7月28日



「私ね、今から3年くらい前に、ここで死んじゃったんだよね。」


先輩の手が俺の頭をすり抜けた事からなんとなく分かってはいたけど、

いざ言葉にされてみると困惑する。






俺が言葉を挟む間もなく、先輩は話し続けた。





「部活帰りの夜道でさ、ジュース買おうと思ってこの路地裏に寄ったんだよ。そしたら、そこにもう先客がいてね。そいつ、もう周りの全部が敵みたいな目つきでさ。

逃げようと思っても足が動かなくて。

もたもたしてる内にあっさりお腹を刺されちゃったんだよ。それで、ここに縛られたまま霊になっちゃった。」





話している先輩の目には、涙で歪んだ視界でも分かるほど不安と恐怖が映っていた。






かける言葉に困っている間に、また先輩は話し出す。


「私、死んでから誰にも見つけて貰えなくて。ここら辺を歩く人にどんなに必死で話しかけても、私の姿は誰も見えなかった。」




「でも、君が見つけてくれた。」




乾いて来たはずの涙が、また溢れてくるのを感じる。





「そこからは楽しかった。3年ぶりに人と話すし、こんなに優しい子だし。だから、君にはすごく感謝してるよ。」






先輩の話を聞いて、先輩に聞きたかったことを思い出した。







「じゃあ…先輩、一ヶ月半くらいここにいなかったのはなんでなんですか…?」




「ああ、それね。」




「それは多分、私が孤独じゃなくなったからだと思う。」





「…どういうことですか?」






「私は3年間ずっとここに独りだった。だから、孤独でいる事が未練になって、成仏出来なかったっぽいんだよね。

だから、君と話して孤独が消えたから、成仏しかけたってこと。だから君から私が見えなくなった…んだと思う。」





「君から私が…ってことは、先輩からは俺の事見えてたんですか?」



「もちろん!君がとぼとぼ帰っていくのを毎日眺めてたよ。」





…顔についた涙が蒸発する程、頬が赤く熱くなった。






「じゃ、じゃあ、今先輩の事見えてるのはなんでですか!」




「それはね、私が孤独になったからだよ。」




「え、さっきと矛盾してるんですけど。」




「いやしてないよ!君が私の事見えなくなっちゃったから、孤独だなって思ったら戻ってきちゃったって事!」





ややこしいな…





「…てことは、これから冬海先輩が定期的に見えなくなっちゃうって事?」






「え…?」



と、先輩は赤く染まった目を丸くして、捻り出すように言った。


そして、それよりも小さい声で





「君は本当に優しいんだね。」






…と、言った。









その先輩の声に、全身を包み込むような不安を感じた。









―先輩は、腫れた目を除いて一ヶ月半前の笑顔に戻った。




そして、



「伊地知くんは、定期的に私の事が見えなくなっても一緒にいてくれるの?」


と言った。






―先輩は、自分の心の内をさらけ出して、話してくれた。


俺も、自分の心を素直に伝えるべきなのかもしれない。


今まで考えるのすら怖かった先輩へのモヤモヤを、この気持ちを。






「当たり前ですよ。俺は、冬海先輩の事が好きなので。」



先輩の反応が怖くて、ぎゅっと目を瞑ってしまった。







―ゆっくりと目を開けると、涙を流しながらニコニコと笑う先輩がいた。







「えへへ、そっか。私も好きだよ。」








その言葉に、喜びや小っ恥ずかしさよりも先に




安心した。




安堵で全身の力が抜けていくのを感じた。









そしてその安心は、一気に不安へと切り替わる。









先輩の指先が、手が。







すうっと半透明になっていく。






「先輩が…見えなくなってきてる!」






先輩は、驚きと哀しさを含んだ表情で、



「…本当?ごめんね、会えたばっかりなのに。」


と言った。






…先輩がまた見えるようになるまで、ここに通い続ける事になるのか。







「大丈夫ですよ先輩。次会う時まで、俺毎日ここに来るんで!」





そう言うと先輩は、酷く哀しそうな顔をした。





と思ったら、ぐっと、覚悟を決めたような顔をしてこう言った。






「ごめんね、伊地知くん。会えるのはこれが最後なんだ。」






「え…?」








「これから君をここに縛り付ける訳にはいかないと思ってね。さっき私聞いたでしょ?一緒にいてくれるかって。

それで君が私の事を好きって言ってくれたから。私はもうこれからずっと孤独じゃないって分かった。」







「ってことは先輩はもう…」








「うん。私はもう成仏するよ。」




その言葉に、俺は何も言葉を返せなかった。








先輩は、何も言えないままの俺の前に座り、俺を抱きしめた。



もちろん、本当に抱きしめることは出来ない。





不安と哀しさと焦りと後悔、そして心配がごちゃごちゃに混ざって、


涙が止まらなかった。











―涙で歪み切った視界の中、先輩の声が聞こえた。




「伊地知くん、ありがとう。大好きだよ。」




「俺も、大好きです。」







袖で涙を拭き、視界が戻った頃にはもう






先輩はいなかった。

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