第21話

 十月十日、午前十一時。捜査への手詰まり感からか、連続誘拐事件の時と同じように、捜査会議が遅く始まった。といっても、松井戸には大して関係が無かった。相も変わらず自分のデスクで夜を明かした上に、昨日の茅野の不気味な顔が頭から離れなくなり、一睡もできなかったからだ。

「ね、松井戸さん。真白ちゃんは確かに、“私は人を刺したりなんかしていません”と言いましたよね」

 松井戸は突然そのように話しかけられて驚き、「ひぇひ」など言う訳の分からない返事をしてしまった。会議室の中が、クスクス笑う声と溜息でいっぱいになった。青鳥は、レーザービームでも飛び出すのかと思うほど目が光っている。おそらく、次に多様なことをすれば命はないだろう。

「松井戸さんは間抜けな返事をしましたし、根拠としてはかなり弱いですが、秘密の暴露とも考えられるものです。一考する価値はあるかと」

 茅野は松井戸を馬鹿にして場を和ませながらも、話を本筋に戻した。それを聞いた青鳥は腕を組み、しばらく目を閉じて考えた。やがて目を開き、落ち着き払った口調で茅野に問うた。

「それで、どうしたいんだ」

「真白ちゃんのネットの通信履歴を調べたいんです。もし交換殺人の殺害方法に刺殺を選んでいたのだとしたら、事件の前に凶器の購入履歴があるはずです」

「……分かった、協力申請は俺の方から出しておく。他に報告のあるものはいるか?」

 青鳥が促して会議室を見渡すが、誰一人として手を上げなかった。先日茅野のもとに連絡があった、大学で噂が流れている一件に関しては、なぜか誰も報告しなかった。

 いや、理由は明白だった。ここまで真白が犯人であるという空気の流れる中、東が真白を陥れる噂を流したことなど、取るに足らないことだと思われたからだ。

 結局捜査会議は、茅野の独壇場のまま終了した。松井戸はふと、最近捜査会議で自分と茅野と青鳥以外が話したことがあっただろうかと考えた。答えはすぐに分かった。無い。最近どころか、いつの捜査会議においてもそうだった。決まって話すのはこの三人、加えて河野だった。

 河野は他の捜査員からも尊敬の眼差しを向けられていたから、大体の発言は肯定的に受け入れられていた。そこに異を唱えるとしたら、松井戸、青鳥、茅野の三人くらいだ。今更になって松井戸は、失ったものの大きさを知ることになった。

「松井戸さん、真白ちゃんの検索履歴を調べた結果が来ましたよ」

 松井戸が物思いにふけっていると、茅野が嬉しそうに、A4裏表印刷で三枚程度のホッチキス止めされた書類を持ってきた。言葉通り、真白の直近一か月のパソコンとスマホでの検索履歴だった。

「お前はもう、見たのか」

「はい。僕の読みは正しかったようです」

 そう言うと茅野は書類をめくり、蛍光ペンで印がつけられた一か所を指で示した。そこには、九月二十九日に検索された“切れ味のいい包丁 お買い得”の文字があった。

「これだけじゃ、何も裏付けされてないだろ。真白ちゃんが単に料理好きで、包丁が欲しかっただけかもしれない。それに、凶器を探す時にわざわざお買い得って調べるか?」

「もちろん。これだけで彼女の犯行が裏付けできるなんて、微塵も思っていませんよ。ただ、気になるんです。さらに調べてもらったところによると、この後真白ちゃんは大手ショッピングサイトで、実際に包丁を購入しています。でも、購入本数は三本なんです」

「三本? 交換殺人のターゲットは二人だろう。なぜ三本購入する必要がある」

「分かりません。だから、気になるんです。異なる型の包丁を三本買ったなら私用だろうかとも思ったのですが、同じ型の包丁三本となると、料理好きだと仮定しても不自然だと思いませんか」

「なにが言いたい?」

「まだ、ターゲットはいるんじゃないでしょうか。我々は二人が共謀して交換殺人を実行したと思っていましたが、ひょっとしたら犯人は三人いたのかもしれません。そして、そのうちの一人が最後に殺害される……とか」

「それなら、二人で交換殺人をした後、片方が相方を殺す可能性の方が高いだろう。そうすれば、秘密を知る人間が消えるんだしな」

「それもそうですね。だとしたらこの先、真白ちゃんか新田のどちらかが殺されることになります。素直に考えるなら、これを購入している真白ちゃんが、新田殺害を目論んでいると考えるべきですね」

 松井戸は困惑した。調べれば調べるほど、真白が不利になる証拠ばかりが出てくる。物証は何一つないのに、それ以外のすべては真白が犯人であることを示しているかのようだった。

「物証は何もない。まだ真白ちゃん犯人説は仮説の域を出ないな」

「ええ。完璧な物証はありません。波野刑事殺害の現場に残された足跡も、おそらく女性のものだろうという程度のことしか分かってないですしね。まあ、あれだけ草が生えてる場所だから仕方ないのかな」

「ん? そんな足跡の話し合ったっけ?」

「ええ。捜査会議で何度か出ましたよ。相変わらず集中してないですね」

 なんということだろうか。自分がボーっとしている間に、物証の方でも真白が犯人である可能性を示すものが既に出ていた。このままでは、本当に真白が逮捕されるかもしれない。松井戸は、それだけはなんとしても避けたかった。

 松井戸は、ふと時計に目をやる。いつの間にか、午後四時を回っていた。難しいことを考えていると、時間が過ぎるのが早い。

 松井戸がそんなことを考えていたその時、最近松井戸たちに代わって情報集約係を行っていた捜査員が、署内を慌ただしく駆け回るのが見えた。

 松井戸と茅野はその捜査員に声をかけて事情を聞いた。青鳥が緊急招集をかけているので、大至急会議室に集合するようにとのことだった。二人は、言われるままに会議室へ赴いた。まだ青鳥しかいない。二人は捜査員の中で、一番乗りのようだった。

 青鳥も二人に気付いたが、その顔はどこか沈んだ表情をしているように思えた。松井戸と茅野の頭の中に、最悪の結末がよぎった。どちらかが、殺されたのかもしれない。

 二人はいてもたってもいられなかったが、青鳥が二人だけに特別に話すことはないと思い、とにかく捜査員が集まるのを待った。ただひたすら、待った。やがて、捜査員たちがぞろぞろと集まり始めた。といっても、二人には永遠かのように感じられた時間も、実際には十分ほどしか経っていなかった。

 最後の一人が会議室内に入ってきたことで、青鳥が咳払いをしてから話始めた。口調は少し暗さがある。しかし悪い報告を話すようにも見えなかった。どちらかと言うと、誰かにとって都合の悪いことを話そうとするときの雰囲気だった。

「波野刑事殺害犯の負北が、新たな供述をした」

 そう言うと青鳥は、負北の顔写真と現場の写真、そして真白の顔写真を貼りだした。

「何度か報告のあった通り、波野刑事殺害現場には、女性のものと思われる足跡が発見されていた。草の関係でその持ち主自体を特定することは困難だということだったが、交換殺人を前提に考えると、この足跡は天城真白のものである可能性が高い。そこで、負北に直接確認するよう佐桜署の方に頼んだんだ。顔写真を見せて、この人物を見かけなかったか、ってな」

 青鳥がそこまで話すと、会議室にいる誰もがその先の展開が分かった。そしてその大方の予想を裏切らず、話は想像通りの結論に至った。

 負北は波野刑事殺害後に呆然としているところへ、一人の女性が話しかけてきたと証言した。その女性は負北の身の上話を聞いたうえで、「私が応急処置や通報をしておきますから、あなたは家族の無事を確認してあげてください。大丈夫です。家族のために自分を犠牲にしたあなたを、警察になんて引き渡しませんから」と言ったのだそうだ。

 これまでは、話すとその人の迷惑になると思ったから話さなかったが、警察が顔写真を示したことでその女性が真実を話したのだと思って、すべて証言したらしい。

 それは負北の勘違いだったが、とにかくその話かけてきた女性というのが真白だったのだ。真白は犯行限に姿を現した。その遺体を見ていた。だから、波野刑事が刺殺されたことを知っていた。

 では、何のために現れたのか。

 そのことを考える際、全員が茅野の仮説を思い出していた。交換殺人を実行する前に、何者かが先にターゲットを殺害した。

 もしこれが真実なのだとしたら、河野を殺害したのは新田である可能性が高い。真白は実際に殺害を行っていないが、交換殺人を計画した段階で共謀罪に該当することは明白だった。

 期は、熟したのだ。

「捜査員は直ちに半径百メートルの範囲に捜査網を展開。まもなく午後五時に、マル被である天城真白は隣の喫茶店レストルームに出勤する可能性が高い。そちらにも、捜査員を派遣する。できるだけ穏便に、安全に確保するんだ」

 青鳥の号令に、全員が返事をした。急を要するためか、青鳥が分担を言い忘れたので、捜査車両の鍵はすぐに消え失せた。捜査員の大半は、十中八九待機するだけで仕事が終了する、緊急配備に向かうと決めたのだ。誰も、真白が逃亡する可能性を考えなかった。

 それがまずかった。レストルームで待ちぼうけになった松井戸たちは、午後五時を過ぎても真白が現れないことを知った時、真っ先にマスターを疑った。こっそり警察が張り込んでいることは教えて、逃がしたのではないかと。

 だがマスターのスマートフォンを確認しても、そのような連絡の形跡はなかった。当然遅刻や欠勤を知らせる連絡も入っていなかった。そこまできて、ようやく松井戸たちは気付いた。逃亡したのだと。我々はまんまと出し抜かれ、逃亡を許してしまったのだと。自分たちが情けなく思えてきた。


 そこからの話は、既に読者の皆さんの知る通りだ。

「本部から各局、本部から各局。マル被、天城真白が逃亡した。繰り返す、マル被、天城真白が逃亡した。付近の緊急車両は――」

 慌てふためく捜査本部のお偉いさん方。本来聞こえてこないはずの、捜査車両に乗っている捜査員たちの溜息まで聞こえてくるような地獄の時間。

 松井戸は緊急配備を茅野一人に任せ、自分は悠々と定位置でマスターのコーヒーを待った。しばらくは、何も考えたくなかった。なんならこのまま、真白には逃げ切ってほしかった。それが一番のハッピーエンドではないかとさえ思えた。

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