6 第四王子レネ
「最後にいいかな、ダンカン・ヒックス。もし彼女やこの店、それらにまつわるなにかにもう一度でも近づいたら、今度こそ容赦はしない。……分かるね?」
「わか、分かりました!」
「少しは利口になったようで、なによりだよ。エメリ、なにか言いたいことはないかな」
ダンカンもドリーも顔色を失って、小刻みにふるえている。とても演技とは思えない。甘いかもしれないが、これ以上なにかする気にはなれなかった。
だからエメリはふたりではなく青年に一歩近づいて、その澄んだ眸をじとっと見上げる。
「い、言いたいことは、なんであなたが、わ、わたしの名前を、知っているのかってこと」
エメリの主張に、青年は少々傷ついたように眉尻を下げた。
「僕はきみの騎士のつもりだったのだけど」
だとすれば、相当物騒な騎士だ。
青年は拗ねたように唇を引き結んでいる。ずっと優雅で隙のない笑みを浮かべていた男がそうすると、どことなくあどけなさすら漂って始末に負えない。
「そろそろ無粋な脇役にもご退場願おうか。ああだけど、その前に。その宝石細工を譲ってもらえないかな」
青年はダンカンの手にあったイヤリングを指さした。
ダンカンは驚いた顔をしている。
それはそうだろう。イヤリングは女性ものだし、今から考えればガラス自体、この騒ぎのためだけに用意された文字どおりの捨て石だったにちがいない。石のことはあまり悪く言いたくはないが、エメリもどう仕立てるかさんざん悩んだほどに、あまり質がいいとは言えないガラスだった。貴公子然とした青年にはとても釣り合っていないように思える。
(どうしてこの宝石細工が欲しい、の?)
エメリはこの宝石細工に自分の持てる最高の技術を凝らしたし、愛着がある。だからエメリを陥れようとした人たちの手にこれがあるのは惜しい気もするし、大事にしてくれる別の誰かの手に渡ってほしいとも思う。
だがそれは職人の身勝手な感傷に過ぎない。これは、ドリーのためにつくった形なのだ。
(まさか、この人たちをもっといたぶって陥れるための方便、とか?)
だがそんなあくどい思惑と、この宝石細工を彼が求めたことを結びつける理由が思いつかない。
「僕はそれが気に入った。なによりきみたちには、彼女のつくる輝きはふさわしくない。対価は払うよ」
エメリはぽかんと口をひらいた。
(ほ、本気、なの?)
「い、いいえ。差し上げます。では、これにて失礼します!」
ダンカンは半ば強引に青年にガラスの宝石細工を押しつけて、逃げるように夜翠玉を後にする。その後を、小走りにドリーが追っていった。
彼らにとっては、もはやあの宝石細工は罪の証だ。手元に置いておきたいはずもない。なにより、えげつないやり口で笑いながら人を破滅まで追いつめそうなこの青年を相手に、金銭を要求するなどという恐ろしい芸当が彼らにできるはずもなかった。
(た、助かっ、たんだ)
エメリはへなへなとその場にしゃがみ込む。
店内に静寂が戻ってくると、恐ろしい企てに巻き込まれていたのだ、ということがお腹の底に落ちてきて、今さら手指がふるえてくる。
こわかった。自分に向けられた悪意も、なにを言ってもその主張を聞いてもらえなかったことも。今までだって、石まじりだとひどい扱いを受けたことはあったけれど、あんなふうに世界から切り離されたみたいな気持ちになることはなかった。
エメリは茫然と、自分を助けてくれた青年を見上げた。
青年は、手のなかのイヤリングをじっと見つめている。
藍玉の眸が焦がれるように切実な熱をもった気がして、エメリの心臓がどきりと跳ねた。
まるで、その宝石細工が喉から手が出るほどに欲しかったみたいだ。
そんなこと、あるはずもないのに。
視線に気がついたのか、青年ははっとした様子でガラスの宝石細工を握りこむとエメリを見つめた。
「怖いことを言っておどろかせたね。不正義には黙っていられないたちなものだから。でも、女の子の前で言うことじゃなかった。反省してるよ」
青年はすっかり元の調子を取り戻した様子でうそぶいた。
不正義には黙っていられないなどと口にしているが、一手ごとに着実にダンカンを追いつめていくやり口は、どちらかというとこの青年のほうがずっと鮮やかかつ陰湿で、悪役らしかった。
そんなことを言ったら、この人は怒るだろうか。
(だけど……)
そのまるで悪党みたいな機転と知恵に、エメリは救われたのだ。
「あ、あの。ありがとう、ございます。おかげで、助かりました。わたしじゃ、どうにもならなかった、から」
「きみの職人としての主張は理路整然としていて、感銘を受けたよ。でも、悪党を相手にするには向かないな。力には、力で対抗しないとね」
青年はとっておきの奥義を語るように、秘密めかして笑った。
「そ、それで、あなたはどなた、なんですか。なんでわたしを知って――それに、さっきのふたりのことも、なんであんなに詳しかったん、ですか? なんの目的でこの店にやってきた、の?」
洪水のように溢れてくる疑問を、青年は手を上げて制す。
「ひとつずついこうか。まずは自己紹介からね。僕は、レネ。レネ・リュークストン」
「レネ。…………リュークストン!?」
普段のエメリでは考えられないような素っ頓狂な声が出た。
この国に、リュークストンを名乗ることのできる家はひとつだけだ。
すなわちこの王国エミテルレーシアを治める至高の一族、リュークストン王家である。
しかし、王家にレネなどという名の二十歳前後の男などいただろうか。
(ええと、たしか、第二王子は死産。第一王子と第三王子は立派にご成長あそばされたけど、三年前に王国全土に流行った病で亡くなった……んだったよね)
相次ぐ王子たちの死により、玉座には三年ほど前から悪名高い女王ヨルゼが座している。
ヨルゼは王国初の女王だ。
本来であればエミテルレーシアでは男系男子が王位を継ぐはずで、ヨルゼは絶対に玉座に迎えられないはずの人物だった。
先王が健在の頃は、第一王子と第三王子が熾烈な王位争いを繰り広げていて、ヨルゼは蚊帳の外だった。華やかな社交界を煙たがり、王女としての務めもろくに果たさなかった彼女は、煌びやかな王宮の影、一点の染みのようだったという。
雲行きが変わってくるのは、先王が持病により病没した三年前。
リュークストン王家では、
そんななか、流行り病が宮廷を席巻した。
病を得た第一王子と第三王子は、奇しくも同じ日に息を引きとることになった。
そうして次代の王の白羽の矢が立てられたのは、先王の子らの唯一の生き残り――王宮の影、一点の染みであったはずの王女ヨルゼであった。
第一王子や第三王子の陣営からすれば、ヨルゼを疑いたくなるのは無理からぬ話かもしれない。
ちょうどその頃から、ヨルゼの夜ごと男をとっかえひっかえする悪癖が目に余るようになったのも災いした。
悪女ヨルゼが愛人にそそのかされて第一王子と第三王子を謀殺した、と声高に訴える者も出現し、内乱が勃発しかけたのはエメリもよく覚えている。
だが証拠らしい証拠は見つからず、女王は戴冠式を迎え今に至る。
(王子さまの誰かに、レネなんて名前の人、いたっけ……?)
第一王子、第三王子ともにレネという名ではない。死産した第二王子も同様だ。騙りだろうか。
「……あっ」
そういえば、リュークストン王家には忘れられた第四王子がいた。伝え聞くのはまるで神話か御伽噺のような話ばかりで、現実に存在する人物として受け止めていなかったけれど。
「レネ――レネ・リュークストン、王子殿下? 七年前に、失踪した?」
「お見知りおきいただいているようで、光栄だよ。腕利きの宝石細工師殿」
自称レネ・リュークストンは、うやうやしい仕草で片足を引くと、右手を身体に添えて礼をした。
御伽噺に出てくる王子を形にしたら、ちょうどこんな姿をしていることだろう。こういう状況でなかったら見惚れていたかもしれない。
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