第22話 意地とプライドが悪い方向に発揮された結果

「このまま外で、というのもありかもしれませんね」


 わたしはワンテンポおいてトールの言葉の意味を理解すると、体にぶるぶると震えが走った。


 顔もきっと青くなっているだろう。わたしはさっきのトールよりもきっと動揺していた。

 トールの様子があんまりにも怖くて、本当の本当にそういう事をするつもりなのではないかと思わされてしまったから。


「ちょ、ちょっと冗談よね?外で、この場でそんな事をするなんて!」


 人がこの場にどれだけいると思っているのだ。誰かにみられるような所でそんな事をするなんてとわたしは半ばパニックになっていた。


「もちろん、冗談ですよ。……ラピス様があんまりにもお戯れがすぎる事をおっしゃるのが悪いんですよ」

「……トールの癖に生意気ね!」


 わたしは内心の怯えを悟られないよう、いつも通りの強気なラヴィニアを必死に装った。

 トールは冗談だといったけど、さっきからの冷たい表情はそのままだった。なのでちっとも安心出来ない。


「でも、ラピス様がそこまでおっしゃるのなら、この場でキスぐらいすませておきますか? それぐらいならこういう人がいる場でしてしまっても、かまわないでしょう?」

「……は?」


 ほら、やっぱりとんでもない事を言い出した。


「キス……え、ちょ、キス?」

「キスです。夜伽の前段階として、いかがですか?」

「い、い、嫌に決まってるじゃない!なんであんたなんかと!」

「でも、ラピス様がおっしゃったような夫婦としての営みの中にはキスも含まれるのではないですか?」

「うっ……」


 認めよう。わたしはトールとそういう事をする覚悟が決まっていると自分では思っていたけど、実際の所、いざそれを前にすれば怯んでしまっていた。


「いいんですよ、ラピス様。こういう事にまだ覚悟をお持ちでないのなら、いたしません。いつまでも待ちますから」

「覚悟ならあるわ!やれるもんならやってみなさいよ!」


 ……だが、手を出さないトールをヘタレと煽っておきながら、覚悟がないのはわたしの方だったという事を認める訳には出来なかった。 

 『つまらないプライドをもつとね、人生うまくいかない事が多いわ』といって笑っていたお母様の姿が思い出された。


「はは、本気ですか、ラピス様」

「本気も本気よ」

「なら僕も応えなくては。据え膳食わぬは男の恥といいますからね」


 そういってトールはわたしの頬に手をあてると、わたしの顔に自分の顔に近づけた。

 トールの顔が間近に迫る。


「わ、わー!」

「どうされました、ラピス様?」


 突然叫んだわたしにトールの動きがピタリと止まった。


「やっぱり、僕とそういう事をするのが嫌になりましたか?やめておきますか?」

「違うわよ、このままトールが近づいてきたら、食べ物と飲み物が潰れると思っただけ。どかさせて!」

「なるほど、そういう事ですか」


 実際は普通に怖くなってしまっただけなのだが、そんな事はいえない。

 わたしは食べ物と飲み物をベンチの上に置く。


「これでよし。ほら、続き、して」

「ラピス様、本当に大丈夫ですか?」

「……大丈夫よ」


 わたしは目を閉じた。

 要はトールの顔が近づいてくるのが見えるから、びびってしまうだけなのだ。見なきゃいいんだ、見なきゃ……と思っていたのだが、結局「いつキスがくるんだ…」と別の意味でひやひやしてしまった。


 だが、いつまでたってもそれらしき感触がやってこない。疑問に思い、目を開くとトールはわたしの顔の至近距離で動きをとめていた。


「……っ!?」


 わたしがびっくりしていると、トールは優しく笑った。


「無理しないでいいんですよ、ラピス様」


 そういってトールはわたしから手をはなすと、起き上がった。


「……無理、してないわよ」

「僕たちにはこれからいくらでも時間がありますから、そんなに焦らないでいいんですよ」

「このヘタレ!」

「はいはい、僕がヘタレって事でいいです」


 トールはわたしの挑発を意にも介さない。

 確かに一瞬助かったと思ってしまったけど、でも、何故だかそれ以上に悔しくてたまらなかった。

 わたしは沸々とわいてきたものをそのままトールにぶつけた。


「そうやってわたしを甘やかしてると、わたしがいつまでもそういう事に慣れないじゃない!」

「……え」

「あんたが本当にわたしの事を思ってるんだったら、わたしに遠慮するだけじゃなくて、わたしをそういう事に慣れさせなさいよ!」


 自分で自分が何をいっているんだか分からない。とにかく夢中になって叫んでしまった。

 トールは釈然としないような表情のまま、わたしに問いかけた。


「それはつまり、僕にラピス様を徐々に性的な事に慣れさせろと、そうおっしゃるんですか?」

「……そ、そうなるのかしら、ね……」


 いざ改めてそう確かめられると、わたしは恥ずかしくなってしまった。

 わたしはひょっとしてとんでもない事を言ったんじゃないか? やっぱり違うと言おうと口を開くと、トールに突然抱き締められた。


「それはつまり、こういう事ですか?」


 そういってトールはわたしの耳を撫でた。


「……っ!?」


 ぞわりと変な感覚が体に走る。

 トールはそのままわたしの手を握ると、指の付け根にふれ、さすってきた。

 ますます変な感覚が強まり、おかしな風になりそうになる。


「ちょっ、や、やめ……」

「ラピス様が言い出したんですよ?」


 そういいつつ、トールはわたしから離れた。


「わ、わたしがいったのはこういう事をしろっていう意味じゃないわ!」

「じゃあ僕は何をすればいいんですか?」

「そ、それは……」

「それは?」

「例えば……」

「例えば?」

「添い寝、とか?」

「添い寝、ですか」


 わたしはものすごくいい案を思いついた気になっていた。


「そう、添い寝、添い寝よ!夜にわたし達はそれぞれ別の場所で寝てるでしょ?これからは一緒に寝ましょう!」

「それは僕は一切ラピス様に手を出してはいけないんですよね?」

「ええ。そういうのは次の段階になるわね」

「それじゃあ僕にとっては生殺しじゃないですか……」

「は?生殺し?なんで?」

「分からないんですか?ラピス様は純粋すぎます」

「わたしが純粋なんてあんたの目は節穴ね」

「いや、誰が聞いても純粋だとラピス様を言うと思いますよ……」


 そういってトールは大きなため息をついた。


「ラピス様は本当に本当に、添い寝をご所望なんですね?」

「ええ、そうよ」

「なら、仕方ありません。僕はラピス様のされたい事は全部叶えたいと思っていますから」


 そういうトールの目はげっそりと疲れきっていた。

 わたしは何でそんな反応なんだと疑問に思う。


「じゃあ、早速今日から一緒に寝たいわ!」

「それはやめてください、覚悟を決める時間をください」

「覚悟……?」

「そうですね、6日後のパーティーのある日から一緒に寝ませんか?」

「そんなに覚悟とやらを決めるのには時間がかかるの?それとも、わたしと添い寝するのはそんなに嫌?」

「いえ、僥倖ではあるんですけど、ラピス様相手に自制しきれるかどうか心配で」

「自制って何を我慢するのかはしらないけど、わたしに迷惑をかけるような事なら絶対しないで」

「……ラピス様のお言葉、肝に命じます」


 トールはわたしに深く深く頭を下げた。

 こんなにこいつが気にしている事って一体何なんだろうと疑問に思う。


 でも、トールが何を心配してるのかは本当に分からないけど、きっとわたしに酷い事はしないだろう。 なぜならトールは人畜無害なクソ善人だからだ。

 わたしはぬるくなった食べ物と飲み物を手にとった。


「じゃあ、 パーティーの日からわたし達は一緒に寝るって事でよろしくね」

「……はい」


 トールはまだ沈痛な表情をしていたが、わたしはそれを無視して食事を再開した。



 わたし達は食事を食べ終わり、軽く店を見て回った後、帰路についた。


 トールは行きの時に言っていた通り、アーゲンスト家の馬車を呼んでいた。いつ手配していたのかは謎だ。

 馬車に揺られていると、うとうととしてしまう。町を歩き回ったり、何着もドレスを着させられたりしたせいで、非常に疲れた。


「ラピス様、町は楽しかったですか?」


 トールの問いかけに目がぱっちりとさえた。


「そうね、悪くはなかったわ」

「それはよかったです。また行きませんか?」

「気が向いたら、ね」

「はい、楽しみにしています」


 約束ですよ、とトールは囁く。

 そういえば、お母様と町に出かけた時も、また一緒に町に行こうって約束したっけ。


 でも、お母様はその後、体調を崩す事が多くなり、その約束は叶わなかった。


 トールとのこの約束は、叶うんだろうか。


 再び眠気がわたしに襲いかかってくる。

 眠る寸前に、何故か昼間に会ったお婆さんの言っていた事が思い出された。


『大切な相手との外出は楽しいもんさ』


 お母様との外出は悪くない思い出だ。そんなお母様はわたしにとって、大切な相手だ。

 トールとのこの外出も悪くない思い出になるだろうと思う。

 じゃあトールは?わたしにとってどんな相手だろう?……大切な相手、なの?


 それはずっとずっと薄々気づいてはいたけど、気づきたくなくて目を背けていた事だった。だってその事に気づいたら、少なくともトールの前ではわたしは悪役令嬢ではいられなくなると思ったから。

 そんな事になったらわたしは弱くなってしまう、今まで築いてきた自分を保てなくなってしまう。


 そこまで考えたあと、思考を停止した。もうこれ以上考えたくない、そう思った。

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