8 黒衣の襲撃者
「下がって!」
瞬時にソルがエメリを後ろに追いやってかまえる。
茫然としていると、割れた窓から黒い人影が飛び込んできた。
「エメリ、ペンダント!」
ソルの鋭い声に、反射のようにエメリはペンダントを取りだす。
ソルは核のペリドットに触れて、目を閉じた。
ペリドットがまばゆいほどの輝きを放つ。
ソルの身体が、ひと息にエメリの顎の先ほどの身長まで伸びる。次の瞬間、ペリドットからエメリの背丈ほどあろうかという巨大なハンマーが吐きだされた。
このハンマーは装飾こそ可憐で愛らしいが、エメリでは——というか人間ではとてももてないような重量を誇っている。
ソルはいとも簡単にそれを振り上げると、侵入者を睨みつけた。
全身黒づくめの男だ。背丈はレネより少し大きいくらい。フードをかぶっていて、その顔はいまいち判然としない。肌はぬらりと艶やかな褐色をしていた。
「ソル、あ、あの人って」
先ほどソルはガラスに星石が混ぜてあると言っていた。ならば人間の力ではほぼ割れない。
となれば、あの男の正体は――。
「あたしのお仲間ってところね。たぶんあたしと同じ、半貴石。レディの部屋に窓割って侵入してくるなんて野蛮な男、お仲間とは認めたくないけれど」
ソルにはまだ、軽口を叩く余裕があるらしい。
黒の石精はソルの挑発を物ともせずに、ゆらりと立ち尽くしている。不気味な男だ。
「ど、どうしよう。わたし、誰か人を呼んで――」
駆けだしかけたとき、勢いよく作業場の扉がひらいた。場違いな澄んだ鐘の音が鳴る。
部屋にやってきたのはレネだった。
それに気づいた石精が身体をひらき、虚空で弓をつがえるようなしぐさをした。
弓柄も弦も矢も肉眼では確認できなかったが、なにもないはずの空間に鏃のような黒いきらめきが浮かび上がる。
「レネ、だめ。逃げて――!」
エメリがそう言い終わるよりも早く、すさまじい衝撃音が轟き、レネのいた辺りに土埃が立ち込める。
「——レ、」
エメリは蒼白な顔で彼の名を呼ぼうとしたが、すぐ足元で物音がして、誰かの手が上がる。
「大丈夫、生きてる」
ところどころ掠り傷を負っていたが、レネは無事だった。どうやら勢いよく地面を転がってあの猛撃から逃げたらしい。
女の子を口説いたり人を言葉で翻弄するのは得意でも、こういう荒事には縁がなさそうだと思っていたが案外動けるようだ。
エメリはほっとして、レネの手をとって彼を起き上がらせる。
「——あーあ、仕留めそこねちまった」
ざらりとした不穏な声がした。
石精を見やれば、フードの下の唇が愉しげな弧の形を描いている。彼の口から飛び出る言葉はたしかに落胆を示しているのに、まるでまだ戦えるのが嬉しいとでも言いたげに彼の全身が歓喜の輝きをまとう。
すかさず、ソルがハンマーの一撃を叩き込む。すさまじい爆風が部屋中の物を吹き飛ばす。だが間一髪逃げられたらしく、ソルの舌打ちが響きわたった。
しかしソルは、慌ててかわいらしく咳払いをした。この場にレネがいたことを思いだしたらしい。
「よう、ばあちゃん。無茶はしないほうがいいぜ。腰を痛める」
「あん? 黙れ、クソガキ。つぶすぞ」
ソルはせっかく取りつくろった次の瞬間には、低い声で石精にすごんでいる。
ペリドットは石のなかでもとくに長い歴史をもつ石だ。
おそらく石精はそれを揶揄して言ったのだろう。品性に欠ける石精だ。エメリの苦手なタイプである。
「エメリ、あいつはきみの知り合い?」
石精たちが柄の悪い争いを繰り広げている隙に、レネが耳打ちしてくる。
「ちがう、と思う。突然現れて……わたしにも、なにが、なんだか……」
「なるほど? ついに仕掛けてきたってわけか。まだ猶予はあるかと思っていたんだけど、誤算だったな」
レネはわけのわからないことを口にしている。先をうながすようにエメリはレネを見上げたが、彼はだんまりを決め込んでしまう。
とはいえ、襲撃者を撃退しないことには問答のしようもない。
石精の繰りだした鏃が、ソルの足元を掠める。ソルが振り抜いたハンマーの側面が石精の肘の辺りに擦れて、鈍い音がした。
あの石精の核がなんなのかは分からないが、石精ふたりの間に実力差はさほどなさそうだ。この狭い室内では、接近戦に強いソルのほうが有利なように思える。
あとは黒い石精の隙をつくことができれば――と思うのだが、戦いには素人のエメリから見ても、あの石精には油断も隙もないように思える。飄々として、いっそふざけているようにすら思えるのに、どこにも攻め込む糸口がない。もしあるとすれば、おそらくそれは彼の仕掛けた罠だ。そう確信できるような、戦いに明け暮れる者特有の緊張と高揚が、彼の周囲に張りめぐらされている。
(なにか、なにかソルを手助けできれば……)
エメリは無惨にも床に散乱した宝石細工の道具を見やる。
星石を使えば糸口にはなるだろう。銀鋏なら、石精の肌に傷をつけることも叶うかもしれない。しかし肝心の使い手がエメリでは、彼に近づくことすらできないだろう。
では、橙石で火を起こしたら? 下手をすればこの城が火事になる。どれだけの人がどこにいるのかも分からない。打つべきではない博打だ。
エメリがない知恵を絞っていると、不意に軽快に手を打つ音が響いた。
「やあ、鬼さん。——きみの狙いは僕だろう?」
気づけば、エメリのそばにいたはずのレネが部屋の端の窓際に移動していて、直線上にいる石精を挑発している。
石精が面白そうに口の端を上げる。獣のような犬歯が覗いた。
石精が矢をつがえる。ソルがその隙をついて、ハンマーを叩き込もうとする。しかし避けられ、流星のように矢が放たれる。レネは身を低くしながら猛然とまっすぐに駆け、すんでのところで矢を躱す。レネはそのまま石精の懐に潜りこむと、蹴りを繰りだした。
いくら身軽でも、レネは丸腰で人間だ。石精には傷ひとつつけられない。
そう思ったのだが、がつんと嫌な音がして石精がよろめく。
エメリは目を丸くした。まさかレネも人間じゃない――? と思いかけてすぐにちがうと気づいた。
レネの靴の先が銀の輝きをまとっている。おそらく、銀鋏に使われているのと同じ銀石をあの靴に仕込んでいるのだ。
ソルはその隙を逃さなかった。
石精の肩口にハンマーを叩きこむ。石精の身体が壁にめり込み、身体に亀裂が入る。石精は血を流さない。代わりに傷つくと、身体が砕ける。
もっとも、核を傷つけないかぎりはさほど大した怪我は負わせられない。
石精の判断は早かった。
虚空に鏃ではなく、今度は槍の穂のようなものが出現する。
ソルが慌ててレネの後ろ首を掴んで、飛び退った。
ソルとレネがいた辺りに槍の穂先が舞う。どうやら彼はただの射手ではなく、二刀流らしい。
「小手調べはここまでとしよう。楽しかったぜ。また遊んでくれよ」
石精は勝手なことを言うと、窓の枠に飛び乗りそこから飛び降りた。
「待ちなさいよ、このクソガキ!」
ソルが叫んで窓辺に駆け寄る。しかしすでにそこに彼の影はなかったらしく、悔しそうに地団駄を踏んでいる。
エメリはその場にぺたんと膝をついた。
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