5 彼の流儀
「愚かなうえに、品位がない。悪党の風上にも置けない男だね」
「なんだと、俺を馬鹿に――」
ダンカンの声はそこで途切れる。
エメリもぽかんと口をひらいて、声の主を見つめる。
銀髪の貴族風の青年が、エメリの隣に並んで立ってダンカンと対峙していた。ダンカンの襲来ですっかり頭から吹き飛んでいたが、彼はまだ店を出て行っていなかったらしい。
さすがのダンカンも貴族相手では分が悪いと思ったのか、目を泳がせる。ダンカンはいささか佇まいを正して青年に会釈した。
「これは俺とこの宝石細工師の問題です。どなたか知りませんが、首を突っ込むのはやめてくれませんか」
「なにも知らなければそうしただろうね、ダンカン・ヒックス。この街の北東に店をかまえる、ヒックス商会のご子息だったかな。専門の宝石商ではないけれど、宝石も扱っている店だ」
青年はゆったりとした口調で優雅に微笑みながら言う。
ダンカンが目に見えて顔色を変えた。
おそらくその情報は正しいのだろう。エメリもダンカンの住まいや立場までは知らなかった。
「たしかお父君が何度か、この店にペリドットを買い取りたいと訪れているはずだね。加えて、宝石の取引を持ちかけて断られている。この店の店主は、石精を売買している商人とは取引をしない主義のようだから」
エメリはぎょっとした。たしかにエメリは、ヒックス商会との取引を断ったことがある。
この青年は、どうしてそんなことまで知っているのだろう。
野次馬のうちご近所の何人かが、「ヒックス商会がこの店に出入りしているのを見たことがある」とささやき合った。
ダンカンの顔が少しずつこわばっていく。
「そしてきみの恋人であるドリー・シーラン嬢だけど」
ついさっきまで青年に見惚れていたダンカンの恋人が、びくりと身体をふるわせる。
彼女の名もエメリはたった今知った。
「彼女は通りを挟んだ一番角にある宝石細工店のお嬢さんだね。近頃あの店は、『夜翠玉』に客を持っていかれてやきもきしていた」
角にある宝石細工店といえば、エメリの競合相手だ。
職人のなかでも、とくにエメリに対して風当たりが強いのがあの店の職人たちだった。営業妨害されたのも一度や二度ではない。
言われてみれば、たしかにドリーはあの職人のなかのひとりに面差しが似ている気がする。
だがヒックス商会の件とちがって、宝石細工業界の裏事情に明るい人間はこの場にはいなかったらしい。言いがかりと言われてしまえば、それまでだった。
ダンカンはにわかに調子を取り戻して、鼻を鳴らす。
それでも青年は狼狽えることなく、余裕たっぷりにダンカンからドリーに視線を移した。
「ドリー、きみの気持ちは分かるよ。店の宝石細工が売れなければ、きみはドレスも宝石細工も買ってもらえなかったんじゃないかな。きみの恋人は、きみを満足に装わせるほどには商才に恵まれなかったらしい。嘆かわしいことだよ。僕なら愛する人にそんな思いはさせない。ね、オダマキのようにうつくしいお嬢さん。ちがうかな?」
青ざめていたドリーだったが、甘い夢にいざなうように青年に眸を覗き込まれると、頬を赤らめてドレスのほつれをさっと手で隠した。
それだけで、ちがうとは言わない。野次馬のひそひそ声が大きくなる。
ダンカンが咎めるようにドリーを睨みつけた。
「そんなふたりが、ガラスくずを手に入れて思いついた遊びだ。賛同はしかねるが理解はできなくもない、かな」
同情とも嘲りともつかない微笑が、青年の口元に浮かぶ。そんな毒を孕んだ笑みさえも、気だるい艶を帯びてたとえようもなく魅惑的だった。
加えて、彼の声はエメリとちがってよく通る。いや、おそらくわざと彼は観衆たちに聞かせている。旗色は、じわじわと変わりつつあった。
「お、俺たちの事情が仮にあんたの言うとおりだったとして、それがなんだ! 俺たちがこいつに濡れ衣を着せた証拠はない!」
「僕は濡れ衣を着せたとは、ひと言も言ってないのだけどね。なにか思い当たるふしでもあるのかな」
青年の気品すら感じさせるくすくすという笑い声に、ダンカンは屈辱のあまり顔を真っ赤にした。それに気づいていないはずがないだろうに、青年はそうそう、と楽しげな声を上げる。
「さっきの、ペリドットを寄越せという言葉選び。あれも感心しないね。まるではじめから、ここにダイヤモンドがないことを知っていたかのようだ。あの場面ではまず、ダイヤを返せと言ったほうが自然だったんじゃないかな。僕なら言わない」
今さら言うには及ばぬことを、崇高な美学でも語るかのように青年はあげつらう。
まるで、自分が悪事を働くことを想定したかのような口ぶりだった。犯罪者の諮問役がいるとしたら、きっとこんなふうに助言するだろうと思わせる。
「だからなんだっていうんだ! こんなものは全部あんたの口から出まかせだ!!」
口から唾を飛び散らせながら、ダンカンが罅割れた声で叫ぶ。
青年はいやいやをする幼子を相手にするみたいに肩をすくめると、身体を折ってダンカンの耳に顔を寄せた。
「そういえば、紫水晶亭で悪だくみの算段をしていた男女の客がいたという話を聞いてね」
「——え?」
「紫水晶亭。ハイネブルグ城城主フィガルテ侯爵とも懇意にしている、あの酒場だよ」
エメリにはかろうじて聞こえるほどのささやき声で、青年は軽やかに続ける。
「僕の知り合いが言うには、眉を顰めたくなるような下劣なはかりごとだったという話だよ。なんでも、どこぞのけなげな宝石細工師を冤罪で嵌める話だとか。まあ僕も、そのふたりの名前までは聞かなかったんだけど、彼は知ってる。彼はお忍びでやってくる、フィガルテ侯爵の飲み仲間でね」
ダンカンは青ざめるを通り越して蒼白になった。
おそらく、身に覚えのある話なのだろう。
「紫水晶亭で犯罪の計画が練られていたという話を耳にしたら、フィガルテ侯爵はどれほどお嘆きになることだろう。侯爵は、この宝石領の主。厳格だが、宝石細工師の保護と育成に力をそそがれている方だ。きっと罪人どもを城に引っ立てるように命じられるだろうね。いいや、悪くすれば――処刑、かな?」
ダンカンの姿はもはや、風前の灯火のようだった。ドリーも今にも卒倒しそうな様子でふらついている。
エメリは、青年のフロックコートの裾を引いた。振り返った青年に、エメリはちいさく首を振る。
青年は興を削がれた様子で、つまらなそうに息をついた。
「さて、きみたちが今から取るべき行動について助言が必要かな?」
「か――」
ダンカンが唇をふるわせながら、なにごとかを口にする。
「勘ちがいでした! あれは、ダイヤじゃなくてそういえばガラスを持っていったんです。そうだ、今思いだしました!」
青年は、しきりに顎を撫でることを繰りかえす。この期におよんで勘ちがいのひと言で済ませようとするダンカンの姑息な言い分が、不満らしい。
だけど、エメリはもう十分だった。
彼らは今後、この街でしばらくは慎んで生活することを余儀なくされるだろう。
話をちゃんと聞いてほしかったし、謝ってほしかったし、二度とお近づきになりたくないし、こんな卑怯な真似はエメリ以外の人に対してももう二度としてほしくない。
かといって、彼らに死んでつぐなってほしいわけでもなかった。
濡れ衣だったということがきちんと理解してもらえるのならば、それ以上は望まない。
エメリがもう一度青年の裾を引けば、彼はぱん、と手拍子を打ってから大仰に腕を広げた。
「さあ、観衆の皆さん、この舞台は幕切れですよ」
青年は芝居がかったしぐさで扉を閉め、カーテンを引く。
それを合図に、ひとりまたひとりとカーテン越しの野次馬の影が少なくなってゆく。
「さて」
青年は、ダンカンに向きなおるとあくまで穏やかに微笑した。
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