7 王子の依頼

「王子さま?」


 ソルの声が上ずる。

 先ほど彼女はダンカンを口汚く罵ったあとだ。今さら取り繕ったところで後の祭りではないかとエメリは思ったが、ソルは急にしおらしく口元にこぶしを当てて、大きな眸で何度もまばたきをしながらレネを上目づかいに見上げる。

 ソルの努力に報いるように、レネは甘い微笑を浮かべる。ソルがきゃあ、と声をあげて、エメリの髪にしがみついた。

 浮かれて騒ぐソルとは対照的に、エメリは慎重にレネをあおいだ。


「ほ、ほんとう、に……?」


 たしかに至高の青き血が流れていると言われても納得の、気品に溢れた人物だと思う。リュークストン王家はみんな輝くような銀の髪を持っているというし、物腰にも喋りかたにも、この辺りではちょっと見ないような高貴な品格がたしかに宿っている。

 けれどレネは七年前に失踪しているはずで、畏れ多いことだがエメリももう亡くなっているとばかり思っていた。

 もし本物だと言うのなら、どうしてわざわざこんなしがない宝石細工店を訪ねてきたのか分からない。

 しかもあの分ではレネは、エメリやその周辺のことを用意周到に事前に調べ尽くしていた。


「疑うのも無理はないよ。なにしろ僕は、きみの与り知らぬところで、きみのことを嗅ぎ回っていた。気持ちが悪いと思われても仕方のないことをしたと思ってる」


 エメリの感情に先回りして、レネは告げる。

 捨てられた仔犬のように、眸がうるむ。まるで、心の底からエメリに申し訳ないと思っているかのようだ。

 反射のように、胸がきゅうっとなる。


(……だけど)


 この人は自分の美貌の価値を知っている。エメリが宝石のうつくしさを知り尽くしてそれらを自在に扱うように、おそらくレネはおのれという宝石をどうすれば魅力的に魅せられるかを知り抜いていて、それを思いどおりに操ることができる人物だ。

 ソルもみずからをよそおうことに長けているが、短気で情に脆いところがある彼女よりもよほどたちが悪い。

 簡単に信用するのは、なんとなく危険だと思う。

 エメリが黙りこくったままでいると、レネはふっとやわらかく眸を細めた。


「宝石を扱う職人たちのうち最高峰の者たちは、物事の真贋を見抜く目を持つという。だから、いいよ。きみのその、なにもかも見晴るかしてしまいそうな、深いエメラルドの眸で僕を見きわめて」


 気取った言葉は空々しく響きそうなものなのに、彼が口にすると切実な愛のささやきじみてエメリの心を揺らす。


「……どうして、殿下が、わたしのような宝石細工師に、よ、用があるんですか」

「クラウンジュエル」

「え?」


 クラウンジュエルといえば、王権を象徴するダイヤモンドのことだ。生後間もなく、王家の男児にのみ与えられる最高級の裸石ルースで、王たらんとするものはその宝石を王冠に加工することで王位継承争いに名乗りを上げる。それがリュークストン王家の伝統だ。

 事実、第一王子も第三王子もみずからの王冠を持っていた。


「僕は七年前——十三のときに、単に失踪したわけじゃない。とある事件に巻き込まれたんだ。端的に言えば、命を狙われた」


 エメリはひゅっと息をのむ。

 高貴でうるわしいリュークストン王家だが、血なまぐさい事件とも浅からぬ縁がある。まったくの嘘とは思えなかった。


「……でも、なんとか生きのびて、七年間、姿をくらませて、いた?」

「そう。僕も幼かったからね。誰が陰謀を企てたかは分からない。でもおそらく――ヨルゼ女王の手によるものだったと考えているよ」


 エメリは悲鳴を噛み殺した。思わず辺りを見わたす。店内にはエメリとレネとソルの三人きりであることは分かりきっているのに、落ちつかない。


「おかしな話だろう? 女王はクラウンジュエルをもたない。つまり本来であれば、玉座に座れないはずなんだ。だから彼女は、クラウンジュエルをもつ王子たちを皆殺しにして、血まみれの玉座を手にした」

「だけど。だってあなたは、女王陛下の弟君、でしょう?」

「きみは幸せな子だ。エメリ・オルセン」


 レネは視線を床に落とした。なにかを永遠に喪った者の顔をしていた。

 これが演技とは、とてもではないが思えない。


「王権を前にすれば、人はみなただの獣に成り下がる」


 静かにこぼれた声に、エメリは反論する言葉を持たなかった。


「僕はね、正直王位にはさほど興味がなかった。かつては兄たちがいたしね。だけどこういうことになって、この先もずっと女王ヨルゼがこの国をほしいままにしていくことは許せない」


 レネは握りしめた拳をふるわせる。きつく噛みしめられた唇には、真紅の血がにじんでいた。


「そ、それで、クラウンジュエルが、どうしたん、ですか?」

「うん。実はね、七年前に殺されかけたときに、すでに王冠に加工していた僕のクラウンジュエルは傷ついてしまった。これではとても、女王に対抗できない。だから、腕のいい宝石細工師を探していたんだ。最高級のクラウンジュエルを修復できる、心根のうつくしい職人――つまり、きみのことだよ。エメリ」


 熱っぽい藍玉の眸に見つめられ、そっと躊躇いがちに手を取られる。

 エメリは赤くなったが、そんな場合ではないと佇まいをただす。

 レネの眸は心もとなさそうに揺れていた。先ほどまで自信満々だった人が、エメリに断られるかもしれないと思って不安がっている。

 それもそうだ。もしこの話がすべて本当だったなら、レネにとって秘密を打ち明けるのは相当覚悟のいる賭けだったはずだ。エメリが王宮に駆け込み今の話を女王に奏上すれば、悪くすれば彼は殺されるかもしれない。


(どう、しよう)


 正直、エメリの手に負えることとは思えない。

 宝石細工を求められるならば、エメリはいくらでもつくる。

 それを望む人と宝石にとって、最良の形を。

 どうかこの形が、この人と石に幸いを運んできてくれますようにと心からの願いと祈りを込めて。

 けれど、エメリがこの依頼を受けるということは、この国の根本を揺るがす大事件にもなりかねない。ひょっとすると、戦が起こり、人が死ぬ。

 それは、エメリの込める願いとは正反対のように思えた。


(だけど……)


 レネはエメリを、そしてソルとこの夜翠玉を助けてくれた。

 もしあのままダンカンにソルや夜翠玉を奪われていたら、エメリはこの先生きてはいけなかったかもしれない。

 おかしいことをおかしいと言っても、誰にも聞いてもらえないまま。もしレネが七年間、そんな気持ちを抱えてきたのだとしたら――。

 エメリは顔を上げた。

 まだ不信を宿した目で、レネを見つめた。


「分かり、ました。その依頼、お引き受けします」


 レネの顔に、見る見るうちに喜色が浮かんだ。

 思いがけず、衝撃がくる。

 気づいたときにはエメリはレネの腕のなかにいた。思いきり抱きしめられている。

 いい匂いがして、熱くて、くらくらした。


「ひ、ひぃい! はな、放してください、殿下!」

「きみから信頼をたくしてもらえるまでは、ただのレネ。そう呼んで? 敬語もいらない」


 そんな、とエメリは青ざめた。

 王子さまかもしれない人に、これ以上無理難題を言われても。


「ほら、呼んで? さん、はい」

「レ、……レレレ」

「レ?」

「……レ、ネ……。さ、ん」

「うん、練習が必要みたいだね。今から五回、言ってみようか。きみのそのきれいな眸に、僕のことを映しながらね」


 エメリはほとんど半泣きになりながら、レネの圧に陥落した。

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