第27話

 十月四日(木曜日)

 十六時五十分。昨日の罪滅ぼしも兼ねて、少し早めにお店に出ました。

「真白ちゃん、朗報だよ」

 奥で支度を終えてお店に出ていくと、すぐにマスターがそんなことを言ってきました。昨日の歴史的な赤字のことを忘れたのでしょうか。それともその性で、マスターの中の大切な何かが壊れたのでしょうか。私は頭が混乱したので、落ち着いて質問しました。

「朗報って、なんのことでしょうか?」

「ほら、ニュース見て。ニュース」

 マスターが、店内に設置されていたテレビを頻りに指さして私に言いました。そこには、岡濱東警察署が大活躍したニュースが取り上げられていたのです。

 そう、三日前に河野刑事達から聞いた連続誘拐事件の犯人が、逮捕されたというニュースでした。昨日の正午ごろ、とあるマンションで住民トラブルが起こって、警察が出動するほどの大騒動になったそうです。

 しかしトラブルを起こした張本人は、警察の姿を見るや否や態度を軟化させ、部屋に戻るのを急いだそうです。それを不審に思った警察官が室内を捜索すると、寝室で誘拐された四人の女性が発見されたとのことでした。四人は極度の栄養失調で衰弱していたものの、命に別状はないとのことでした。

「こいつ、河原で真白さんを襲った犯人でしょ。捕まってよかった。他の被害者も全員無事みたいだし、これで一件落着だ。今日からまた、客足も戻って忙しくなるよ」

 マスターは、私に向かって満面の笑みを見せました。最後こそお店の心配を口にしましたが、本心は私のことを一番に心配してくれての発言だったんでしょう。こうして再び心を許してしまうあたり、私は将来、パートナーからの暴力に気を付けるべきなのかもしれません。

 そんなやり取りをしていると、時刻は十七時を回りました。私が酒類提供の準備をしようと店の奥に入ろうとしたところ、入り口のドアについた鈴の音が聞こえました。少し顔を覗かせてみると、そこには松井戸さんの姿がありました。

 でも、その松井戸さんの雰囲気はいつもと違いました。何か違和感がある。心なしか、いつもより暗い。そんな気がしました。

 でもさっきのニュースを思い出し、ただ昨日忙しかっただっけだろうと思い直しました。昨日私が言ったことではありませんが、松井戸さんはここに癒しを求めに来店した。それなら私が、とっびきりの癒しと安心感を与えたい。

 そう思って、私ができる最大の笑顔で松井戸さんを迎えました。

「いらっしゃいませ……あ、松井戸さん。今日はいつもより早くお越しですね。それだけ、今日は平和な一日だったということですね」

 ニュースで報道されているくらいだから、連続誘拐事件が解決する目途は既にたっているのだろうと思いました。

 連日の忙しさからくる疲れでげんなりとしているものの、今日はきっと打ち上げだと思ったし、そうして気分を良くすれば、何か話を聞かせてもらうかもしれないとも思いました。

 でも、松井戸さんは全く想像していなかった行動をとりました。

「申し訳ないが、今日は客として、ゆっくり談笑する暇は無いんだ」

 そう言って、胸ポケットから警察手帳を取り出しました。河野刑事に続いて、松井戸さんからも何か疑われている。そう思うととても動揺してしまい、うまく話せませんでした。ただ、聞いた内容は強烈だったので、強く記憶に残っています。

 昨晩、私も襲われた例の河原で、河野刑事が亡くなったとのことでした。死因は脳挫傷、河原に降りるための階段の最下段に頭を打ち付けて亡くなられたそうです。現在は、事故と事件の両方で捜査が行われているとのことでした。

 でも私の事件が起こって以来、不審者がいると噂のたったあの河原を夜に通行しようと思った人は誰もいなかったようで、二十時頃に通報があるまで、約一時間放置された可能性があるとのことでした。つまり、死亡推定時刻は十九時ごろ。現場には河野刑事のものの他に足跡があったとのことでした。

 そこまで説明した後で、松井戸さんは私の昨夜のアリバイの確認と足跡の提出を求めました。これで店内にいた誰もが、私が容疑者として疑われていると分かりました。そこで店内から口々に、私を擁護する声や捜査方針を疑問視する声が上がりました。

「天城真白さん。十年前に福岡県に住んでいた際、父親が強盗殺人の容疑で逮捕されましたよね」

 その松井戸さんの言葉を聞き、店内は静まり返りました。私は自分が封印していた過去を掘り返されたことで頭がパニックになり、何も言い返せませんでした。

「……でも、それは誤認逮捕だった」

 松井戸さんの言葉を聞いて、私は驚きました。警察は裏で手をまわし、この誤認逮捕の件を世間に認知させないように動き、私たち被害者にも秘密保持契約を結ばせていたからです。

 つまり、松井戸さんはまだ警察が認めていない冤罪事件を、限られているとはいえ、公に認めたのです。またそれに続く言葉は、更に私を驚愕させるものでした。

「そして、その誤認逮捕を起こしながら一切の処分を受けずに刑事を続けたのが、河野さんだった。要するに、あなたには河野さんを殺害する動機があるということです」

 私は、言葉が出ませんでした。あの常連で優しい河野刑事が、普段は捜査情報を話さないけど、私が巻き込まれそうになったら心配になって捜査情報を話してしまう心優しい河野刑事が、私たちの人生を狂わせた張本人だった。

 でも、私はそんなこと知りませんでした。もし知っていたとしたら、ここでのアルバイトはとっくに辞めていたことでしょう。わざわざそんな人と顔を合わせたいなどと思う人は、この世界にいません。

 今思い返すと言いたいことは山ほど出てきますが、その時は考えがまとまらなくて、話すことができませんでした。昨晩の犯行推定時刻に、レストルームでアルバイトしていたことを説明することで精一杯でした。

 松井戸さんはマスターや常連さんたちに確認を取ると、すぐに帰っていきました。その後の店内でまた閑古鳥が鳴き始めたことは、ここに書かなくても自明のことだと思います。

「今日は、店を閉めてもいいかな」

 マスターは泣きそうになっていましたが、私が「ここで店じまいにすると、夜逃げとか疑われるかもしれませんよ」と言うと、遂に泣き始めました。そこから閉店時間までは、私がただマスターを慰める時間となりました。

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