第3章 嘘つきと虜囚

1 駆け引き

 礼拝堂には、薄氷のような緊張が張りつめていた。

 息もできないエメリとは裏腹に、レネは薄笑う。


「どうしてそう思ったの?」

「……王家のクラウンジュエル、は、石精と血の盟約を交わして、る。だから、堅牢王の末裔が触れれば、契りの証として、石が胎動する、はず」


 宝石細工により顕現した核とちがって、盟約によって顕現した核はその血の持ち主にしか呼応しない。

 それがレネに反応しないということは、石は本物でもレネは本物ではないということだ。

 石に詳しくない人間はそんなことは知らないし、宝石細工師でも核を扱ったことのある星生みくらいしかそのちがいには気づけないだろう。

 しかしエメリはソルのペンダントを年柄年中首から提げて、その胎動をいつも感じとっている。


「やっぱり、星生みの宝石細工師の目はごまかせないか」


 レネは悪びれずにつぶやいた。

 つまり、なにもかも嘘だったと言うことだ。

 彼が第四王子であるということも、暗殺されかかってからの七年間宝石郷に逗留していたということも、堅牢王の再来であるということも。

 あの背中の傷は――本物だったが、七年前に王子が暗殺されかかったときの傷では決してない。


「——あなたは、誰?」


 エメリはなんとか立ち上がって、レネとの距離を空ける。


「……侯爵さまに、このことを伝える」

「まあ、待ってよ。それはやめたほうがいい」


 レネの口ぶりに、エメリはやっぱり、とこぶしを握る。

 もしも侯爵がレネと共謀しているのなら、ここでエメリを止める必要はない。

 単にレネと侯爵でエメリの口封じをすればいいだけだ。でも、レネはエメリに侯爵に真実を伝えることを阻もうとしている。

 つまり、侯爵は真実を知らない。


 侯爵は七年ぶりに宝石郷から生還したという第四王子の身の上話に、たいそう心酔した様子だった。

 レネ・リュークストンが失踪した七年後に、本物のクラウンジュエルをたずさえた贋の第四王子を名乗る人物が現れれば、侯爵がそれを信じてしまうのも無理からぬ話かもしれない。

 エメリもできすぎた話だと思いながら、半ば信じかけていた。


「嘘で、この国を乗っ取ろうとしている人の宝石細工は、つくれない」

「ダイヤモンドの贋物のガラス細工はつくったくせに?」


 この期におよんで、あのガラスの宝石細工にこだわるレネの意図が理解できない。


「あれはダイヤモンドだって、嘘をついたわけじゃ、ない。あのガラスをいちばん、きれいに見せるためのもの。あなたは、ただの嘘つき」

「さすがだね、エメリ。きみにはやはり、真贋を見抜く目がある」


 レネは少しも弁解することなく王冠を箱に戻すと、エメリに一歩近づく。

 立ちすくんだエメリの前に、人間の少女ほどの大きさになったソルが立ちはだかった。


「それ以上、エメリに近づかないで。つぶすわよ」


 ソルの声はすっかり冷えきって、殺気をみなぎらせている。

 もう彼の前でつくろう必要はないとソルも判断したようだ。


「……こわいな。きみに敵うとは思ってない。ちょっと落ちついて話を聞いてよ」

「贋物の話に耳を貸すいわれはないわね。あんたにころっと騙されている侯爵にも、本当のことを言うわ。そうすればあんたみたいなろくでなしの嘘つき野郎なんて、野犬にでも喰われておっ死ぬでしょうよ」

「まあ、そうつれないことを言わずにね」


 レネはなおもとろけるような微笑をソルに向ける。

 ソルはそれを鼻で嗤った。


「あんたみたいな人を馬鹿にしくさったクズ、反吐が出るわ」


 ソルの凍てつくようなまなざしを受けて、レネはろくに動けずにいる。

 ソルは戦闘に特化した半貴石の石精だ。少し喧嘩に強いくらいの人間の男では、相手にならない。

 エメリはそこでようやく、違和感に気づいた。


「ソ、ソル。あの、待って」

「なによエメリ。あんたこんなちょっと顔がいいだけのクズにうつつを抜かしたとか、ばかなこと言わないでしょうね!?」

「ち、ちがうの。レネはわたしが、本当のことに気づくかもしれないって分かったうえで、ここに、連れてきた」


 エメリの言葉にはっとした様子で、ソルはレネに視線を戻した。

 レネには、エメリの前でクラウンジュエルに触らないという手もあったはずだ。しかし彼はあえて、事実が露見する危険を冒した。

 あるいは、ソルとは引き離してエメリだけを連れてきていたなら、彼はこんな窮地に追い込まれてはいなかっただろう。

 おそらく、その危険を冒してまで伝えたいことがあったのだ。

 レネはエメリを称賛するように、まばらな拍手をした。


「きみたちが会いたがっている侯爵は、イシュムと夜まで外出中なんだ」

「イシュム、って?」

「紅玉の石精」


 彼は、名をイシュムというのか。侯爵に名を尋ねたときにうやむやになってから、聞く機会もなく分からないままになっていた。

 だが、今の状況では名を知れてうれしいという感慨もわかない。


「だから今日の夜、侯爵の執務室においで。誰にも気づかれないようにね」

「……あたしたちが、あんたの言葉をはいそうですかと聞くとでも思ってるの?」

「だけど、気になっているはずだ。僕がなんなのか」


 エメリはソルと目を見合わせる。それを言われたらぐうの音も出ない。

 もう知らない、と言うには色々と知りすぎてしまったし踏みこみすぎてしまった。なにがどうしてレネが畏れ多くも王子を騙っているのか、どうしたって気になってしまう。


「立場的にはきみたちのほうがずっと有利だ。僕はかよわい人間だからね。この城を今から隅から隅まで見せてあげたっていいけど、腕の立つ石精はどこにもいないよ。僕をつぶすにしたって、今日の夜を待ってからでも遅くないし、いざとなれば、侯爵に本当のことを言えばいい。そうは思わない? 不安なら、今日の夜までどこかにつながれて監禁でもされてあげるよ」

「——エメリ」


 どうする、とでも言うようにソルに目配せをされる。

 レネの言うことはもっともだった。

 今すぐ出て行っても、今日の夜に出て行ってもおそらくそれほどちがいはない。

 それにエメリが黙ってこの城を出れば、もしかするとこのたくらみは潰えないまま、誰かまた別の職人がクラウンジュエルの修復を請け負うことになるのかもしれない。

 もしそれで玉座が脅かされるようなことがあれば、エメリは悔やんでも悔やみきれないだろう。


「……夜を、待つ」


 エメリの言葉に頷いて、ソルが腕を組んでレネを睥睨した。


「城を見させてもらうわ。あと石精を全員あつめて。どんな力を持っているのか、明らかにしてもらう。隠しても無駄よ。あたしが一部屋一部屋すべて確認するから。石精に余計な話はしないことね。もしあたしたちを攻撃させるようなことがあれば、手始めにあんたの足をもらう」


 ソルの眸が、ペリドット色の不穏な輝きをたたえる。

 レネは素直にうなずいた。


「——いいよ。きみの言うとおりにしよう」

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