裏の顔
第33話
九州に着いてすぐに、松井戸は真白の父親が眠る霊園に向かった。しかし、時間が時間。既に霊園は閉まっていたし、その近くに人影など一切見られなかった。松井戸は諦めて一泊する宿を探した。だがこちらも時間帯が時間帯だけになかなか空いている部屋が見つからず、結局霊園から少し離れた宿で一晩を明かすことになった。
いくら松井戸がうまく捜査員たちの意識を東に向けたと言っても、さすがに一晩も時間が空いてしまっては、その噓がバレているだろう。急がないと、他の捜査員たちに真白と新田が連行されてしまう。そう思い、普段の自分なら確実に起きられない早朝に目を覚まし、霊園へと向かった。
福岡県のとある場所にある霊園。ここは日本人がお墓と聞いて真っ先にイメージするあの縦長の墓石とは違い、どちらかというと西洋で見られるような背の低い墓石が並んでいる。ハリウッド映画などで主人公が、今は亡き相棒の墓前で泣き崩れる時に見る、横長の墓石に名前が横に掘られたあの形の墓石だ。
だからお墓参りしている人がいると、背の低い墓石の中にぴょんとその人の頭だけが飛び出しているので、非常に目立つのだ。松井戸はそんな霊園の様子を見て、普段お墓参りをするときは縦長の墓石の方が周りを気にしなくていいかもしれない、などと考えていた。
だがお墓参りしている人を探す時には、この霊園はとても便利な形態をしていた。特に今のように、その人がどの霊園に安置されているかは分かっているが、具体的なお墓の場所までは分かっていない。しかしその墓前には、見知った人間が立っていることが分かっている。そんな時には、見つけることが容易だった。
松井戸は霊園の入り口から中を見渡し、丁度霊園の中央辺りに人影があるのを認めた。徐々に近づき、それが真白と新田の二人であることを確認し、声をかける。
「真白ちゃん、新田君。やっぱり、ここにいたんだね」
「……想定よりも、到着が少し遅れましたね、松井戸さん。思ったより、私たちの場所の見当がつかなかったのでしょうか」
突然声をかけたにもかかわらず、真白は落ち着いた様子で答えた。新田の方も、微動だにしなかった。霊園内に敷き詰められた細かい石などの音で人が近づいているのが分かったとしても、一度も振り返らずにこの落ち着きようである。その発言内容からも、やはり松井戸がここに来ることも計画の内だったことが分かる。
「いや、場所の見当がつかなかったわけじゃないよ。こんなヒント……いや、答えを残してくれていたんだからね」
松井戸が真白の日記帳を右手で掲げて示す。真白は少し振り返ってそれを見ると、クスリと笑った。
「その真意、ちゃんと通じたみたいで良かったです」
「……どうかな、まだ自信が無いんだ。真白ちゃんの真意を図れたかどうか。自分が今考えている真相だと思っていることも、実はどこか違うんじゃないか。僕が想像していることとは別のことが起こっているんじゃないかってね」
「何事も、最初に思い描いた通りに事が運ぶとは限りませんね」
真白は、父親の墓前を見下ろしながら言った。その言葉にはどこか悲しげで、はかなげで、今にも消え入りそうな雰囲気があった。それは父親への後悔の念か、はたまた自分自身へ向けたものか。松井戸には、その両方に思えた。
新田の方は、遠い空の彼方の一点を見つめて一切身動きを取らなかった。口も開かないし、松井戸の方を一瞥することもない。ただなにか、物思いにふけっているように見えた。その背中には哀愁が漂い、とても高校生のものだとは思えない。数々の死線を潜り抜けた、中年の背中だった。
「本当に、思い通りにはいかない。今回も、僕や真白ちゃん、新田君が想像していなかったことがたくさん起こった。だから、こんなにも話が複雑になった。もちろん、君たちがまだ知らない想定外のことだって、きっとあると思う」
「……もうたくさんですよ。何もかも思い通りにいかなかったのに、これ以上想定外のことなんか起きてほしくありません」
「……真白ちゃん、君は自分の人生の道に戻ったほうがいい。君の周りには、君を守ってくれる人がたくさんいる。新田君もその一人だったんだろ」
「はい。彼が居なかったら、きっと私はもう――」
真白が言葉を紡ごうとしたその時、松井戸の背後からあの細かい石を踏みしめる音が聞こえた。その音はゆっくり、だが確実にこちらに近づいてくる。それも、音は二人分ある。
真白にとっては想定外の客人だったのか、さっきまでの冷静な態度とは一転して、慌てたように松井戸の背後に視線を向ける。だが松井戸は一切振り返ることなく、溜息交じりにこう言った。
「素人の方はともかくとして、捜査のプロとして、尾行が下手なのは如何なものかな。それともお前は、聞き込み以外はド下手なのか?」
「ずいぶん口が悪いですね、松井戸さん。それと前から言いたかったんですが、いい加減僕の名前くらい覚えてください。それとも僕の名前をモジって、お前は“かやの”外だ。なんてダジャレを言いたいわけじゃありませんよね」
「あ、僕茅野さんにだけじゃなくて、松井戸さんにも尾行バレてたんだ。なんかショックだな」
そう言いながら松井戸の背後から顔を覗かせたのは、茅野と東だった。
「なんで東君が? 茅野さんは、ひょっとしたら来るかもと思ってたけど……」
「これが君のまだ知らない、想定外のことだよ」
東の存在に疑問を呈した真白に、松井戸は静かに答えた。その答えを聞いて、真白はますます混乱した様子である。そんな真白の様子を見て松井戸は、東に問いかけた。
「東君。もう俺には事件の真相が分かっている。真白ちゃんが誰も殺していないことを分かっている。だからもう、きみが嘘をつく必要はないんだ」
「どうやら、そのようですね。……松井戸さん、一つ訊かせてもらえませんか」
「なんだ?」
「僕のしたことは、真白さんを守ることに繋がったのでしょうか。むしろ彼女に疑いの目が向いたり、捜査を攪乱してしまったり、ご迷惑をかけたのでしょうか」
「まあ、嘘の証言をしたんだから、捜査は当然攪乱されたよ。真白ちゃんは今聞いて余計に混乱するだろうけど、一時は君が、河野さん殺しの本星だと思われたくらいだからね。まあ、そういう意味で言えば、彼女から疑いの目を逸らすことには成功したんじゃないかな。一時は、ね」
松井戸が皮肉っぽく言うと、東は苦笑いしながら顔を伏せた。真白はその一部始終を見て、なにがなにやら分からないといった顔をしている。
「真白ちゃんの今の反応を見て確信したけど、やっぱり君は、自分一人の判断で偽証したんだね。それも、大学内でもう少し聞き込みすればすぐに嘘だと分かる、レベルの低い偽証を。それで、自分が現実と妄想の区別がつかなくなっている真白ちゃんのストーカーかもしれない、そんな疑念を俺たちに抱かせようとした。そうすることで、錯乱したストーカーが暴走し、付き纏っている相手を救うためだなんて妄想を描いて、その仇を殺害した。今回の事件の筋書きを、そんな風に思わせたかったんだろう」
「ははは。全部お見通しだった、ってわけですか。うまく騙せていると思ったのにな。やっぱり、思い通りにはいかないな」
松井戸と東が会話していると、「ちょ、ちょっと待ってください」と真白が割り込んできた。
「い、一体何が起こっているんですか。東君はなにを偽証したんですか。どうして彼が河野刑事殺害の容疑者になったんですか? 東君が私のストーカーって……あ、もしかしてその日記のせいですか。それは――」
「この日記は関係ないよ。この日記は、つい昨日見つかったものだからね。東君は、河野さんの事件後に真白ちゃんの身辺調査の一環で大学内の聞き込み捜査をしたとき、僕たちが最初に話を聞いたんだ。そしたら、真白ちゃんが大学内で一番のモテ女で、大学にいる女性という女性から総スカンを喰らってると証言したんだ。その上真白ちゃんが入学してからは毎年ミスコンで優勝、その王座を陥落させようと掲示板に悪意のある張り紙までされたって言ってね」
「そんなことありませんでしたよ」
「だから、偽証だった。彼はこうすることで、自分が真白ちゃんを何らかの被害から救おうとしているヒーローだと妄想している、危険なストーカーだと思わせようとしたんだ。だから、捜査本部内でもその方針が主流になりそうになったこともあった」
松井戸からの説明を受け、真白は困惑した目を東に向けながら「どうしてそんなこと……」と小さく呟いた。東はそれに呼応するように、ゆっくりと語り始めた。
「好きだから。それに、真白さんは犯罪者なんかじゃないって信じてたから……。真白さんには何回か言ったことあると思うけど、俺も福岡県出身だからさ。俺が怪しい言動をすれば、偽装工作なんかしなくても勝手に警察が色々結び付けて、俺のことを疑ってくれるかもしれない。だから、その場の思い付きで適当な嘘を並べたんだ。正直自分でも何を言ったか覚えてないから、後でそれと整合性のある証言を求められても無理だっただろうね。でも、その方が支離滅裂な、妄想の激しい奴って思われそうだからいいかな」
「……でもそんなことしたら、東君が捕まっちゃうかもしれないじゃない」
「捕まるなら捕まるで、いいと思った。真白さんが謂れのない罪で捕まるのを見るよりは、ずっといいと思った。それに、なんとなく警察が、真白さんが犯人だと決めつけて捜査してる、そんな気がしたんだ。だから、新たな容疑者として僕が浮上すれば、少しはその凝り固まった見方を変えてくれるかもしれないって……そう思ったんだ」
「……私が本当に犯人だったら、どうするつもりだったの?」
「あまり、考えなかったな。でも真白さんなら、僕が誤認逮捕されると知った時に自首してくれるんじゃないかと思うんだ。真白さん、正直者だからさ」
「私のこと信じ切っちゃって……バカみたい」
真白はおもむろに父親の墓の方を振り返り、背の低い墓石に視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。時々鼻を啜る音や手を目元にやる仕草が見えるが、誰も何も言わなかった。空の一点を見つめて動かなかった新田は、しばらく真白の横に同じようにしゃがみ込んで、肩を抱き慰めていた。
朝の光が、二人を温かく包んだ。その光景は、とても幻想的で美しいものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます