第24話

 十月一日(月曜日)

 私は毎週月曜日~木曜日まで、レストルームでアルバイトをしています。時間は十七時から二十二時で、自慢にもなりませんが皆勤賞です。

 でも、時給は全く上がりません。常に、最低賃金です。生活のことだけを考えるなら、家庭教師でも始めるほうがいいでしょう。でもここには、他では替えの利かない利点が存在します。そのためだけにここで働き続けているし、大学の履修登録も工夫しているし、遠くから通学しているのですから。

 二十時。顔馴染みになった刑事さんが、来店されました。ここでお話しさせていただく刑事さんたちの中で、一番色々なことを話してくれるお二人です(そのうちの一人が、恋愛相談の人)。

 お二人はカウンターの決まった席に座ると、「いつもの」とだけ言います。私はマスターに注文を伝え、いつものアメリカンコーヒーを持って、今日のお土産話を聞きに行きます。一番ワクワクする瞬間です。

 コーヒーを渡す際に、松井戸さん(恋愛相談の人)がカウンターに項垂れれば恋愛相談が、不愛想な顔に不気味で気味の悪いニヤニヤした笑顔があれば事件の話が聞けます。解決して嬉しいから、人に話したくてうずうずしているのでしょう。大体余計なことまで話してしまって、横に座っている河野刑事に頭を叩かれています。

 でもこの日は、松井戸さんも河野刑事も神妙な顔をしていました。まるで、今から私を取り調べるのかもしれないと思わせるほどの迫力でした。

 いくら同級生から空気が読めないと言われる私でも、この時のお二人に話しかけることはできませんでした。

「通勤に、あの河原を通るかい?」

 珍しく、河野刑事から話を切り出します。あの河原というのは、レストルームから一キロほど離れた位置にある場所です。街灯も少なく、監視カメラの一つもなく、夜の人通りは少ない。私が小説を書くならまず間違いなくあそこを事件現場にすると考えるくらい、夜一人で歩くにはとても危険な場所です。

 そんな場所を、通勤場所として使うわけがありません。私が否定すると、二人とも「良かった」と言って胸を撫で下ろしました。気になった私は、思わずその理由を尋ねました。なにか、事件の匂いがしたからです。

 でもこの時の私は純粋な興味ではなく、一人の市民として、身の危険を感じる者としての本能で話を聞こうと思いました。

「実はあのあたりで、昨夜一人の女性が行方不明になった可能性があるんだ。年齢は二十代前半のOLで、社内でも評判の美貌を持った人だったらしい」

「無事……なんでしょうか? その人」

「分からない。知ってると思うけど、あの辺りは街灯も監視カメラも、夜になれば人の目すらなくなる。それに、深夜降ったゲリラ豪雨の影響で、現場に残った証拠は流されたものが多い。正直言って、まだ何も分からないんだ」

 話し終えると、松井戸さんは顔を伏せました。いつもは余計なことを話すなと頭を叩く河野刑事も、今日ばかりは松井戸さんの肩を抱いて、優しく声をかけています。きっと、捜査になかなか進展が見られないのでしょう。

 話始める前の雰囲気で少し委縮してしまいましたが、二人がただ私のことを心配してくれていただけだと分かった後は、心の底から安心しました。そうなれば、自然と笑顔にもなります。

「あら、真白ちゃん。いつにもまして眩しい笑顔。あんな怖い話聞いたのに……もしかして、君が犯人で、自分の犯行がバレないことへの安堵感で笑っているとか……そういう感じ? え、めっちゃサイコパスじゃん」

「これは本部に、重要参考人として報告するしかありませんね。ひとまず真白ちゃん、任意同行への協力を――」

「知らない人が聞いたら本当に誤解されるので、止めてください」

 私が未解決な事件の話を聞いて不安になっているかもしれないと気遣ってくれたのか、松井戸さんが茶化して、それに珍しく河野刑事が乗っかりました。

 お二人は生粋の関西人という雰囲気で、十年関西に住んだ私でも、その会話のテンポについていけない時があります。本当にテンポが速い。でも、内容が薄いわけでもない。

 なぜそんなにも速く、ボケやツッコミが思いつくのか。私が心理学部の学生なら、卒論のテーマとしたいくらいの難問です。十年かかっても、まだ解けません。大阪の人は、これよりもさらにテンポが速いと言います。

 私は、日本に地球外生命体が来ているとしたら、それは関西人なのではないかと思ってしまいます。

 脱線しすぎましたので、話を戻します(ふざけ始めるととことん話が脱線するのも、関西人の生態の一つです)。

 お二人との話はあの会話以降、いつもの松井戸さんの失恋話へと変わりました。この人は、何故毎日違った失恋話を持ってこれるんでしょうか? 一日で別れないと死ぬ呪いでもかけられているのでしょうか。とにかく、話題に事欠きません。

 二十二時。私がアルバイトを終わる時間であり、レストルームの閉店時間です。私が知る限りではこの時間までたくさんのお客さんがいらっしゃるのですが、マスターに話を聞くと、週末の方が夜のお客さんが減るそうです。

 レストルームは午後五時から種類の提供も始めるので、普通なら週末の夜のお客さんが増えそうなものなのに、不思議なこともあるものです。

 その謎について考えてみたくもなりましたが、とにかく店じまいを終え、私は帰路につくことにしました。

 ただどうしても好奇心を抑えられなくなり、ついあの河原に寄ってしまいました。怖い怖いと感じながら歩いていると、後ろから走ってくる足音が聞こえました。そして、腕を引っ張られてどこかへ連れていかれそうになったのです。

 必死に抵抗するうちに、たまたま通りかかった人が助けてくれましたが、危ないところでした。もちろん、その後に行った岡濱東警察署で、あのお二人にきつくお仕置きを喰らったことは言うまでもありません。

 エントランスで松井戸さんに叫ばれた時は、思わず犯人の怒鳴り声がフラッシュバックして、涙してしまいました。事情聴取後に家まで送ってもらうときはいつもの優しい松井戸に戻っていて、安心できました。

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