7 星生み

「……わたしたちに、王侯貴族が気なんてつかうかな」

「あんたの機嫌は取っておきたいでしょうよ。万が一あんたが機嫌をそこねてこっそり逃げだせば、奴らはあたしたちを始末しなきゃいけない」

「始末って!」


 エメリが小声で叫べば、なんてことない様子でソルは肩をすくめた。


「そういう考え方もあるって話よ。あいつも言っていたけど、なにせ玉座がかかってる。最近の職人が失踪してるって話も、もしかしたらこの城が絡んでいたりするかもね」


 エメリはぞっとして青ざめる。

 たしかにタイミング的にもぴったりだ。もし、他にも同じ依頼をして断られたり上手くいかなくて次々に別の職人に声をかけ、そのなかでエメリに話が回ってきたのだとしたら――。


「最悪の想定をしておくくらいでちょうどいいわ。まあでも安心しなさいよ。他の職人とちがって、あんたにはあたしがついてる。大船に乗った気でいなさいよ」


 心強いソルの言葉に、エメリはいくらか表情をやわらげた。


「石精がいるなら、こんな話してて大丈夫、かな」


 石精はみんな、不思議な力を持っている。能力の種類は千差万別だが、ソルによれば姿を消すことのできる石精もいるという話だった。


「聞き耳を立てられていたらまずいわね」


 エメリは思わず口を手で覆った。


「まあでも、たぶん大丈夫。あたしには気配を探ったりする力はないけど、なんとなくだけど周辺にはいなそう。でも、密談をするには場所と声量は選んだほうがいいかもね」


 急に緊張感が込み上げてきて、エメリはごくりと唾を飲みこむ。


「それにほら、見て」


 ソルは浮遊して窓辺に飛んでいく。

 レースカーテンを捲ると、ガラス窓があった。外には裏庭が広がっていてとくにおかしなことはなにもない。


「ちがうわ、窓よ窓」


 呆れたように言われて、窓を見やる。嵌めごろしの窓だった。

 ソルはエメリがじいっと神妙にその窓を見つめている間に、部屋の端から端まですべての窓を検めてくれる。どうやらこの部屋のすべての窓が嵌めごろしの作りになっているらしい。


「あたしたちにあてがわれた客間も全部、嵌めごろしの窓だった。しかもご丁寧にも星石混じりのガラスよ」

「か、確認したの?」

「エメリが平和ぼけしすぎなの。とにかく、部屋からの脱出はほぼ不可能。まあ、あたしの力を使えばできなくもないけど、大きな音がして気づかれる。となると、あたしたちがここから逃げようとしたら、廊下に出るしかない」


 客間にも、この作業場にもドアベルがついていた。人が出入りすると、音が鳴る仕組みだ。

 この部屋の前の廊下はまっすぐになっていたから、階のどこかに石精なりレネなり誰かしらがいて、エメリたちが室外に出たら監視できるようになっている、なんてこともありえなくはない。ちょうどレネの個室は、この部屋の三つ先の向かいにあった。

 すべては最悪の想定でしかないけれど、その想定にエメリは身ぶるいした。


「か、考えすぎってことも……」

「まあね。それにもしあたしたちの予想が当たっていたとしても、相手にしてみれば、王子を守るためにはこれくらいのことはして当然ともいえる。おどして悪かったわ。逆に考えれば、これはチャンスなわけだしね」

「チャンス?」


 ソルの言葉の意味が分からず、エメリは眉をひそめる。

 ソルは俄然興奮した様子で、身を乗りだした。


「ことによっちゃ、悪名高い女王が玉座を追われてレネが戴冠するかもしれない。そしたらエメリ、あんたは王のクラウンジュエルを修復した宝石細工師になるのよ! こんな栄誉、めったにないわ。国中に名が売れる!」

「わ、わたしはそんなたいそうな栄誉、欲しくない……」


 及び腰になったエメリに、ソルはつまらなそうに唇をとがらせつつも、あんたらしいわねと苦笑した。


「ま、どんな思惑があるにせよ、奴らもそう簡単にあんたに手出ししないわよ。エメリが選ばれたのは十中八九、石精を喚んだことのある宝石細工師――星生ほしうみだから」


 その言葉にエメリは目をみひらいた。

 同時に、やはりソルもそう思ったのかと腑に落ちる。

 エメリは机の上に、壊れたペリドットのペンダントを取りだした。

 この人間界に存在する石精の数は多くない。それは彼らが遙か西方にあるという幻影の島、宝石郷で暮らしているためだ。

 彼らの肉体の一部である石は、人間界でも採掘される。石精が宿っていない抜け殻のようなものなので、石精たちはそれらを殻と呼んでいるらしい。

 一方、石精の魂とも言うべき核となる石は本来は宝石郷にある。かつては巨大な岩石だった彼らの肉体は無数の殻に散っても、魂となる核はひとつきり。

 核があってはじめて、石精は姿を現す。

 その核を人間界に移す方法はふたつある。

 ひとつが、血による盟約。堅牢王が金剛石の石精を臣従させたという言い伝えがそれだ。

 そしてもうひとつが、宝石細工。

 遠く異郷の地にある石精が心を動かすほどのすばらしい宝石細工を作りあげたとき、石精の魂はその形を恋うて、この人間界に顕れる。

 そしてその宝石細工に使われた殻に宿り、棲むことになるのだ。


 このエミテルレーシアに宝石細工師は数多暮らしているが、石精の核となる宝石細工を作りあげた職人というと、おそらく当代には二十人もいないだろう。

 彼ら宝石細工師は、とくべつに星生みと呼ばれる。

 はじめに石精を喚んだ宝石細工師の扱った裸石が星彩効果アステリズムのある石だったからとも、石精のとくべつな能力を昔の人は星にたとえたからとも、星石のように超常的な技術を人にもたらしてくれるからとも伝わるが、由来ははっきりしない。

 とにかく星のようにたぐいまれな奇跡を起こす職人のことを、星生みと言う。


 十のときに、エメリはソルの核となるペリドットのペンダントをつくった。

 無邪気にただ、きれいな宝石細工をつくりたい一心だった。

 星生みに憧れる職人は多い。


(だけどわたしは、その力をこわいと思う)


 一度人間界に喚ばれてしまった石精は、宝石郷に帰る方法をもたないとされている。

 だからソルは、この先ずっとエミテルレーシアで生きていかねばならない。永遠のときを生きると言われる石精である彼女が、だ。

 ダンカンの一件があったように、石精を狙う人間は多い。

 エメリが生きている時代はまだいい。なにと引き換えにしても、エメリは彼女を守る覚悟でいる。

 でも、エメリが死んだあとはどうすることもできない。


(わたしはソルから、故郷を奪った)


 その罪の意識はずっと消えない。

 宝石細工をつくることを心から愛しているけれど、ふとした瞬間に、わたしは本当に宝石細工をつくり続けてもいいのかと目の前が真っ暗になる。


「まあ星生みも、エメリだけってわけじゃない。この街にも何人かいるしね。エメリとちがっていくつも核を生みだしてる奴らもいるし。とにかくまずいことにならないように仕事をするしかないわ」


 ソルの言葉にはっとして、エメリはぎこちなくうなずく。

 たしかにソルの言うとおりだ。

 侯爵に面会したとき、レネは侯爵が別の職人を推したと言っていた。つまりあれは、別の星生みの職人に侯爵の当てがあったということだろう。

 最悪エメリが駄目でも、替えが利く存在がいるということだ。


(余計なことは、今は考えない。集中しよう)


 気を取り直して、ペンダントに触れる。

 ペリドットの核の胎動が、微かに手指に伝わる。胎動は、核となっている石にしか存在しない石精の生きている証だ。血の盟約によって顕現した石精の核はその血の継承者にしか呼応しないが、星生みによって顕現した石精の核は、誰が触れてもその胎動を感じることができる。

 壊れたのは、鎖の部分。金線を曲げて輪の形にしてつなぎなおせばいいだけなので、大した手間ではない。

 エメリは仕事道具から銀鋏ぎんきょうを取りだした。素材は星石の一種で、どんな金属もたちどころに曲げたり切ったりすることができる彫金のための必需品だ。

 レネが用意してくれた金属線のなかから、ちょうどいい太さの金線を選びだすと、橙色のごつごつした星石を手に取った。星石の大きさは千差万別だが、今回は人差し指の第一関節くらいの大きさがあるものを選んだ。


 星石は燃料になるだけでなく、彫金や宝石加工、研磨などにも用いられ、宝石細工師にとっても欠かせないとくべつな石だ。

 星石がどのように形成されるのかはいまだはっきりしていないが、宙から降ってくるのだという博物学者もいる。

 星石は色ごとに用途が分かれていて、橙石とも呼ばれるこの星石はナナカマドの木の枝と一緒にして火をつけてやると激しく燃える。

 橙石を燃やすと、薪や炭を燃やすよりもはるかに高い燃焼温度が得られて、融点の高い白金を融かすこともできる。それに星石やナナカマドの枝の量で火の大きさや温度も自在に操ることができて、この石のおかげで宝石細工は飛躍的に発展した。

 星石を混ぜた強化ガラス容器に、橙石とナナカマドの枝を入れて火をつける。

 まずは、焼きなましの作業からだ。

 細く糸のように立ちのぼった火炎に、金線をまんべんなく当てて、水で冷やしてやる。こうすることで、地金が軟らかくなって加工がしやすくなるのだ。

 今度は固定した釘に金線をぐるぐるに巻きつけて、巻きつけ終わったら糸鋸を使って切りだしていく。鎖の輪っかの出来上がりだ。あとはこれをひとつずつ溶接して、つなげていってやればいい。

 鎖の輪っかの両端を炎に近づけて融かす。まるでつなぎ目など存在していなかったかのように、金の輪が完璧な形を取っていく。


 ソルは机の端っこに客間から持ってきた小さなクッションを置いて、そのうえに肘をついて寝転がってエメリの作業を眺めている。

 中石——宝石細工の要となる石は、もちろんペリドット。

 丸みを帯びた涙型の石が逆さに配され、流れるような優美な曲線を描くイエローゴールドの金細工がほどこされている。上部には小粒の真珠を金細工の間に嵌めこみ、下部には涙型の真珠が揺れていた。

 エメリの初期の作品で群を抜いて出来がいいのが、このペリドットの宝石細工だ。

 鎖の修理を終えると、エメリは息をついて伸びをする。

 ソルも自身の核となる宝石細工が無事直ったことに安堵したのか、ご満悦そうな顔をしていた。

 つくづく、壊れたのが鎖だけで核が傷つかなくてよかった。たとえ砕けなくても核となる石が傷を負えば、石精自身も傷つくのだ。


「このペンダント、やっぱりソルがもってる?」

「はあ? いやよ。あたしの身体にはでかいし、重いもの」

「重いって……こんなの目じゃないくらい重いもの、ソルはもてるのに」

「レディに向かって変な言いがかり、つけないでくれる?」


 エメリは仕方なしに金具を外して首の後ろでつけると、今までのように肩掛けの下にペンダントを隠した。


「ペンダントの修理リペアも終わったし、いったんレネに報告とクラウンジュエルのこと――」


 エメリがそう言いながら立ち上がったときだった。

 パリン、という音がして窓が砕け散る。黒く鋭い鏃のようなものが、目の前の床に深々と突き刺さった。

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