ってかかった。あえなくイシュムに、半殺しの目に遭わされたけどね」


 半殺し。エメリははっとする。

 レネの背中にあった傷は、そのときに負わされたものなのではないだろうか。

 あの古傷は、本物のレネ・リュークストンが失踪した際に負った傷に見せかけるのにぴったりだった。おぞましいことだが、侯爵はそれを織り込んでレネを傷つけたのにちがいない。

 伝説になぞらえた、輝かんばかりの悲運の第四王子の身代わりを仕立てあげる。ただそれだけのために。


「その後は、前に言ったとおりだよ。猿ぐつわを噛まされて牢に閉じ込められた。自分が何者であったかを忘れて、レネ・リュークストンであることを理解すれば、出してやると言われた」


 前に聞いた話はあながち嘘でもなかったのだ。

 彼はそうやって真実を少しずつ織り交ぜながら嘘を語ることで、嘘を真実のように見せかけ続けてきたのかもしれない。


「あのあとも何度か侯爵に歯向かったけど、そのうち怒りかたなんて忘れてしまったな」

「怒り、かた……」


 怒るのにも、力がいる。奪われ続けたレネがそうなってしまうのも無理はないのかもしれなかった。

 侯爵はレネから抵抗する意志を捥ぎながら、思いどおりに動かすことのできる駒として仕立てていったのだろう。


「レネ。やっぱり、逃げよう。レネも、侯爵の言うとおりにする必要なんてない、って本当は分かってる、はず。クラウンジュエルが欲しいなんて、嘘、だよね?」


 エメリはもう一度レネの手に指を絡めた。

 束の間、躊躇うような静寂が落ちる。

 彼はするりと手を引いた。軽薄な笑みが、口の端にかかる。


「嘘じゃないよ。きみは本当に、悪党を相手にするのに向いていない」

「つまりあなたは、心の底からクラウンジュエルを望んでいる、ということ?」

「そうだよ。だって僕が王にならなきゃ、カノープスたちはただの犬死にになる。だから僕は、この嘘を真実にしなきゃいけない」


 嘘を、真実に。

 ああ、とエメリは声にならない声をあげる。

 そのために。カノープスたちの死をなかったことにしないために、彼は玉座を望むのか。


「欲しいのは、ごみ山の王なんか目じゃないくらいの絶対的な力だよ。もう二度と、なにも奪わせない」

「だから、って――、そのために、他の人を傷つけるの? 女王陛下を、追い落として。本当の第四王子殿下から、名を、奪って?」


 それではまるで侯爵のやり口のようだ。


「僕に道徳を説いても無駄だということは、きみのほうがよく分かっていると思っていたけれどね。それに女王にはクラウンジュエルがない。つまり彼女も本物の王ではない。だったら僕が王でもかまわないと思わない? どうせどちらも同じ、贋物なら」

「王になって、絶対的な力を得て、あなたはどうする、の?」

「復讐」


 レネは朗らかな今にも歌い出しそうな声で言った。


「侯爵、に?」

「侯爵だけじゃない。この国に呪いのような伝承をもたらした堅牢王、代替わりのたびに国を揺るがしている王家の連中、それに禿鷲のように群がる貴族連中、僕らを捨てた親たち、それを仕方ないと見て見ぬふりをしたありとあらゆるこの国の大人たち、すべてだ」


 レネの手は、コートの内ポケットに添えられている。

 彼はガラス細工を取りだすと、ほの明るい空に透かしてその輝きを覗き込むように片目をつむった。


(そっか……)


 エメリは理解する。

 なぜ、レネがガラス細工にこだわったのか。

 なぜ、焦がれるような切実な目をして、この宝石細工を求めたのか。


「エメリ、見えた? 僕の形」

「……え?」

「宝石細工は、持ち主の心を形にするんだろう? きみが僕の心の形が分からないと言ったからね。だから今度は、惜しみなく伝えたつもり」


 レネは悪びれずに言った。

 ついに観念して、レネはエメリに心をいくらか明け渡してくれたのだと思っていた。それも嘘ではないだろう。

 けれど彼にはそんな状況すら、自分の痛みすら利用する痛々しいほどのしたたかさがある。エメリに心を明かしたのだから、引き換えにクラウンジュエルを寄越せと言う。


「復讐、なんて聞いて、わたしがあなたに宝石細工をつくると、思うの?」

「さあね。それは分からないけれど……エメリ、ほら」


 レネはエメリの手になにかを握らせた。

 慣れ親しんだしゃらりとした金属の感触と、微睡みをさそう胎動の音に目を見ひらく。

 ソルのペンダントだ。


「なん、で……レネは、わたしにクラウンジュエルを、つくらせたい、んだよね?」

「そうだよ」


 だったらソルのペンダントをエメリに返すなんて、ありえない。

 命綱を手放すようなもので、これをなくしたらソルはレネを攻撃することだってできるし、エメリは城を逃げだすことだってできる。

 駆け引きだけでエメリを出し抜いてきた彼らしくもない、最悪の一手だった。


「だけど、お人よしのきみはもう、丸腰のかわいそうな僕を見捨てて出て行くこともできない。ちがう?」


 エメリは絶句した。

 ちがわない。ちがわないから、この人は厄介でずるくてたちが悪いと心底思う。

 せめてもの抵抗に、涙にぬれた眸でレネを睨みつける。

 レネは立てた膝の上に頬をくっつけて、悪戯の成功した子どもみたいな顔をして笑った。

 突っ返されたソルのペンダントがひどく重い。

 身ひとつで生きてきたこの人は、自身の使いかたもエメリの甘さもよく分かっている。

 エメリを無理やり縛る枷を外した代わりに、エメリがみずから彼に囚われるように仕向けてしまった。


「つくってよ、エメリ」


 愛を乞うささめごとじみた懇願の言葉に、エメリは無性にわっと声を上げて泣きだしたくなる。

 侯爵のような極悪人か、それともただただ同情を寄せられる悲劇に見舞われただけの善良な人間であったなら、せめて演技でもどちらかに見せかけてくれたらよかった。それならきっと、彼を見棄てることだって、彼の望みを叶えることだってできた。

 光に透かすたびに色合いを変える石のように、この人の心は複雑に揺らめいて、エメリが掴みかけたと思ったそばからその手をすり抜ける。


「夜が、明けたな」


 レネは首を回して、背後から射してきた陽光に目を眇める。

 エメリもつられてまばゆい光に手を伸ばしたが、引きとめるように、レネの手が重ねられた。

 淡くいくつもの色の折り重なった朝焼けにも、清々しい気持ちにはとてもなれない。エメリの心は、レネといるとがんじがらめになった糸のようにぐちゃぐちゃで、わけが分からなくなる。

 けれど、つめたい夜の気配はもう遠い。

 指先をあたためるのが、朝陽のせいなのかレネの体温のせいなのか、もう分からない。

 ぬくみにさそわれるように、エメリの身体は眠気を思いだしてぼんやりとする。

 思えば先ほどまで夜どおし宝石細工に、しかも石精の核となる石に触れていたのだ。消耗もする。


「大丈夫。もう怖いことはなにもないから、安心して眠っていいよ」


 安心とはほど遠い人の言葉なのに、ますます頭のなかに靄がかっていく。

 かくん、と傾いた身体をなにかに抱きとめられる。その正体に辿りつく前に、エメリの意識はやわらかな揺りかごに落ちた。

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