第31話

 十月十日(水曜日)

 どこから漏れたのかは知りませんが、私が殺人事件の容疑者として捜査を受けていることが大学で噂となっていました。一般人の感覚としては、警察に捜査されることと犯人であることはほとんど同じ意味を持つようで、私の周囲からは人が消えました。

 何故か毎日私に言い寄って来る同期の東だけは、変わらず私に話しかけてくれました。いつもはストーカーのようで鬱陶しいし、どうせ下心だけの変態だろうと思っていましたが、少し見る目が変わりました。

 今の私に話しかけることは、自分の立場を危うくする。その状況でも話しかけてくれるということは、私のことを本当に大切に思ってくれているか、それが理解できないお馬鹿さんかの二択でしょう。私としては、普段の様子から後者であると考えていますが。

「ねえねえ、真白さん。なんか大学の中で変な噂が広まっているみたいだし、居心地悪いでしょ。今日は講義もサボっちゃてさ、一緒にカラオケでも行かない?」

「遠慮しときます。それに、私が殺人事件の容疑者として捜査されていることは、本当ですし」

「でも、まだ容疑者の段階でしょ。捕まったわけじゃない」

「……私が犯人じゃないって、信じてくれるの?」

「いや、信じているんじゃない。僕は知ってるんだ、君が人を殺すようなことはしないって」

 いつもはこの上なく鬱陶しいワードセンスと胡散臭い笑顔が、今の私にはとても刺さりました。心の余裕を少し取り戻す、そんな役割を果たしてくれていました。

 自分が弱っていたこともあったでしょうが、彼の評価は私の中でうなぎ上りに上昇。一気に彼氏候補へと、名乗りを上げました。ただ、本人にはそんなこと言えるわけもなく、急に態度を変える気にもなれなかったので、これまでと変わらず、愛想のない返事をして背中を向けました。

 きっと彼にもすべてを話して頼んでいたとしたら、今回の事件の調査を、私の冤罪を晴らしてくれる手伝いをしてくれたことでしょう。でもそれに巻き込むには、私の中で評価が上がりすぎました。

 一緒に戦ってくれるだろうという希望よりも、巻き込みたくないという思いの方が強くなりました。それに、今の私に協力することは、非常に危険だと言わざる終えない状況でした。

 もし私が立てた仮説が正しく、犯人が警察関係者だった場合、この件は一筋縄で片づけることはできないでしょう。犯人はありとあらゆる手を使って、私を犯人に仕立て上げようとするでしょう。昨日の茅野さんの滅茶苦茶な言動だって、犯人に仕立て上げるためのものだったかもしれません。

 そんな状況で協力者を増やすということは、何らかの方法でその人が排除される危険性を孕む、場合によっては命が狙われるかもしれないということです。誰かに頼むなんて、できるわけがありませんでした。

 十六時三十分、レストルームに向かうために最寄り駅で電車を降りました。レストルームから家は近いのですが、家から大学までは電車で片道二時間ほどはかかります。アルバイトの時間を犠牲にして一・二回生で単位を大量にとっていなければ、今のような生活サイクルはとても回せなかったでしょう。

 しかし、警察関係者から掘り出し物の話を聞いて将来の創作活動に役立てようと思っただけだったのに、まさか自分が容疑者になるとは思いませんでした。最初はなかなかできない経験を楽しもうと考えましたが、警察が私を本気で疑っているとなると、そうとも言っていられません。

 どうしたらいいかと考えていたその時、駅の改札口を出たところで、私に声をかけてくる青年がいました。

「あの、真白さん。僕と一緒に逃げませんか」

 声をかけてきたのは、私との交換殺人を疑われている新田友勝という人でした。私は、あなたと関わっているところを見られるとより疑われるからと、話すことすら拒否して立ち去ろうとしました。しかし新田は、私の腕を掴んでこう言いました。

「警察は、本気で僕たちを捕まえる気です。でも、真白さんだって分かっているでしょう。殺したのは、僕たちじゃない。このまま無実の証明ができずに警察に捕まればどうなるか、僕たちは知っているはずだ」

 私の中で、父から聞いた話が蘇ってきました。警察は拘留の期間を最大限に延長し、連日連夜取り調べを続けました。睡眠時間は、一日四時間ほど。だんだん自暴自棄になっていった父が、それでもなんとか否認し続けて拘留期間を乗り越えようとした時、父が一切身に覚えのない決定的な証拠が見つかった。

 そうして父は起訴された。その後新犯人が捕まって釈放されても、警察の保身のために私たち家族の生活は壊された。母は心労で倒れ、お腹の中にいた私の弟になるはずだった赤ちゃんと共に、帰らぬ人となった。父も、釈放されてから一年と経たずして、自ら命を絶った。

 同じ道を、歩むわけにはいかない。私は国家権力の横暴に立ち向かい、自由を勝ち取らなければならない。思わず拳に、力がこもった。

「分かった、一緒に逃げよう。でも、少しやりたいことがあるから待っていていほしい」

「では、例のカフェの前で待ちます。あまり時間がありませんよ」

 今、マスターは丁度買い出しに出ていて、レストルームには誰もいない。マスターが帰ってくる前に、大急ぎでこれを書き上げている。字が汚くて読みにくいでしょうが、許してください。時間が無いんです。

 もし、これを警察関係者の方が読んだら、お願いが二つあります。

 私たちのことは疑っても、その関係者は疑わないでください。マスターは、私を逃がすために協力したりしていません。今日私が店に来たことすら知らないでしょう。

 そして、私たちのことは探さないでください。いつか必ず、無実を証明する証拠を持って、あなた方の前に現れますから。

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