第34話

「事件のことを何も知らないのに、一度の偽証だけで本星の候補として考えられた。末恐ろしい話だ」

 幻想的な時間を壊したのは、茅野のその一言だった。また空気の読めない言動だと思われたが、茅野にしては待った方だった。東の話を聞いて真白が泣き出してからは既に五分ほどの時間が流れていた。

 辺りを見回すと、お墓参りと思しき人影も徐々に増え始めていた。本来死者への思いを馳せるべき場所で、殺人事件の話をしているのはとても罰当たりなことに思えた。ここはとても大きな霊園だから、ひょっとしたらなんらかの事件被害者の亡骸も眠っているかもしれない。

「真白ちゃん、君がここで真実を明らかにしたい気持ちは分かる。でも、場所を変えよう」

「そうですね。本当は昨日の夜にここですべて明らかになる予定だったんですけど、松井戸さんの到着が遅れましたからね。これからここは人も増えるでしょうし、不快に思う人もいるでしょう」

 松井戸が提案すると、真白は嫌みったらしくそう答えた。そして一同は新幹線に乗り、再度神戸に戻ることになった。

 松井戸は昨日レストルームを飛び出してから捜査無線を一切聞いていなかったが、茅野は捜査本部からの無線を聞き続けていた。その情報からは、既に捜査本部は真白たちが在来線で西の方面に向かったことを把握したことが分かっていた。つまりこのままここに居ても、やがて真白たちを連行しようとする人間が現れるだけなのである。そのため、場所を移動することにした。

「あの、僕も付いて行っていいのでしょうか」

 東が遠慮がちに松井戸に話しかける。松井戸は不気味な笑みを浮かべながら東と肩を組んで、耳元で囁いた。

「お前、俺の後をつけることに夢中で、レストルームでの会計忘れただろ。無銭飲食でしょっ引かれたくなかったら、俺と一緒についてこい。偽証の件も含めて、全部丸く収めてやるから」

 東はハッとした後、肩を少し落とし姿勢で一同と行動を共にした。後から聞いた話だが、一同が霊園を去ったあと五分としないうちに、真白たちを連行しようとした捜査員が来たらしい。紙一重であった。


 博多駅で神戸方面に向かう新幹線のチケットを購入し、一同は新幹線に乗り込んだ。茅野が警察手帳を窓口で示して融通を利かせてもらったので、周囲に人がいない指定席に座ることができた。これで、気兼ねなくどんな話でもすることができる。

 東が「これくらいしかできることないから」と言い、気を遣って椅子を回転させる。全員が、向かい合って座れる形になった。窓側の席から東、真白、新田の順で座り、そこに相対する形で窓際に茅野、真ん中の席を一つ開けて通路側に松井戸が座った。

「あ、ちょっと待ってて」

 松井戸は突然そう言うと、わざわざ駅のホームに出てゴミ箱に何かを捨てた。戻ってきた松井戸に真白が、新幹線内にもごみ箱があるのにと言うと、松井戸は笑ってごまかした。

 一同は重苦しい空気を漂わせながら、静かにその時を待った。やがて、出発のアナウンスが流れて新幹線が動き出した。全員が俯いていて誰も見ていないが、窓の外ではものすごいスピードで景色が動いている。

「聞かせてくれないか、二人の話を。どうして、こんなことしようと思ったのか。本当は、何があったのか」

 話を切り出したのは、また茅野だった。こういう時に、空気の読めない行動力のある人間がいるのは助かる。松井戸は、なぜか押し黙っている。

 茅野に促されると、まずは新田が話し始めた。

「もう警察の方でも掴んでいると思いますが、僕と真白さんが繋がりを持ったのはネットの匿名掲示板でのことでした。その掲示板では当時話題になっていた冤罪事件についてのスレッドが立てられていて、僕はそこに書き込んでいたんです。冤罪被害者として、この事件は許せないと思って。きっと同じ思いを書き連ねてくれる味方が、たくさんいると信じて。

 でも、書き込んでみて分かりました。あそこには、良心を持った人間なんていなかった。大半の書き込みは冷やかしで、火のない所に煙は立たぬとか、疑われるような顔をしている奴が悪いとか、そんなものばかりでした。僕はがっかりした。冤罪被害者を擁護する声なんて、ごくごく限られた少数だった。まだまだ、警察組織を信じ切っている人間が多い。警察が捜査対象とすることと有罪であることは同じ意味であると、そう考えている人が多い。実際に間違っていたと警察が認めても、捜査が大変だからとか、仕方がないの一言で片づけられていく」

 新田はそこで、強く握った拳で自分の太ももを叩いた。鈍い音が聞こえる。そこに、新田の思いがすべて乗せられているように思えた。

「仕方がないだと? 警察がたった一つミスするだけで、どれだけの人間の人生が狂わされると思っているんだ。警察は正義の味方だから、正しいことをする? 組織全体では正義でも、そこにいる全員が正義の味方だとは限らない。どんな場所にも、悪だくみをする奴がいる。どんな人間でも、魔が差して悪事に手を染める瞬間がある。それが大きいか小さいか、バレるかバレないかの違いがあるだけだ!」

 だんだん語気が強まり、最後の方は、新田は叫んでいた。いくら席の周辺に乗客が居ないとはいえ、丸まる一号車を貸し切れているわけではない。号車の端の方からは、何やらひそひそ話が聞こえてくる。

 それを聞いたからか、新田は我に返った。そして心を落ち着けるためか何度か手もみをし、太ももの辺りをさすってから、今度は落ち着いた口調で静かに話し始めた。

「すいません。取り乱したし、話が脱線しましたね。とにかく僕は憤りを感じながら、その匿名掲示板に書き込みを続けていたんです。少しでも流れが変わるように、少しでも冤罪被害者を見る目が変わるように。そんな時、僕と同じ論調でコメントを書く人が現れたんです」

「それが、真白さんだった」と、茅野。

「はい、そうです。僕は嬉しかった。やっと味方がいたと。冤罪被害で苦しみ、悲しんでいるのは自分だけじゃないと。世界から、認められた気がしたんです」

 真白を見つめる新田。そこには恋愛感情ではなく、本当の意味での信愛が込められているように見えた。真白は新田を一瞥すると、すぐに目を逸らした。新田はそれを見て、困惑している。

「それがきっかけで個人的に連絡を取り合うようになった、というわけですね」

「あ、はい。そうです。初めはフリーメールでのやり取りでしたが、僕がもっとこの人のことを知りたいと思って、一年位前に直接会えないかとお願いしたんです。そしたら――」

「あなたの恩人ともいうべき、新藤真由美にそっくりな人だったと」

 茅野が念押しのためにそう言うと、新田は口を真一文字に結んだ。警察に話すことへの抵抗感からではない。むしろ、新藤真由美について話すことそのものへの抵抗感からだった。彼にとって彼女のことは決して忘れたくない、しかし一番忘れたい存在だったのだ。

「僕は、真由美さんを助けることができなかった。……実は父が釈放されて以降も、真由美にはよく会っていたんです。母から、あなたが人生を楽しんで生きることが、真由美さんへの一番の恩返しになると言われていましたから。何度もあって、こんないいことがあったんだと話し続けました。

 真由美さんは、いつも笑顔で聞いてくれていた。自分が内部告発のせいで大変な状況にあるなんて話は一切しないで、ただ笑顔で聞いてくれた。僕が話すことを、まるで自分のことにように喜んでくれた。僕はそれが嬉しくて、ずっと話し続けた。ずっとずっと、ずっとずっと。今思えば、もう少し真由美さんの話を聞いてあげるべきだったんです。そうすれば真由美さんは……真由美さんは……」

 新田の太ももの辺りに、なにやら輝くものが落ちた。霊園の時と違い、今度は真白が新田の肩を抱いている。なんだか窓際に座った東が、気まずそうにしているのが松井戸には見えた。この状況では、無理もない話だ。

「だから俺は、今度こそ彼女を助けようと思って……」

「真白ちゃんと真由美さんを重ねて、彼女を苦しみから救おうとした。河野さんを殺して真白ちゃんが救われるという妄想に取りつかれたのは、本当は新田君、君だったんだね」

 新田は遂に声を上げて泣き出し、それ以上話すことができなくなった。真白は自分の足に顔をうずめる形で新田を移動させ、その声を押し殺し、頭を優しく撫でた。その姿は、慈愛に満ち溢れていた。

 新藤真由美のことは、これまでほとんどの人に話せなかったことなのだろう。ひょっとしたら、真白もこの時まで知らなかったのかもしれない。

 だからだろうか、真白もやがて新田に覆いかぶさる形に体制を変え、小さな声で「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝罪の言葉を繰り返していた。

 その言葉の意味を、真白が語る前に知っていたのは、松井戸だけだった。

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