6 騒がしい友人の本音

 朝陽がのぼる。ハイネブルグ城の朝は、静けさに満ちている。

 けれど、ひとたびペリドットの石精が顔を出すと、そこはにぎやかな社交場に変わる。


「見なさいよ、このリボン。たしか三二〇バランもするやつよ!」


 朝から金勘定に余念のないソルに苦笑しながら、エメリはふわふわとまとまりのない髪に櫛を通す。

 ぽやぽやと着替えているせいでまだシュミーズ姿のエメリとちがって、ソルはもう戦闘態勢だ。レネから贈られた真新しい革靴と華やかな髪飾りがよく似合っている。


「わ、わたしはいい。そんなに高いの、怖くて使えないよ」

「ばかねエメリ。もらえるものはなんでももらっときゃいいのよ!」


 ソルはどんどん新しいドレスを試着させようとするが、エメリはそれを固辞して、いつもの着なれたドレスに袖を通した。

 ソルはたちまち膨れっ面になる。


「あのねえ、どれだけあやしい依頼を受けてると思ってんのよ。元を取らなきゃ損よ損!」


 ソルの言葉にエメリは目を瞬く。

 なにも言わないので、てっきり彼女はこの依頼の真偽を疑ってなどいないと思っていた。だがどうやら、そうではなかったらしい。


「ソルだって、レネに黄色い声、あげてたのに」

「ばかね。認めるのは癪だけど、あの自称第四王子は頭が切れる。あなたを疑ってますぅって態度に出したら、警戒されちゃうでしょ。頭からっぽの女だと思わせて、相手がぼろを出すのを待ったほうがいいに決まっているじゃない」


 なるほど、さすが永遠の時を生きるとも言われる石精だけあってしたたかだ。

 ひるがえって考えてみると、エメリの昨夜の態度は馬鹿正直すぎたのかもしれない。


「ソルはレネのこと、疑ってる?」

「話ができすぎだもの。それ以前に、あいつのことが気に喰わない」

「気に喰わない?」

「ええ、歯の浮くような台詞を並べ立ててくるところからして、うさんくさいわね。それにね、よく覚えておきなさい。あんたは人間の女で、あいつは男。無理やり力や立場の弱い相手を押さえつけて、好き勝手しようってのはルール違反。それをやぶろうとする輩は、総じてクズって相場が決まっているものよ」


 ソルのレネへの評価は、思っていたよりもずっと手厳しい。

 たしかに彼女の言うとおり、レネには振る舞いは完璧でもどことなく信じたらいけないような危うい雰囲気がある。


「だけど、フィガルテ侯爵が匿っているくらい、だから。本物の可能性はある、よね?」

「まあね。でも、判断を急ぐべきじゃない。あの侯爵、年寄りのくせに王子に骨抜きって感じだったじゃない。詐欺師に侯爵が騙されていた、なんて筋も当然あると思っておいたほうがいいわ」


 ソルがわけ知り顔で言ったところで、扉を三度叩く音が鳴った。

 エメリはソルと顔を見合わせてうなずき合うと、はいと返事をする。ドアベルが澄んだきれいな音を立てて、扉がひらく。


「おはよう、レディたち。朝食はいかがかな」


 朝からうるわしいばかりの笑みを浮かべて、レネが小首を傾げる。

 エメリはじっと彼の顔を観察してほっとする。あのあと安眠できたのかは分からないが、今朝の機嫌はよさそうだった。

 靴を履くのにもたついているエメリの代わりに、ソルがレネのもとまで浮遊して近づく。


「朝食用の小部屋があってね。よければ案内するよ」

「ごめんなさい。エメリは朝が苦手なの。作業をしたいみたいだし、お腹がへったらてきとうに食べるわ」

「そう言うと思ってね。軽食を準備してきた」


 レネはサンドイッチの包みをかかげると、ワゴンに戻す。

 ソルは感激した様子で手を叩いた。


「これ、王子さまが運んでくれたの?」

「まあね。僕はエメリがクラウンジュエルを修復してくれないことには、ただのすねかじりだから」


 その返事にエメリは面食らう。


「ご、ごめんなさい、レネ。言ってくれれば、運んだ、のに」

「気にしないで。きみには仕事に専念してもらいたいからね」


 レネはまるで気にしていない素振りで手を振ってから、ソルに目をやった。


「ソル。髪飾りも、靴もよく似合ってる。さながら太陽の女神のようだね」


 さすがに目ざとい。

 ソルは鍛え上げた表情筋を駆使して頬を赤らめ、目に涙まで浮かべた。


「きゃあ! やだぁ、王子さまったら、お上手なんだからぁ!」


 先ほどクズだのうさんくさいだのとぼろくそに言っていたのと同じ口で、ソルは恥じらいの言葉を口にしている。その変わり身の早さときたら、天晴れとしか言いようがない。


「エメリ、きみは?」


 水を向けられ、エメリは目を瞬いた。


「ドレスは気に入らなかった?」

「え? う、ううん。ちがうの。その、あんまりきれいだから、汚したらもったいないって思って。あの、宝石細工って見てのとおり、きれいな仕事じゃない、の」


 それにきっと、エメリには似合わない。

 黒ずんで金属の粒子が鈍くかがやく指先に目を落とす。

 この指に誇りをもっているけれど、レネやソルのようにきれいな人たちの前では気恥ずかしくもなって、ぱっと後ろ手に隠したいような気持ちにもなる。

 それはどうしようもないことだ。


「だから、あなたの心づかいが、いやだった、とかじゃなくて……」

「なら、普段づかいは装飾品だけにして、ドレスはデート用にして」

「……デー、ト?」

「そう、僕との」


 エメリは懲りずに今朝も頬を真っ赤にした。

 レネのよく回る舌は、朝から絶好調らしい。

 この人は、女性と見れば誰にでも愛の言葉をささやく。きっと今みたいに、「きみだけだよ」とでも言うかのようなとくべつめいた笑みを浮かべて。

 だから本気の言葉なんかじゃないと分かっている。それなのに、いちいち動じてしまう自分がうらめしかった。


「宝石細工用の道具ももってきたんだ。きみは汚すといやだと言うと思って、隣の部屋は絨毯や邪魔な家具を取り払って、テーブルや椅子だけにしてある。そこに運びこんでおくからよかったら使って。足りないものがあったら、そこのベルを鳴らしてくれたら駆けつけるから」


 レネはベッドサイドに置いてある装飾のほどこされた小さな鐘を指さした。

 まさに至れり尽くせりだ。うれしいよりも畏れ多い気持ちのほうが先だって、すくみ上がりそうになってしまう。


「あ、あんまり気をつかわないで。でも……あ、ありがとう。レネ」

「どういたしまして、エメリ。つけたくなったらいつでも、その髪飾りだけでもつけてくれていいからね」


 そういう気分になることは、たぶんこの先もないにちがいない。

 エメリはそう思ったが、レネはひらひらと手を振って部屋を出て行ってしまう。

 エメリとソルも朝食を早々に終えると、廊下に出た。


 ◇


 朝陽の射しこんだ城内も、夜とはまた趣きの異なる上品さをたたえていた。

 白を基調とした石造りの建物に、青と白の磁器のような木彫枠や蔓が天井まで伸びている。歴代の侯爵をかたどったメダリオンはおそらく、名のある彫刻家によるものだろう。

 だがそのうつくしさも、エメリにはどこか淋しい。


(あ、そっか。このお城、宝石細工がないんだ)


 昨日感じた違和感の正体にようやく辿りつく。

 フィガルテ侯爵の城館には、立派な宝石細工が山のように飾られている。宝石細工師たちの間ではそんな噂でもちきりになっていて、エメリもひそかにそれを見るのを楽しみにしていた。

 けれど、昨日訪れた侯爵の執務室にもそれらしいものは一切なかった。品のよい調度品や家具のしつらえは見事だったが、それだけだった。


(翠玉宮にはお客さんがこないから、宝石細工は藍玉宮にあるのかも)


 居候させてもらっている身で贅沢は言えないが、少しばかりしゅんとする。

 すぐにでも、石に触りたい。そんな衝動のままに、作業場の扉をひらいた。

 作業場は、大きな机と椅子、サイドテーブルとチェスト、それに照明があるだけの簡素なものだった。そこにたがねや小槌、糸ノコ、やすり、蜜蠟、加工用の地金や紙束、筆記具、それに星石が整然と置いてある。

 思考のさまたげになるような華美な装飾は一切ない。質素ながら堅実さのにじむ、職人のための聖域だった。


「へえ、あいつが用意したにしては、まあまあいいアトリエじゃない」

「もう、ソル」


 たしなめるように言えば、ソルは内緒話をするようにエメリの耳に顔を寄せた。


「ね、気づいてた? この城にきてから、使用人のたぐいが見当たらない」

「あ……」


 言われてみれば、たしかにそうだ。

 昨日もなんだかいやに静かな城だと思ったし、先ほどもレネに小間使いのようなことをさせてしまった申し訳なさは感じたものの、召使いなどいない生活を送っているせいでその異常さに気がつかなかった。


「思うに、この城——翠玉宮に本来いるはずの使用人は、石精なんじゃないかしら。でもあんたが石精を奴隷のように扱うのが嫌いだって知って、遠ざけている。あるいは、あんたの前に姿を見せるなって命令してる――そう考えるとしっくりこない?」


 エメリがぼんやり宝石細工がないとのんきにがっかりしている間に、ソルはそんなことにまで思いいたっていたらしい。

 エメリは部屋や廊下の様子を思い返した。掃除は行き届いていて、廊下のすみにも塵ひとつ見当たらなかった。侯爵やレネが掃除をしていることは考えられないし、ふたりで管理をするには城内は広すぎる。

 おそらくソルの推察どおり、石精が家政の一切を取りしきっているのだろう。

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