4 彼女の流儀

「そうよ。嘘つきはあんた」


 答えたのはソルだった。

 かぶっていた猫をかなぐり捨てて、きつくダンカンを睨みつける。


「あたしは見てたわ。うちの職人があんたに、ガラスの宝石細工をつくるって宣言するのをね」

「おいみんな。まさか石ころの言うことを信じないだろう? そこの職人は石まじりだ。石ころと石まじりが共謀して、卑しくも俺の宝石を盗んだんだ!」


 エメリは凍りつく。

 石ころも石まじりも、石精や混血に対する蔑称だ。

 ソルが怒りのあまり、ぶるぶるとふるえる指を握りこむ。

 エメリはたまらずソルを胸の前に引き寄せた。これ以上、彼女にこんなひどい言葉を聞かせたくない。

 野次馬の何人かはエメリが混血だということをはじめて知ったのか、一気に冷たい目を向けてくる。

 ダンカンは調子づいた様子でつかつかとエメリに近づいてくると、エメリの首筋に手を伸ばした。


「いたっ」


 首の後ろでぶち、となにかが切れる感触がして、エメリは胸元を押さえる。

 ペンダントが無理やり外されたのだ。

 エメリは普段からドレスの首元や胸元をモスリンのレース飾りのついた肩掛けで覆って、ペンダントを隠している。隠しているのはトップにペリドットをあしらった、エメリが十歳の頃につくった宝石細工だ。

 この宝石細工はソルの核——石精にとって思考や心をつかさどる部分でもあり、核を壊されると石精は消滅する。

 核を盾に取られたら石精はどれほど強い力の持ち主であっても、相手に従わざるを得ない。

 だから宝石商は躍起になって、石精の核を手に入れようとする。

 エメリはペンダントを引き抜かれる前にぎゅっと手で握りこんで、なんとかソルの核を死守した。


「俺も悪魔じゃない。あんたがそのペリドットの核を寄越すっていうなら、今回の件は水に流してやってもいいんだぜ」


 ダンカンは猫撫で声で言う。

 エメリはふるえながら、ダンカンをきつく見つめ返した。

 その要求にだけは、応えるわけにはいかない。


「ちがうっていうなら、なんとか言ってみろよ。まともに人の言葉も喋れない石まじり風情が」

「はあ!? ふざけたこと抜かしてんじゃないわよ、この青二才! あんたの言ってることなんて全部嘘っぱちのくせに、よくもまあそんな恥知らずなことが言えたもんだわ!」


 小さな身体に見合わない大声で叫んだソルの眸が、太陽のきらめきをまとう。

 エメリを庇うために石精の能力を使おうとしているのだ。しかしここで下手に彼を傷つけでもすれば、それこそ難癖をつけられてソルを奪われかねない。

 エメリは覚悟を決めて、ソルの一歩前に出た。


「この、宝石細工は」


 そう言ってダンカンの目を間近で見上げる。

 エメリの深い緑の闇に映しだされて、ダンカンは怯んだように一歩後じさった。


「お客さまとお話をして、一緒に、デザインを、考えました。だからデザインは、たしかにお客さまがお決めになったもの。そう、ですね?」

「ああ。だからなんだっていうんだ」


 ダンカンは指でとんとんと肘を叩きながら、急かすように言う。自分のペースにもっていこうとしているのだ。

 エメリはあくまでもゆっくりとていねいな手つきで、イヤリングをひっくり返した。


「石留めは、クローズド。石の裏側と側面を、台座にしているシルバーで、覆っています。その間に差し込んでいるのは、金属箔。こうすることで、金属箔の反射で、石がもっている以上の輝きが引きだされて、石が普段よりもずっと、華やかな顔を見せてくれるんです」


 エメリは今度はイヤリングの表側、石のある一点を指さす。


「石の底部に、針で刺したみたいな、小さな黒い斑点があるのが見えますか。これは、わざと塗ったもの、です。上から覗き込むと、ほら」


 エメリは外から入ってくる光に透かすように宝石細工をかかげた。

 石の底が黒く塗られているおかげで、石に奥行きが生まれているのが分かる。

 これはすべて、ガラスをよりうつくしく見せるためにエメリが凝らした技術だ。


「うちでは、クローズドのダイヤモンドの宝石細工は、お客さまに乞われないかぎりは、おつくりしていません」


 その言葉に、ダンカンが眉を上げる。


「もし、お客さまからお預かりした石が、ダイヤモンド、だったなら、裏側の地金に孔をあけて、光を入れる石留めを、ご提案します」


 かつての宝石細工はクローズドの石留めが主流だった。

 星石せいせき燃料が発達した今では、上流階級の社交場には煌々と照明が灯るようになり、宝石のうつくしさは光と切っても切り離せないことが明らかになった。宝石の裏側を金属の板で覆ってしまうよりも、光を透過させた方がうつくしく輝くことに気づいたのだ。

 それとともに、宝石細工師たちは宝石のうつくしさを一番に引きだすための新しい技法を生みだした。

 エメリが今日つくったばかりのモルガナイトの指輪は、その新しい技法——オープン・セッティングが使われている。

 ガラスもこの技法を使ったほうがうつくしい場合もある。

 けれど、ダンカンが持ち込んできたガラスは上質なものとは言いがたく、光を通しにくくて不向きだった。

 エメリはいつも、その石と持ち主に一番ふさわしい形を探して宝石細工をつくる。

 それが、エメリの信念。職人としての、ゆずれない矜持だった。


「この石留めも、形も、お客さまとこの石のためだけのもの。だから、贋物のはずが、ないんです」


 野次馬のなかで、エメリのあまり大きいとは言えない声が聞こえたらしい前列のひとりが表情を変える。

 顔をこわばらせたダンカンが、それを遮るように足を踏み鳴らした。


「知るか! ごちゃごちゃとわけの分からないことを! あんたがガラスとダイヤをすり替えたのはたしかなんだ。さあさっさとそのペリドットを寄越せよ!」


 ダンカンはすごむと、エメリの胸倉を掴んだ。

 体勢を崩したエメリの腕がトルソーに当たって、トルソーが後ろに倒れる。はずみで、木製の支柱が無残に砕け散った。

 エメリは泣きだしたい心地になる。言葉を尽くしているのに、話が通じない。

 おそらくはじめから、ダンカンはエメリの話を聞く気などなかった。はじめから、エメリの宝石細工もどうでもよかった。ソルとその核であるペリドットを奪うことが目的だったのだ。

 こんなのおかしい、いやだと思うのにどうすることもできない。

 ソルが肩に飛び乗ってきて、エメリだけに聴こえる声でささやく。


「エメリ、聞いちゃだめ。こんなばかみたいな話に屈しちゃだめよ。ばかでもばかの振りをしたやつでもない、ちゃんと話の分かる人間に間に入ってもらって――」


 ソルはそう言ってくれるけれど、石まじりの女の職人の肩をもってくれる人なんてきっといない。世間は、エメリの宝石細工のように甘くはできていない。

 野次馬のほとんどはエメリを盗人だと信じきっているようで、エメリの答えによっては暴動でも起こりそうな雰囲気だ。猶予はない。


(ソルをこの人に渡すことは、絶対にできない。もう、お店を手放してお金に換えるしかない?)


 そんなことは絶対にしたくないけれど、ソルには代えられない。

 それに暴力を振るわれて万が一この手が使えなくなったりしたら、二度と宝石細工をつくれなくなる。それは、エメリにとっては死ぬよりもつらいことだった。

 ダンカンのにやにや笑いにも、心がかわいてなにも感じなくなる。


 覚悟を決めて顔を上げた矢先、こつりと小気味よく誰かの靴音が響いた。

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