2 ガラスの宝石細工

 侯爵が夜まで外出しているというのは本当らしく、翠玉宮に石精以外に人はいなかった。

 広間に集められた石精は三人。

 音をこの城館内に閉じ込める力をもつという鉄鉱石の石精がひとりと、家政を預かり城の修復を担う石灰岩の石精がひとり。ふたりとも、戦闘能力はないようだ。

 ソルはエメリの肩の上で注意深く一人ひとりを観察しながら、耳打ちする。


「あのトルマリンは、厄介といえば厄介だけど」


 ソルが厄介と称したのは、深海のような深い青から紫へと揺らめく髪をもつ石精だ。その髪は高い位置でひとつにくくられ、神話から抜けだしてきたような美貌をもっている。


「核が砕けかけていたもの。あれじゃ、相手にならない」


 ソルの言うとおり、トルマリンの石精の衣服から覗いた肌は砕けて痛々しかった。

 ソルはその姿から目を逸らして、床に視線を落とす。

 トルマリンはペリドットと同じ半貴石。核が砕けた石精は、能力が減退する。あのトルマリンにソルを脅かす力はなさそうだった。

 レネを先導させて、エメリもこの石精たちの核がしまいこまれた鍵つきの保管庫を見させてもらったから間違いない。

 エメリも力なく目を伏せる。


「あのトルマリンの核、修復させてもらえないかな。少しは傷も癒える、かも」

「ばかね。あっちの戦力増強させてどうすんのよ。お人よしもたいがいになさい。相手の出方が分からない以上、あいつらも敵とみなす」


 やるせなくもあるが、ソルの言うことももっともだった。

 おそらく彼らは侯爵の持ち物、、、だが、石精たちはレネの命令に従っていた。つまり、侯爵だけでなくレネも彼らを支配している。レネが命じれば、修復されたトルマリンはエメリたちを襲うかもしれない。

 ソルの眸が傷ついたように揺れる。

 彼女は口では悪ぶったことを言いがちだが、その実、情が深いところがある。

 エメリはソルのちいさな手を親指の先と人差し指の先でそっと握りながら、石精たちをもう一度見つめた。


(さっきから……この石精たち、一言も喋らない)


 ルビーの石精——イシュムも、一言も声を発していなかった。

 おそらく、人前で喋ることを禁じられているのだ。

 核ひとつ奪われればなにもできない石精は劣った種族だとして、石は石らしく物など言うべきではないという風潮が幅を利かせている。

 もっとも、ハイネブルグ城の石精がとりわけひどい扱いをされているというわけではない。

 石精は、有閑階級が蒐集品のようにただその美貌を愛でるために贖うこともあるが、労働力として使われているほうがはるかに多い。寝食が必要なく、病気もせず、簡単には壊れない石精は、人間を雇うよりも都合がいいということらしかった。

 いらなくなれば売買できるし、砕いて捨てれば死体を埋葬する必要もない。


 ‟彼らは人ではなく、ただの石なのだから”。


 それがこの国で行われている、ごく一般的な石精への仕打ちだ。

 幼い頃は、そんなふうに扱われている石精を見るたびに、そんなのはおかしいと食ってかかっていた。だけど、最終的に頭がおかしいと後ろ指を指されるのはエメリのほうだった。

 だからレネと出逢って、彼が石精を手ひどく扱ったりしない人間だと知って、それだけで心をゆるせるような気がしたのだ。彼はごく当たり前のように、石精を人間と変わらず尊重しているように見えた。

 だけどそれも、いつわりの姿だったのだろうか。


「仕事に戻れ」


 レネは居丈高に、冷淡な目をして石精たちに命じる。

 石精たちは混乱した様子もなく、普段通りの仕事に戻っていった。

 あくまでレネがエメリたちに石精を紹介するという形を取ったので、石精たちも城になにか異変が起きているとは思わなかったようだ。

 ソルは浮遊して腕を組むと、レネを見下ろした。


「あんたがこのことに関しては、嘘を言ってるわけじゃないと分かったわ。まあでもあんたは悪知恵が働くようだから、妙なことをたくらまないように夜まで部屋に籠もってもらう。いいわね?」

「仰せのままにするとするよ」


 レネはまったく抵抗を見せずに、部屋へと引き上げていく。

 ソルの念の入れようはすさまじく、レネの部屋に到着するやいなや彼の部屋のなかを隅々まで物色し、短刀や橙石や彼の隠し武器だった星石を仕込んだ靴を回収した。


「……あら、あんたの部屋も、嵌めごろしの窓なのね。ご丁寧にも星石混じりのガラスだわ。やけに物騒な城だこと」

「丈夫で助かっているよ」


 レネはそううそぶいて大人しく長椅子に腰かけると、本を捲りはじめる。

 エメリはただ、レネではなくサイドテーブルのほうを見つめた。


「お茶くらいは飲んでもいいかな? それともティーセットも没収される?」

「好きにしなさいよ。まさか毒でも飲んで、自害する気はないでしょ」


 ソルの物騒な物言いにもレネは気分を害した様子はない。トルマリンの石精にティーセットを運んできてもらうと、慣れた手つきで紅茶を淹れはじめる。

 そのやりとりも一部始終をソルが検分したが、なにか手紙を渡したりする様子も、お湯のなかになにかを仕込んでいる様子もなさそうだった。


「きみたちも一緒にどう?」

「ぜひ、なんて言うと思う? 侯爵が帰ってきたら開けてあげるから、せいぜいひとりで最後の優雅なティータイムを楽しみなさいよ」


 ソルは鼻を鳴らすと、エメリを急かして部屋の外に出た。

 ソルは扉の前に陣取ることに決めたらしく、小さな身体を丸めてしゃがみ込んだ。エメリも緊張がほどけて細く息を吐きだしながら、その場に座り込む。


「……レネの怪我、大丈夫、かな」

「なんであんなクズの心配なんかしてるのよ! いい? エメリ。あいつはあたしたちに真っ赤な嘘をついていて、危うく王位簒奪なんて最悪も最悪の悪事の片棒を担がされそうになったのよ!」

「それはそう、なんだけど……あんなにしおらしいと、居たたまれなくて」

「はあ!? しおらしい? 相変わらずふてぶてしいじゃない。あんたはお人よしすぎるんだから気をつけなさいよ。ああいう男は、そういう女につけ込むのが上手いのよ」

「うん……」


 エメリはつぶやき、膝に顔をうずめる。

 彼の嘘が露見した今なら、レネがたくさんの職人のなかからどうしてエメリに目をつけたか分かる。おそらく彼は、騙しやすく御しやすそうな職人の小娘だと侮って、エメリに声をかけたのだ。

 ただ、クラウンジュエルを捧げさせるために。


(だけど……)


 彼の部屋のサイドテーブルを思い返す。

 エメリのつくったガラスの宝石細工はいまだ、彼のかたわらに佇んでいた。

 クラウンジュエルをあしらった絢爛な王冠を目の当たりにしたあとでは、あの濁ったガラスはかすんで見えた。そもそも夜翠玉でガラス細工を求めたのだって、エメリの好感を得るための打算かもしれない。

 だったらエメリの宝石細工なんて邪険に扱ってくれればいいのに、彼はまだあの宝石細工を手放そうとしない。

 うぬぼれそうになる。


(レネは、わたしの宝石細工を心から望んでいるんじゃないかって)


 だからどうしたって憎みきれない。

 今もまだ、彼はエメリのつくった宝石細工を捨てずにいてくれているだろうか。

 ダンカンに押しつけられた宝石細工を、縋るような目をして見ていたレネの姿が脳裏をよぎる。エメリはどうしてか泣きだしたくなって、慌ててますます強く、膝頭に顔を押しつけた。


 ◇


 侯爵が帰ってきたのは、小夜啼鳥が歌い、もう間もなく夜半に差しかかろうという時分だった。

 エメリはレネの隣の部屋からそっと、馬車から降りてきた人物を確認する。

 侯爵のかたわらにはイシュムがいるだけで、他に人はいなかった。

 エメリの報告を受けて、ソルがレネの部屋の扉を開けてやる。ソルは部屋に押し入って、彼を牽制してからエメリを部屋に入らせた。


「出番よ。あんたが先を歩いて。侯爵の執務室には同時に入るわ」

「それはやめたほうがいいと思うよ」


 ソルの要求に、レネははじめて拒否を示した。ソルの眦に険がよぎる。

 レネは両手を上げて、あくまで穏やかな声で言った。


「まずは侯爵と僕の話を聞いてほしい」

「……レ、レネは、わたしたちに、立ち聞きをさせたい、の?」


 エメリの問いに、ご名答とばかりにレネは唇を吊り上げた。


「きみたちは僕が執務室に入ってから、近づいて。近づきすぎると、イシュムが気づく。ソル、きみならそのぎりぎりを見極められるね?」

「やましいことのないあたしたちが、どうしてこそこそしなきゃいけないのよ」


 すぐさま噛みついたソルに、レネは上げた両手を身体の正面に持ってきて、なだめるように目を見合わせる。


「だいたい、あんたみたいな口先男を先に侯爵に会わせたら、あることないこと吹きこまれて、いきなり紅玉の石精が襲いかかってこないともかぎらない」


 そう言いながらもソルは、自分の発言の違和感に気づいているようだった。

 地下室の問答と同じだ。エメリたちをこの城に連れてきたのはレネだ。レネがエメリたちを排除したいならはじめからこの城に連れてこなければいい話だし、わざわざ地下室に連れて行ってクラウンジュエルに触れてみせ、自分を不利に追い込む必要などなかった。

 あくまでクラウンジュエルには触らずに、エメリに仕事をさせればよかったのだ。

 そうしていれば、おそらくエメリは侯爵のようにレネが本物だと信じただろう。レネがうっかり失態を演じたとも思えない。

 つまり、なにか事情があってレネはみずからの嘘を明かしたと考えるのが自然だ。

 なぜそれを今説明してくれないのかは、さっぱり分からないけれど。


「ソル、レネの言うとおりに、しよう?」


 エメリの言葉に、少し怒ったふうにソルは振りかえる。

 たしかに危険な賭けだ。

 侯爵の護衛であるイシュムはルビーの石精。貴石である彼は、ソルよりも強力な戦闘能力をもっている可能性が高い。

 もしイシュムが襲いかかってきたら、エメリもソルも無事ではいられないだろう。

 しかし侯爵はいくらレネに心酔しているとはいえ、立場もあれば分別もある人間に見えた。レネの嘘が分かれば、女王への反逆などという危険な賭けからは手を引くだろう。エメリのことも丁重に扱ってくれているし、めったなことは起こらないはずだ。

 覚悟を決めて、エメリはソルとともにレネの後に続いた。

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