3 濡れ衣

「ひとつ学んだよ。きみのうつくしさについて語るよりも、きみの作品について語ったほうが、よほどきみの心に触れられるようだ」


 エメリが頬を朱くしたことに気づいたのか、彼の口調に揶揄うような色がもどる。


「かわいい人だね」


 エメリは耳まで真っ赤になった。そのことを悟られないように三つ編みを顔の前に持っていってうつむくが、おそらくもう遅い。

 なぜか気をよくしたソルが、ぴょいと飛んで青年のそばにただよう。


「きゃわあああん。すてきな貴公子さま、あなたはどこからいらっしゃったの? お名前はなんとおっしゃって? ね、ソルに教えてくださらない?」


 ソルは両の手をこぶしに握って、上目づかいで青年をあおぐ。

 エメリは頭が痛くなった。ソルの悪癖発動だ。

 彼女いわく“面のいい男”と“金持ち”相手だけに、ソルは純粋無垢でかいがいしく、けなげな女の子になる。

 普段見ている姿とかけ離れすぎていて、何度目の当たりにしても開いた口が塞がらない。だが、世のなかの大半の男性は、どういうわけかソルのこの猫かぶりの姿にころっと騙されるのだ。

 案の定、青年もまんざらでもなさそうに微笑んだ。


「きみも主人に似て可憐だね。ペリドット? 店の名はきみから?」


 その問いにソルが答えるよりも早く、エメリは表情を硬くした。


「主人じゃありません」

「え?」

「わたしは、ソルの主人じゃありません。友だち、です」


 こんなことを言おうものなら、ふつうは頭のおかしい娘が妄言を吐いていると思われる。

 石精はふつう、人間に絶対服従する奴隷として扱われているからだ。

 このエミテルレーシアでは、石精は宝石商によって売買される。

 富をひけらかし、欲望をぶつけるためだけに存在する、最高級の観賞人形。それがごく一般的な石精に対する認識だ。

 人はみんなエメリをソルの主人だと思い込んでいて、しょっちゅう彼女を売ってくれないかと持ちかけてくる。

 でも、彼女はエメリの物などではない。

 だからいつも返す言葉は同じだ。あなたは友だちを人に売るんですか? そう言うとみんな、石まじりの娘はやっぱりいかれている、、、、、、と納得して、一切話しかけてこなくなる。

 けれど、青年は面白そうに眉を上げた。


「へえ。なら、ちいさな石の精の友だちの宝石細工師さん、きみの名前を教えてくれる?」

「わ、わたしは……」


 束の間、藍玉の眸に内包物インクルージョンのように不穏な光がよぎった気がしてエメリは口ごもる。

 目を擦って青年をもう一度見上げる。見えたと思ったはずのその光は嘘のように消え失せていた。


「わたし、は」


 相手はお客さまだ。名乗らない理由はない。早く言わなきゃ、と気ばかり焦るのに、舌がもつれて上手くいかない。

 ちょうどそのとき、蹴破るような勢いで『夜翠玉』の扉がひらいた。

 誰かが雪崩れ込んでくる。ひぃっと情けない声を上げてエメリは縮こまった。

 ソルが彼女専用の小さな箒をもってきて、いつでも闖入者を叩きつけられるように振り上げる。


「おい!」


 大声で怒鳴りつけてきたのは、先日イヤリングを注文してくれた若い商人の男だった。たしか名はダンカンだったか。彼の腕には、華やかな紫のドレスを着た若い娘が取りついている。


「あんた、よくも騙してくれたな!」


 ダンカンはすさまじい剣幕でエメリに迫ってくる。

 大きな身体も大きな声も、そこから放たれる怒りもおそろしくて、今にも尻尾を巻いて逃げだしたくなる。

 だけど相手はお客さまだ。

 これほど怒っているというからには、エメリのつくった宝石細工になにか瑕疵があったのだろう。だとしたら、職人として誠心誠意心を尽くさなければならない。

 だが、これほど激怒されるまでのことをしでかした覚えはなかった。


「な、なんのこと、ですか?」

「とぼけるなよ! 自分のしたことを思いだしてみろ」

裸石ルース持ち込みで、恋人の女性への、イ、イヤリングをおつくり、しました。ちゃんと、納品もしたはず、です」

「ああたしかに納品されたよ。宝石細工のデザインまで相談して時間も金もかけて注文したっていうのに、贋物がな!」


 そう言って、ダンカンはエメリにイヤリングを突きつけてくる。

 ダンカンの大声を聞きつけたのか、店の周りには近所の人や通りがかりの人々が群がりはじめていた。

 もしも夜翠玉がお客さまを騙したいんちきな宝石細工店だなんて悪評が立てば、エメリはこの街で商売などできなくなるだろう。


「贋、物?」


 まさかエメリのつくった宝石細工がどこかで粗悪品とすり替えられでもしたのだろうか。

 エメリは青ざめながら、イヤリングを手に取ってよくよく検分する。

 底部近くに、微かに気泡と傷が確認できる。間違いない。正真正銘エメリがつくった宝石細工だ。ダンカンが持ち込んだこの裸石を苦心して、ブリオレット・カット――いわゆる涙型に研磨したのだ。

 デザインは、石をひと回り大きな細い金のフレームで囲み、繊細な金細工でできた葉っぱを吊り下げたラフなスタイルだ。

 あまり値の張らないものを、と乞われて、気軽につけられてそれでいて宝石細工の上品さを損なわない意匠を考えた。

 作品を受け渡したときも、ダンカンはとくに文句を言わずに代金を払ってくれたのを覚えている。

 いったいなにがどうして、贋物呼ばわりされなければいけないのか分からない。


「見ろ、知り合いの宝石細工師に言われたんだ。石がダイヤモンドからガラスにすり替えられてるってな。盗人め。俺のダイヤをどこにやったんだ!」


(え?)


 エメリは目を見ひらいた。


「ま、待って、ください。この石は、元々ガラス、でした。注文をお受けしたときに、ちゃんと確認したはず、です」


 ガラスの宝石細工は珍しいものではない。ガラスといっても鉛を多く含む宝石細工のためのとくべつな鉛ガラスだ。当初はダイヤモンドに手が届かない中流階級のための代替品として生まれた経緯はあるが、今ではガラス自体も立派な宝石細工の素材として人気がある。

 エメリもガラスに対しても敬意を込めて、石と呼んでいる。

 だからエメリはガラスが持ち込まれてもなんら驚かなかった。念のためガラスであることをダンカンの目の前で一緒に確認したうえで、まるでダイヤモンドに見えるようなカッティングをほどこし、イヤリングに仕上げたのだ。


「俺が嘘でもついているっていうのか!?」


 ダンカンは激昂して怒鳴り散らす。

 野次馬たちがエメリを見つめながらなにかをささやき合う。その唇は、どれも好奇と不信、それに蔑みの形に歪んでいた。

 痛いくらいに、理解する。

 今この瞬間、エメリはこの街の人たちにとって、どれほどひどい言葉で罵ってもなぶってもいい玩具に成り下がった。

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