第14話
まばゆい光が消えた先には白い大理石で造られた広い空間の中央に円形のクッションの上で何かが横たわっている姿があった。
「女王、蜂蜜見ツケタ!」
我らを転移陣で運んだ女性がクッションに横たわるなにかに飛び寄る。
「女王。アノ人、女王ノ事、知ッタラ蜂蜜クレルッテ言ッテタ。ダカラ、説明シテ」
女性の意図する所を理解し、女王と呼ばれたそれはゆっくりと身を起こした。
「私はこの森の女王、リジャイナと申します」
くぐもった声で名乗ったのはリトスほどの大きさの白いイモムシだった。イモムシはどこか苦しげに言葉を続ける。
「どうか、その蜂蜜をいただけませんか。どうしても私が成体になるために必要なものなのです」
切実な願いのこもった声。しかし……
『貴女は成体になったらどうするつもりだ?』
「どうするとは?」
我の問いに女王はコテンと首?頭を傾げる。
『成体になったらこの階層で何をするつもりだ?』
「特に何も。女王としてこの森を治めるだけです」
最初から悪意がないのは分かっていた。彼女たちはただ、生きたいだけ。そこに善も悪もない。生きるということは意図せず、一方には善であり他方には悪になる。
女王に意図して悪事を働くつもりがないなら蜂蜜を渡しても良さそうだ。
『分かった。この蜂蜜は貴女に譲ろう』
いつの間にか用意されたクッションにリトスとコキネリを横たえると女王のもとに向かい、蜂蜜入りの瓶を女王の胸脚に手渡した。
「ありがとうございます。これで成体になれます」
そういうと女王は蓋を開け、蜂蜜を飲み干す。途端に女王の身体がイモムシから白い蛹に変わった。白い蛹になった女王はピクリとも動かない。
『女王はどれくらいで孵るんだ?』
「今日中ニハ孵ル。ソレマデ、ユックリシテイッテ」
女性はそう言うと背後に合った扉の先に消えていった。
暫くすると香ばしい焼き菓子のような匂いとともに先程の銀髪の女性とよく似た女性たちが大皿を下から支えて運んできた。
「コレ、客人ニ出スモノ。食ベテ」
我の前に置かれた大皿の上に山盛りに乗っているのは黄色みの強いクッキーのようなもの。
香ばしい匂いに先に目を覚ましたのはコキネリ。
「何、この美味しそうな匂い」
スンスンと触覚をひくつかせ、匂いの在り処を探す。匂いの元を見つけたコキネリは早かった。一飛びでクッキーの乗った皿に飛びつくと自身の半分ほどある大きなクッキーをサクサクと噛り始めた。
「うーん。美味しい」
噛じる度にうっとりとするコキネリ。美味しいのは良いことだが、もう少し警戒をだな……。まあ、毒であっても我らには効かないのだが。
「そんなに美味しいのなら、あたしももらおうかな」
コキネリの声で起きたリトスもクッキーに手を伸ばす。慌てて銀髪の女性たちに尋ねた。
『これは人族が食べても大丈夫なものなのか?』
「毒ナイ花カラ取ッタ蜜ト花粉カラ作ッタ。多分大丈夫」
確証はないが作ったものから大丈夫そうだ。一瞬、毒と聞いて手を引っ込めたリトスだったが、ないと分かると一枚手に取り口に放り込んだ。
「甘くて美味しい」
蜂蜜と花粉で作られたクッキーの甘さが疲れた身体に染み渡ったようでこちらもコキネリと同じ様に恍惚の表情を浮かべている。
最下層突入前に銀髪の女性に出会えたのは僥倖だったのかもしれない。これで万全の体調で最下層に挑める。
クッキーの他にも砂糖漬けの花の入ったゼリーや木のみをあしらったケーキ、新鮮な果物などが振る舞われた。
一人だけ出された料理に手をつけない我を不思議に思ってか銀髪の女性の一人が我に尋ねる。
「客人、何デ食ベナイ?」
『我は食べる必要がないからな』
必要がないというか食べることが出来ないし、空腹という感覚もない。
「ソウカ、ナラコウスル」
言うと女性は両手の平に緑色の光を湛えると我の傷口に優しく塗り込み始めた。光を受けたところに黄金色の輝きが戻る。
「痛ソウ、ダカラ治シタ。コレデ元通リ」
『ありがとう。助かった』
礼を返すと女性は気恥ずかしげな笑みを浮かべ飛び去ってしまった。
我の傷も癒えた。これで最下層には三人、万全の体調で挑める。
そうこうしているうちに真っ白だった女王の蛹は半透明に変わり中の藍色の羽が透けて見えだした。そろそろ孵る頃だ。
蛹の背に亀裂が入り、まだ伸びきっていない藍色の羽と月光のように美しい銀髪が姿を現す。蛹から出た女王が銀の髪を一振りすると背中の蜂のような藍色の羽が広がり星の輝く夜空となった。
先程までイモムシだったのが嘘のように目鼻立ちの整った銀髪の美女が緩やかに口を開き、鈴の音のような澄んだ声で謝意を述べた。
「貴方様のお陰で、無事成体になれました。この恩は生涯忘れません。この度は本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる女王。そこまで感謝されることだったのだろうか?我はただ持っていた蜂蜜を譲っただけなのだが。
『我はそんな大層な事はしていない』
我の否定を女王は強い口調で否定した。
「いいえ、貴方様が蜂蜜を譲ってくれず、私が成体になれなければ私達の種は滅んでいました。私を救った貴方様は我らの種そのものを救ったのです」
コキネリがオヤツにしていた蜂蜜がこんな一大事に関わるとは全く思わなかった。ことの重大さに返す言葉が見つからない。
「わたしのオヤツが一族を救ったんだ……」
コキネリが小さなポーチから太陽の蜂蜜が無限に湧いてくる、“黄金の雫”と呼ばれる金色の首の細長壺を取り出ししげしげと眺め、暫くすると何かを決意したのか真剣な眼差しを女王に向ける。
「これ、あげるわ」
突然の申し出に女王もそれを聞いた我も驚いた。
「頂いても宜しいのですか?」
戸惑いながらも喜びを隠しきれない女王にコキネリは微笑んだ。
「私にとってはオヤツだけだど、貴女達にとっては必要なものなんでしょ?だったら貴女達が持っていたほうが良いわ。まあ、たまに少し分けてくれたら嬉しいかな」
「本当になんとお礼を申し上げたら良いか。貴方様方がこの階層にいらした時には丁重におもてなしさせていただきます」
深々と頭を下げる女王に「その時は宜しくね」とコキネリは笑って返した。
かくして、我らは九層に住まう妖精の一族と友好を結ぶことになった。
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