第37話

 真白と新田の二人は交換殺人を計画し、自分たちの人生を滅茶苦茶にした張本人たちを殺そうとした。それが、お互いを助ける唯一の方法だと信じて。しかしそれを実行する際、二人とも殺害に失敗した。どちらもが先を越されて、その手を汚すことは無かった。二人の手はまだ、きれいなままなのだ。

 それを聞き、東は開いた口が塞がらなかった。だがそんな反応をしているのは、東だけだった。東には、理解できなかった。確かに実行犯になり得なかった真白と新田の二人が驚かないのは至極当然のことだが、その二人を追って、こうして遥々九州まで追いかけてきた二人の刑事が、そんなことは既に分かり切っていると言わんばかりに冷静なのが理解できなかったのだ。

「お二人は、驚かないんですね。ひょっとして、既にそのことをご存じだったんですか? 知っていたのに、この二人を追って九州まで来た。僕にはどうにも、そのことを合理的に説明することができないのですが」

 東がそう言うと、松井戸がようやくその重い口を開いた。

「知っていたよ。だからこそ、追いかけてきたんだ」

「どうして。実行犯と関連のない二人より、実行犯を捕まえるほうが先でしょう。どうして、二人を優先したんですか」

「そのことは、お前から話せ」

 東が語気を強くしながら迫ったが、松井戸は意に介さなかった。そして松井戸は、茅野の肩を叩いて話すように促すと、再び沈黙した。促された茅野も最初は目を点にしていたが、その意図を察したのか話始めようとした。

 が、それを遮るように真白が言う。

「私は、松井戸さんの口から真実を聞きたい」

「……どうして?」

「茅野さんは私のことを、信用していない。きっと間違った答えに辿り着いてる。だから、松井戸さんの口から聞きたい。真実を……偽りのない言葉を」

「それは違うよ、真白ちゃん。茅野は、岡濱東署にいた人間の中で唯一、真白ちゃんを信じていた。最初から最後まで、無実だと。そう信じていたんだ。それを証明するために、わざと真白ちゃんを追い詰めた。今の、この状況を作り出すためにね」

 松井戸がそう言うと、真白は少し表情を暗くした。それは、信頼している松井戸に否定されたからでも、疑っている茅野を信じろと言われたからでもなかった。

 ただ彼女の中にあった一抹の不安に、確信が持てたからだったのだ。

「“唯一”ということは……茅野さん以外は、少なくとも一回は私が実行犯であると疑った。……松井戸さん、あなたもそうだということですよね」

「――真白ちゃん、あの日記には君が今回の事件を推理し、容疑者の条件として挙げた項目があったね。あれを見て、確信したんだ。真白ちゃんは、もうすべて知っている。あの日の真実を――」

 松井戸は、顔を伏せた。東と新田はその言葉の意味が分からないようで、右往左往している。一方で、真白と茅野は顔を見合わせた。その姿はまるで、小テストの解答用紙を交換してお互いに答え合わせをしあう小学生のようだった。ただ一つ違うことは、その答えが正解でも、誰も喜ぶ人間がいないということだった。

 真白が話しづらそうにしているのを察してか、次に口を開いたのは茅野だった。

「その言葉を聞いて、確信しました。河野刑事を殺害したのは松井戸さん――あなたですね」

「やっぱり……知っていたのか……。どうして分かった?」

「確証があったわけではありません。ただ、気になった点がいくつかあっただけです。例えば、松井戸さんはどれだけ捜査が行き詰っても、河野刑事を殺害したのが誰かという疑問を一度も口にしませんでした。事件前に新田が会いに来たことや、東の意味不明な証言には疑問を呈しても、です」

 松井戸は、自身の言動を振り返る。確かに連続誘拐事件の時はよく犯人の謎について言及していたのに、河野の事件の時はそう言ったことを口にした覚えはない。自分が殺したことを知っているのだから、当然である。

 我ながら実に分かりやすい奴だという自覚とともに、松井戸の中から笑みがこぼれた。エキストラなどとバカにしていた後輩に、自分は今追い詰められている。その現実が、何より面白かった。

「もう一つ大きく疑うきっかけになったのは、靴です。松井戸さん、あの事件以降靴を履き替えていますよね。以前履いていたものが随分年季の入ったものだったので、履き替えた時にすぐに分かりましたよ」

 茅野がそう言うと、真白と新田、東が同時に松井戸の靴に目をやった。確かに、真新しい靴を履いている。茅野の言うとおりそれが事件以降突然履き替えたのだとしたら、かなり怪しい行動だろう。

「お前、意外に観察力あるよな。顔的にもキャラクター的にも、お前はエキストラとしてその生涯を終えると思ってたのにな。言動は、シャーロックホームズも驚く名探偵っぷりときたもんだ。うざいねー。その全部見透かしてました、みたいな喋り方。心底ムカつくよ、茅野」

「名前を憶えてくれたという喜びよりも、そんな風に思われていたのかという驚きの方が勝ってしまいました」

 松井戸から、再度笑みがこぼれる。茅野もなぜか、無意識のうちに笑ってしまっていた。もう少し早くこうなっていたら、少しは良い方向に事が運んでいただろうか――そんな無益な考えが、二人の頭によぎった。

「それで、真白ちゃんはどうして分かったの? さっきの反応的に、新田君が河野さんを殺した犯人を目撃していたようには思えないけど。茅野と同じように、真白ちゃんから見ても何か怪しいところがあったのかな」

「いえ、私はほとんど直感のようなものです。ただ、いつかレストルームで松井戸さんが河野刑事を思い返した時に、こう言ったんです。“今も、河野さんが俺に怒鳴る声が聞こえてくるんだ。あの日以来ずっと、ずっと、ずっと……耳から離れなくなったんだ”って。この表現には、違和感を覚えました。あの日というのが事件の日を指しているなら、松井戸さんはいつ怒鳴られたのか。あの日は連続誘拐犯を捕まえた日。怒鳴られていたとしても、そこまで印象深いものには――そんなに恐怖を感じているような表現を使う怒鳴り声は聞かなかったんじゃないか、そう思っただけです。そして新田君から、河野刑事は誰か男の人と言い争っていたという話を聞いていたので……もしかしたらと思って」

「細かい言葉の端々まで、よくもまあ。僕の周りには、名探偵しかいなかったようだな」

 松井戸は、笑ってそう言い放った。だが、その言葉には明るさや覇気の片鱗すらなく、半ば諦めや悟りを纏ったようなものだった。

 新幹線は、残り三十分ほどで新神戸駅に到着する。そこには、真白たちを逮捕しようと大勢の捜査員たちが待ち受けているだろう。松井戸を直接叱り飛ばしてやろうと、青鳥さえいるかもしれない。

 白い車体は風を切りながら、真っ直ぐ地獄に向かって突き進んでいる。そんな中、すべての真実が明らかになろうとしていた。

 その真実は、地獄へと指す一筋の光となるのか。それとも、全員を地獄へと誘う道となるのか。それは、誰にも分からなかった。

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